研究執筆活動(2006年)

血のつながりのない家族関係を築くということ
−非配偶者間人工授精を試み、その後、養子縁組で子どもをもった女性の語りから−

安田裕子

Building a family relationship without blood relations: The story of a woman who adopted a child after an artificial insemination by donor
(AID) trial
YASUDA Yuko

 Given that the parent-child relationship is not always based on genetic relatedness, the process used to build the relationship is important. Artificial insemination by donor (AID) is a treatment in which infertile couples use donated sperm to overcome male infertility. In AID, the donor's name is kept secret, to protect his anonymity and maintain familial happiness. However, keeping such a secret can affect the social recognition that is normal for parents and children related by birth. Moreover, it affirms the difficulties experienced by those who are not related by birth. This also applies to individuals who try to develop a parent-child relationship via adoption. In this study, I interviewed a woman who had adopted a child after an AID trial, to try to comprehend her experiences regarding the social recognition that is usually accorded to parents and children related genetically.

Key words :Family relations without blood relations, Artificial Insemination by Donor,         
  Adopted children,         
  Social recognition considering blood relations in a family as normal,   Children's rights to know their birthplaces

キーワード:血縁のない家族関係、AID、養子、
  家族における血のつながりを普通とする社会認識、子どもの出自を知る権利

第1章  問題と目的

1.1  問題

1.1.1  非配偶者間人工授精という治療−忌避と需要の狭間で

 非配偶者間人工授精(Artificial Insemination by Donor, 以下AIDとする)とは、不妊治療の技法のひとつであり、提供者の精子を用いた人工授精のことをいう。世界的にはAIDの歴史は古く、その起源についてはいくつかの研究がある。たとえば、アメリカのハワード&リフキン(Howard & Rifkin, 1977/1979)は、「人間の人工授精は南北戦争のころにすでに行われた形跡があるが、はっきりと確認された第一号は1884年に行われたもの」とし、また、イギリスのワーノック・レポート(Warnock, 1985/2000)では、「100年も前から人間に知られた手続き」であるとされる(立岩, 1997)。
 さて、アメリカで最も古い精子バンクの一つであるクライオバンク(1977年設立)の医師によると、1954年にイギリスの学会誌にAIDが発表された際、カンタベリー大僧正が1948年に任命した委員会の報告書が「AIDはキリスト教的基準に反する違法な行為」(小池, 1960)と結論づけ(柘植, 2003)、社会はこれを不道徳・非倫理的であると受け取ったという。また1950年代のアメリカでも、第三者からの精子提供は法的には姦通であるとされ、生まれた子どもは正式な家督の相続人として認められなかった。1974年の家族法の改正で初めて、AIDで生まれた子どもは夫の合意があれば法的に認められるとされた。こうした歴史をその背景にもちながらも、AIDは世界的な普及をみせた。その理由は、2度の世界大戦と1970年代の精子バンクの登場にあるという。つまり、戦地でのマラリアなどによる男性不妊症が戦後復興で問題となり、それへの対処が検討されるなかで、冷凍や保存技術の向上により精子の確保が可能となったのだ。そして、1985年のHIVウィルスの発見により精子の感染症が危険視され、精子の入手・検査・提供を一貫して行うバンクが成長したという。アメリカ生殖医療協会(ASRM)は、AIDについて、1995年には3,352回の実施で1,189人の子どもが、1996年には3,822回の実施で1,489人の子どもが誕生したと公表している。19世紀末にAIDが始まって以来、世界では100万人以上の子どもがAIDで生まれているとされる(坂井・春日, 2004)。

1.1.2  秘密保持を原則に実施されたAIDとその弊害

 ところで、AIDの実施に関わって、とりわけ子どもの権利保護が問題となったのは留意すべきことである。日本に焦点化すると、民法では、母子関係については分娩した者が母親と解釈され、父子関係に関しては「妻が婚姻中に懐胎した子はその夫の子と推定される」(民法772条1項「嫡出推定」)とされた(柘植, 2003)が、他方、実際問題として夫婦の子どもでないとされることから子どもをどう守るかということが争点となった。そしてこれについて様々な検討がなされた結果、生まれてくる子どもの権利を守り、その家族を無用に動揺させないという目的の下、提供者を匿名にし、秘密保持を原則としてAIDが行われることとなった。
 しかし、AIDを受ける夫婦とその子どもの権利保護を基軸にしたこうした論理が、提供者を守る役割を果たしたとしても、実際に当事者家族の幸せを追求するものとなり得たかは甚だ疑問である。昨今、AIDで生まれた事実を不意の出来事から知った人たちが、秘密保持を前提に行うAIDのありかたの是非を検討すべく声をあげ始めている(DI Offspring Group(非配偶者間人工授精で生まれた子どもの会))。彼らの、予測し得なかった出自の事実に当惑したりアイデンティティに悩んだりしたその苦悩は、簡単に測り知ることができるものではないだろう。
1992年に、顕微授精という男性不妊症に対する画期的な治療技術が導入されて以来、AIDを選択する夫婦が減少しているものの、それでも1998年から2001年の年間平均で1,441組の夫婦がAIDを受け、平均170名、合計682名の子どもが生まれているという(非配偶者間人工授精の現状に関する調査研究会)1)。なお、1949年の初の実施からは50年以上が経過し、1万人以上の子どもがAIDで誕生しているとされる(大野他, 1980)。1997年、日本産科婦人科学会によって初めてAIDの実施を公に認める見解が発表されたものの、生まれてきた子どもの法的位置づけがきちんと整備されないままに秘密保持の下で夫婦の実子として扱われてきたことの弊害が、今浮き彫りになってきているといえる。

1.1.3  AIDに関わる当事者の視点と、その背後にある社会的認識に着目して

 こうしたAIDの秘密保持の原則に関わって、AIDを受ける夫婦が子どもへの告知の是非についてどう認識しているかを尋ねた質問紙調査がある(吉村・久慈, 2002)。そこでは、AIDによって生まれた事実を子どもに伝えることに拒否を示す夫婦の見解が提出されており(表1)、AIDを受ける親が、告知しないことが子どもや家族の幸せにつながると考えていることがみてとれる。この結果から吉村・久慈(2002)は、「AIDによって生まれた子どもの親としての自覚と覚悟を持って家庭を守っている夫婦に、子どもの権利という名の下に告知を強制したり、子どもが精子提供者を探すことは極めて難しい」としているが、こうした見解にはそもそも子どもの視点がすっかり抜け落ちていることが指摘できるだろう。また、「家庭を守る」ことと「子どもの権利を守る」こととは、必ずしも相反するものではないと考えられるのである。また石井(2001)は、無精子症の夫の強い希望でAIDを受け子どもを出生した夫婦が後に不仲になり、その離婚に際して親権を争った事例を取り上げ、AIDについて、子どもを得た結果をもって夫婦の問題が解決したわけではないこと、さらに、子どもの視点を組み入れて問題を整理し直すことの重要性を強調している。加えて久慈他(2000)は、AIDで妊娠あるいは子どもを得た父親210人を対象に実施した選択式の質問紙調査により、AIDを選択した夫(婦)が、AIDにまつわる諸問題−AIDを選択したことについての秘密保持、提供者の遺伝的情報の確保と子どもへの告知など−を現実的に受け止め、家族関係を損なうことなく健全に処理していると結論づけている。ただし同時に、実際に治療を受けた夫婦にこの治療が真に幸福を与えているかを知るのは非常に困難であり、それは子どもの成長や時間経過と共に変化していくと考察しているのは着目すべき点である。
 総じて、AIDを選択する夫婦がたとえ家族を守ることを意識していたとしても、秘密保持が実際に家族の幸せに結びついているとは言えないことが指摘できる。なぜならば、それらはあくまでも親の立場から提出された意見であり、そこに、血のつながりのある家族関係を是とする認識が埋め込まれている可能性を否定することができないからである。歴史を遡れば、実子が、家の血縁や家督相続のために、また、より欧米的な近代家族制度では夫婦の愛情に基づく家族の不可欠な構成員として必要とされた時代があった。この流れを汲みながら、実子を絶対必要条件とする家族理念の制度は、日本社会の近代化過程における家族制度の一貫した全体的傾向として、非血縁者を家族構成員に加える選択肢が排除されるかたちで進んできたとされる(田間, 2001)。こうした背景と踏まえると、血のつながりのある実子をもつべきとする暗黙の社会的要請が、AIDを受ける夫婦の認識を形成している可能性を考慮に入れる必要があるだろう。すなわち、AIDを受ける親の考えだけを聴取するのではなく、子どもの視点を組み込んでその経験を捉えることが重要だと考えられる。なお、本稿で扱う「子どもの権利」について、それが「子どもの立場である人の、出自を知る権利」であることを改めて確認しておきたい。AIDで生まれた人々が、隠蔽されていた出自の事実を不意に知ることで、秘密にされていたこと自体に強い不信感を抱いたり、自分の存在を否定的に捉えたり、アイデンティティが根底から覆される経験に苦悩した現実を踏まえると、「出自を知る」ことが、その人の生を根本的に支える重要な基盤となることが推測できるだろう。その意味で、出自を認識していることが、子どもの視点、つまり、子どもの立場にある当事者の視点からどのような意味をもちうるのかを把握することは重要だと考える。また、上でみたように、「出自を知る権利」に付随して、「子どもへの告知」が検討すべき課題として浮上してくることも明記しておきたい。

表1

1.2  目的

 以上より、AIDを受けた経験のある女性へのインタビューを通じて、血縁にこだわらない家族関係を築こうとする経験を、子どもの視点を取り込みながら時間経過のなかで捉えることを目的とする。

第2章  方法

2.1  協力者

 AID治療を受けた経験のある女性Oさんである。この女性は、結果としてAIDは成功せず、治療をやめた後に養子の委託を受けて特別養子縁組をしている(表2)。よって、子どもの視点を取り込むことについては、特別養子縁組をした子ども(Pちゃん)の視点ということになる。なお、Oさんは、AIDや養子縁組によって子どもをもとうと試みたが、始めから親子の血のつながりにこだわりがなかったというわけではない。AIDは、当時の技術水準では他に方法がない状況下で選択した治療であり、養子縁組に関しても、AIDを繰り返し受けても子どもが授からず、夫婦での生活に戻るという行きつ戻りつする過程を経て浮かび上がってきた選択肢である。こうしたOさんの、血のつながりのない家族関係を築こうとするありさまを捉えることは、AIDであれ養子縁組であれ、それにより授かった子どもとの家族関係の築きや家族における血のつながりというものを検討するに際し、重要な示唆を与えてくれると考える。

表2

2.2  語りデータの収集

 インタビューは、協力者の自宅で筆者自身が行った。質問項目は、子どもをもつこと望んで治療を開始して以降、現在に至るまでの家族関係を築こうとしてきた経験、ならびにその経験に基づく考えを聴取できそうなものを準備した2)。そして、質問項目を事前に協力者に伝えたうえで、順不同で話していただいた。内容は、許可を得てオーディオテープに録音し、全てを逐語録に書きおこした。インタビュー前後の雑談を含めて全体に要した時間はおよそ1時間30分であり、それら全てを分析対象とした。

2.3  語りデータの分析

 語られた内容を把握するためには、膨大にある語りデータを凝縮したり一部を取り出すことによって提示することができるKJ法(安藤, 2003)が有効であると考え、その手法に準拠した。まず、1つの意味を含む文章のまとまりを1つの単位として区分し、68個の語りを得た。次に、どのような経験が語られているかという観点から似ている語り同士をまとめ、最小単位の小グループを作成した。ここで29個の小グループが得られた。そして、各小グループに、語られた言葉を生かしながらその内容を端的に表す見出しを付け、さらに統合できるもの同士をまとめて中グループを作成した。この段階で、14個の中グループが得られた。同様に、各中グループに適切な見出しを付けて再度グループ編成を行い、もはやそれ以上統合することができないと思われる7個の大グループにまとめあげた。

第3章  結果

 大グループは、a.普通の家族関係を意識させられることによる葛藤、b.処置としてのAID、c.生活スタイルへの視座、d.血のつながりのない親子関係構築への展望、e.血縁関係のない親子の認知度の低さによる苦痛、f.治療技術の高度化への羨望と期待、g.地域社会から疎外されたくない思い、である。大グループとその下位グループである中グループの関係は、表3の通りである。まず、Oさんの経験を構成する大グループと中グループを時間経過のなかで捉え、その相互関係を概観したい。次に、Oさんがいかにして家族関係を築こうとしているかという観点から、大グループごとに個々の経験を明らかにする(図1参照)。なお、本文中では、大グループは【 】、中グループは〔 〕、そしてOさんの語りは「 」で示している。

3.1  経験を構成する大グループと中グループの関係性
    −時間経過における、不妊治療と養子縁組への関わりを軸にして

 〔夫婦単位での生活の想定(c-1)〕は、治療を開始するも、検査結果から子どもは無理だと医師から告げられた時点でOさんがとろうとした態度である。その時点でOさんは、治療をせずに、夫婦2人の生活に目を向けようとした【生活スタイルへの視座(c)】。しかしそう考えるのも束の間、Oさんは、〔子どもを産むのが普通とされることへの苦痛(a-1)〕を強く感じ、そうした【普通の家族関係を意識させられることによる葛藤(a)】を突きつけられることにより、Oさん自身としては選択肢に入れていなかった非配偶者間の治療であるAIDをすることに決めた。それ以降、【普通の家族関係を意識させられることによる葛藤(a)】が、その内容を変えながらも折に触れてOさんに経験されるものとなっているのは、着目すべき点である。なお、その決意には、〔不妊原因である夫の辛さへの配慮(b-1)〕が影響していることを見過ごすことはできない。Oさんは、同じく【普通の家族関係を意識させられることによる葛藤(a)】に苦しんでいた夫の思いを酌み、その申し出を受けてAIDをすることを選択したのだ。しかし、AIDを受ける過程では、それが治療というよりもむしろ単なる流れ作業のようなものとして経験され、〔特殊なものとして感じられるAID治療への違和感(b-2)〕は強まるばかりだった。こうした状況下では、次第に〔治療を続ける気力の減退(b-3)〕が増し、AIDを継続しようとする気持ちは萎えていくばかりであった【処置としてのAID(b)】。そしてOさんは、改めて夫婦単位での生活を考え、治療をやめたのである〔夫婦単位での生活の想定(c-1)〕。その後しばらくは子どものことを考えずに、夫婦2人での生活を楽しみながら暮らしていたが、〔子どものいる生活への憧れ(c-2)〕が不意に生じるのも事実だった【生活スタイルへの視座(c)】。そうした思いが次第に膨れあがりつつある時、偶然養子縁組が身近なこととして意識される出来事があり(3.2, cにて後述)、その後、養子縁組を試み、養子の委託を受けることとなった。
 子どもを迎えた直後は、〔養子を育てることに向けられるまなざしの居心地の悪さ(a-2)〕を感じることがしばしばで、治療時とは異なる形で【普通の家族関係を意識させられることによる葛藤(a)】に悩まされた。しかし現在は、子どもと一緒に生活する経験を通して、〔血のつながりにこだわらない親子関係への開眼(d-1)〕、さらには、こうした親子関係を〔社会に知らせたいという意気込み(d-2)〕が芽生えてきてもいる【血のつながりのない親子関係構築への展望(d)】。つまり、子どもとの生活はOさんの意思を方向づけ、同時に、【普通の家族関係を意識させられることによる葛藤(a)】を払拭してくれているのだ。ただ、実際には、〔社会に知らせたいという意気込み(d-2)〕を行動に移すことは困難なようである。なぜならば、子どもであるPちゃんが、親と血がつながっていないことを人に知られたくないと、明確に意識し始めているからである。血縁関係のない親子に対する社会的理解度が低い現状は、Pちゃんにとっても辛いこととして経験されているのだ。つまりOさんは、〔子どもの辛さへの配慮(e-1)〕により、社会に訴えかけたいけれども、その思いを行動に移すことができないという葛藤状況に陥っているといえる。ただし、こうした葛藤は同時に、血のつながりのない親子関係についてより多くの人に知ってほしいという思いの原動力にもなっている。自分自身が訴えていくことは現段階では憚れるものの、血のつながりのない親子関係を築くことについて、〔認知度向上への切望(e-2)〕は膨れあがっていく。すなわち、それは、【血のつながりのない親子関係構築への展望(d)】と【血縁関係のない親子の認知度の低さによる苦痛(e)】とがせめぎ合うなかで生じる願望であるということができる。その一方で、子どもの辛さに配慮することを通じて改めて、【普通の家族関係を意識させられることによる葛藤(a)】を感じざるを得ないのも事実である。こうした状況下では、〔周囲と同じ流れの中で生きたいという願望(g-2)〕が生じ、さらには、時として〔産みたかったという残余の念(g-1)〕に揺り戻されることもあるようだ【地域社会から疎外されたくない思い(g)】。このように、やむおえず周囲に自らを合わせて生活しようと志向する様は、【血のつながりのない親子関係構築への展望(d)】とは相反するものとして語り出されているといえる。また、Oさんは現在、治療からすっかり離れた生活をしているのだが、こうした様々な思いに揺れるなかでは、〔治療技術の高度化への羨望と期待(f-1)〕が連鎖的に吐露されたりもした【治療技術の高度化への羨望と期待(f)】。
 このように、現在もOさんは、【普通の家族関係を意識させられることによる葛藤(a)】を痛切に感じながら、子どもを産むことや治療技術の高度化に時に羨望の思いを抱きつつ、他方で、血のつながりのない家族関係を築くことについて様々な思いを複雑に交錯させ、自分自身の志向する方向性を模索し確認しているように思われた。

表3

3.2  語られた経験の全体像
   −いかにして家族関係を築こうとしているかという観点から

a.普通の家族関係を意識させられることによる葛藤

 結婚して子どもを産むことは、個人の発達過程におけるひとつのありさまとして了解可能なことである。しかしそれが、普通の当然歩むべき道筋として認識された途端に、堅苦しいものとして感じられることがある。とりわけ不妊に悩む人にとって、たとえ何気ない言葉であったとしても、子どもはまだかと問われることが苦痛として感じられる場合があり、Oさんにとってその言葉は「グスグス刺さる」ものとして経験されていた。
 また、治療をやめて子どもと暮らす現在の生活でも、治療時ほど苦痛を感じるわけではないにせよ、子どもを産んで当然とする認識の存在を意識せざるを得ない時があった。たとえば、Pちゃんが養子縁組によってO家にきたことを知らない人々から、Pちゃんのために2人目を産むようにと指摘されることで、子どもを産んで当然とする社会通念を改めて突き付けられたという。Oさんは、「だからほんま、延々と続くのかなと思ってね」としみじみ語る。もちろん、Oさんが子どもを産みたくても産むことができないのだということを、他人が知ろうはずもないだろう。しかし、そうしたことが推し量られることがない程に、女性は子どもを産むことができるということが、世間一般には普通のこととして認識されているといえるのである(〔子どもを産むのが普通とされることへの苦痛(a-1)〕)。
 また、血のつながりのない子どもを育てることについても、地域の人々から向けられる物珍しそうな視線によって、普通とは異なる親子関係を築いていることを意識させられたという。Oさんは、養子縁組により迎えたPちゃんを外に連れて歩いた時、「子どもが来てよかったね」と声をかけてくる人々の言葉の裏に、「難しいのに、他人の子どもまで育てて」というお人好しだと嘲笑うかのような、あるいは非難や蔑みともとれるような含みを感じたという。こうした視線や言葉かけも月日の流れと共に次第になくなっていったが、子どもは産んで育てるのが普通で、血のつながりのない親子関係を築こうとするのは「少数派」に過ぎないのだとする雰囲気を感じ、今でもOさんは漠然とした居心地の悪さを拭い切れないでいる(〔養子を育てることに向けられるまなざしの居心地の悪さ(a-2)〕)。

b.処置としてのAID

 検査結果より子どもは無理だろうと医師から告げられた時点で、Oさんは、仕方がないと思って子どもを諦めた。AIDという方法があることを知っていたが、非配偶者間の治療をするつもりはなかったので、夫にはAIDのことを相談せずにいた。しかし実際には、夫の方から、AIDを受けてほしいという申し出があったという。不妊原因が男性にある場合、当時の技術水準ではAIDという方法しかなかった。夫は、自分が原因で子どもをもつことができないことを気にし、仕事仲間から子どもはまだかと言われるたびに辛い思いをしていたようだった。Oさんはそんな夫の気持ちを慮り、AIDを受けることを決め、また、子どもがほしいという気持ちを口に出さずに胸の奥に秘めたという。
 このことは、夫の男性性への脅かしとその辛さに対する妻の配慮という、男性不妊の特徴を浮き彫りにしている。また、多くを語らずに目を潤ませるOさんの表情には、夫への配慮に加え、「AIDに行ってくれへんか」と夫から言われた時の複雑な思いが凝縮されているように感じられた。AIDという治療を選択するに至るまでに、夫と妻とがそれぞれに思い悩んだことが、Oさんの訥々とした語り口からうかがい知れた(〔不妊原因である夫の辛さへの配慮(b-1)〕)。
 それにしても、3年間AID治療に通ったOさんの、「治療自体はあまり長いこと行っていない」という語りは印象的である。Oさんにとっての治療期間とはAIDをするまでのことであり、つまりOさんはAIDを治療とは見なしていないのである。Oさんにそう思わしめる理由のひとつに、AIDという医療行為の独特な有様があげられる。Oさんの、「流れ作業」だとか「機械的」だとかいうAIDを形容する言葉は、OさんがAIDを特殊なものと認識していたことを端的に示している。また、不妊原因ではない自分がAIDを受けなくてはいけないことが、治療としての感じられなさを強めていたと考えられる。Oさんは、こうした違和感を抱えつつもAIDを受けるために病院に通い続けたのだが、その行動を支えていたのは「子どもがほしい」という思い−夫への配慮ゆえに生じた気持ちでもある−だけだったという。なお、ここでは加えて、医療の有り様という社会背景に目を向ける必要があるだろう。すなわち、男性不妊に適応されるAIDという治療の存在が、「子どもがほしい」と思うOさんの選択を後押ししていた現実を見過ごしてはならないのである(〔特殊なものとして感じられるAID治療への違和感(b-2)〕)。
 ところで、なかなか子どもができない現実は、いつまで病院に通い続けなければいけないのかという不安を募らせ、AIDを受ける気力を萎えさせた。Oさんは、1年に5,6回、多い年で10回程度、遠方の病院に通い続けた。金銭的にも時間的にも負担は大きく、「3年して(子どもが)できないのだったらもうできないのかもしれない」と諦める気持ちが生じつつある頃、義父の死をきっかけに身辺が忙しくなり、病院に通うのをやめてしまったという。このように、環境の変化によって治療をやめたことが語られることは、何を意味するのだろうか。治療に通い詰めたそれまでの長い年月と対比させると、より一層関心が喚起される。子どもを産むことを諦めきれない思いと治療への期待感−AIDという治療方法の存在が拍車をかける−、治療に通い続ける気力が萎えていく現実、いつ子どもができるのか予測しえない悶々とした状態、こうした連鎖的に生じる感情の揺らぎと葛藤が渦巻く状況に環境の変化を差し挟むことによって、Oさんは、AID治療に終止符を打った自分の選択に正当性を与えているのかもしれない〔治療を続ける気力の減退(b-3)〕。

c.生活スタイルへの視座

 そもそもOさんは、初めはそれ程子どもがほしいと思っていなかった。また、子どもは無理だとわかった時点で、仕事をしたり夫婦2人で楽しむ生活を考えた。「自分で選んで結婚したんだから、子どもができないっていうので、まさか別れるわけにはいかんしね」という語りは、子どもがいなくても、夫婦単位で家族関係を築く心づもりをしていたこと示すものだろう。ただし、そうした思いは、周囲からの子どもはまだかという指摘によって激しく揺さぶられた。「自分が諦めたかって人からどんどん言われるからね。その色んなことがね、それが辛いばかりですわね」と語るように、自分の思いだけでは子どもをもたない生活を選ぶのが困難であったことがうかがえる。そうした周囲の言葉かけの背後には、子どもを産むのが普通だとする認識が、社会に流布していることが推測される(a-1)。 治療をやめてから数年間は、再び夫婦での暮らしに目を向けることとなる。Oさん夫婦にとって、子どもを産んで当然とする社会通念や、出産の可能性を多少なりとも高めるAIDという治療が存在しなければ、子どもをもたない夫婦2人の生活もまた、夫婦のありようとして認識されていたものと思われる〔夫婦単位での生活の想定(c-1)〕。
 さて、ただし、子どもがほしいという願望は時として周期のようにやってきた。「なにか足らんのですね、やっぱり。なんぼ夫婦で、たまにはおんなじとこ行ったかってね。だから、寂しかったですね、やっぱり」という語りには、夫婦2人の時間を楽しむ暮らしに意味を見出しつつも、子どものいる生活を憧れる気持ちがOさんのなか沸々と湧き出ていたことがよく表現されている。そんな時に、「養子っていうのがフワッと浮かぶ」ような出来事に遭遇した。身内の結婚式で親戚が集まった時に、養子を育てている親戚に出会ったのである。そのまだ幼い子どもを見た瞬間に、「あっ、すごいなんかいいねんなぁ」と初めて思ったという。そして、そうした養子に向かう気持ちを、夫もまた同様に感じていたという。「あの子ども見てね、どない思った?(中略)なんか私、いけるんちゃうんかなっていうふうに思ってん」と尋ねると、夫からは「俺もそな思った」という返事が返ってきたのだ。なお、それまでに、養子を育てている親戚がいるという話を耳にしたり、治療中に、養子縁組という方法もあると母親から言われたこともあったが、その当時は眼中になく、気にも留めなかった。それだけにこの出来事は、意識が転換する契機として語り出されている点で、興味深いものであるといえよう。Oさんは、この出来事を、「すごいなんか不思議な」経験だったと語っている。
 子どものいる生活を望む気持ちがあり、そこに偶然の出来事に遭遇した経験−子どもをもつことについて夫と考えが一致したことは、AIDを選択した時の夫婦間での気持ちの微妙なずれと対比させると、より感慨深い経験として認識しうる−を重ねて語ることで、Oさんは、養子縁組に向かった自らの行動を説明している。とりわけOさんは、「それ(子どものいない寂しさ)がやっぱり、あれかなぁ。パッと(養子縁組がいいなと)思った時のあれなんかな」と、子どものいる生活を憧れた自分自身の思いに、より重要な意味をもたせている。このように、当時の自身の心理状態が養子縁組みを考える契機となる出来事を引き寄せ、養子縁組という行動に向かわせたとする語りには、子どものいる生活を切望した自分自身の思いの強さの意味とそうした生活から受けている恩恵に対する、Oさんの思い入れがよく感じられる。なお、子どものいる現在の生活を展望するに際し、養子縁組を基軸にしたこうした語りは、子ども−もはや血のつながりには関係ない−を、単調な日常に新鮮さ吹き込み、夫婦関係に変化をもたらす存在として登場させる役割を果たしているといえる。ここを起点にして、Oさんの語りは、子どもに関することを組み込みながら展開していく〔子どものいる生活への憧れ(c-2)〕。

d.血のつながりのない親子関係構築への展望

 「子どもってやっぱりいてていいんですね」と、Oさんは、血のつながりを超えたところで子どもの存在に意味を与えるような語りを吐露される。それは、Pちゃんと暮らす日常で感じられる、生活面での肯定的な変化に基づくものなのだろう。夫はPちゃんに接する経験を通じて、子どもとの関わりを苦手としていたそれまでとは一転し、子どもへの態度が柔らかくなった。また祖母も、血のつながりに関係なくPちゃんのことが心底かわいいと言っているという。そして何よりもOさん自身が、Pちゃんと一緒に暮らすなかで多くのことを教えられていると語る。
 養子縁組を意識し里親登録をしてからPちゃんがO家にやって来るまでに、1年もかからなかったのだが、Oさんは子どもとの出会いについて、「運が。やっぱり縁なんですよ、これははっきり言ってね」としみじみ語る。子どもとの関係性の結びについて、「縁」であり「相性」であり「一緒に暮らした年月」であると語ることで、Oさんは、親子関係のありようは血のつながりに依存するとは限らないということを、自ら再確認しているように思われる〔血のつながりにこだわらない親子関係への開眼(d-1)〕。
 さて、Oさんは、血のつながらない親子関係があるということを、社会に広く伝えていきたいと熱く語る。なぜなら、その認識が社会に普及していないことで、自分たち当事者にとって辛い状況が生み出されている現実があるからである。また、治療についても社会に知らせていきたいというが、そうした意気込みには、諸事情によりAIDを選択せざるをえなかった苦々しい治療経験が関係しているのかもしれない。なお、「やっぱり色んなことを変えていってあげないと、辛い思いをするのは子どもだから」という語りが示すように、Oさんは、社会の固定化した価値観が、とりわけ子どもに及ぼしうる影響に心を砕いている。つまり、子どもの辛い経験を配慮することで、Oさんの語りが展開しているといえるのである〔社会に知らせたいという意気込み(d-2)〕。

e.血縁関係のない親子の認知度の低さによる苦痛

 しかし実際には、Pちゃんと血のつながりがないことを、学校でオープンにしてはいない。それは、Pちゃんが、先生や友達に知られることを嫌がっているからである。Oさんとしては、学校の先生に事情を把握してもらう方が、Pちゃんにとって少しでも楽な状況になると思うのだが、Pちゃんが拒否する以上は先生にも言えないという。つまり、Oさんの、血のつながりのない親子関係の存在を伝えていきたいという意気込みは、他者に知られたくないと切に訴えるPちゃんの辛さを慮ることで、すっかり弱められているのである〔子どもの辛さへの配慮(e-1)〕。
 ただし、そうしたPちゃんの辛さを推し量るからこそ、Oさんが、血のつながりのない親子関係の存在を社会に知らしめたいという思いを強くするのも事実である。それは、「本当は、色んな親子があるのも学校で言って欲しいんですけどね」という葛藤を含んだ語りに表れているだろう。血のつながりのない親子関係について伝えていきたいが、伝えることでPちゃんの辛さが増してしまうという感情のせめぎ合いを感じながらも、多様な親子関係についての認識を社会が深める必要性を、静かにしっかりと語っているのである。このようにOさんは、様々な思いを複雑に交錯させ、堂々巡りのような語りを繰り返しながら、「辛い日々が、まだ多分延々と続くんでしょうね。世間がそういうことを認知し、一般的なことにならない限りね、やっぱり」と、社会が認知度を高めてほしいという切実な思いを、絞り出すようにして語られた〔認知度向上への切望(e-2)〕。

f.治療技術の高度化への羨望と期待

 さて、Oさんが治療をしていた当時と比較して、現在の治療水準は、体外受精、顕微授精と大きく進歩している。こうした高度化の過程を見てきたOさんは、技術的に不可能なことが多かった当時を思い起こしながら、「今の人はいいなぁって、色んなことが試せてね」と羨ましそうに語る。医学が進み、世間では、その是非について様々な議論が交わされたりもする。しかし、AIDまでしか試すことのできなかったOさん夫婦にとって、体外受精や顕微授精を試みることができる現在は、「いい時代」として認識されているようである。「だから羨ましいですね。私がもう10年若かったら、今の時代やったらね、絶対産んでるやろなと思ってね」と、治療をやめて10年を過ぎた現在において、仮定法の語りによって治療技術の高度化に羨望と期待が寄せられるということ、このことは何を意味しているのだろうか。

g.地域社会から疎外されたくない思い

 「ズーッとやっぱり、それはなんか引きずるかな、もう死ぬまでね。だからやっぱり産んでみたかったというのが本音やね」という語りには、Oさんの、子どもを産みたかったという思いがよく表現されている。Oさんは現在子どもと暮らす生活をしているが、そのことと子どもを産んだ経験があるかとは、別問題ということなのだろうか。もちろん普段から常に意識しているわけではない。しかし、不意に「産んでみたかった」という思いが蘇るのであり、こうした今に引きずる願望が、治療技術の高度化に対する羨望や期待に影響を及ぼしていると思われる。なお、「違うねやっぱり。みんなとは色んなものに対して」という語りが示すように、この願望は、他者との関わりにおいてより強く意識されているようだ。つまり、みんながしている子どもを産むという経験をしていないことで、自分が他の人とは根本的に違ってしまっていると痛感され、その思いが「産んでみたかった」という語りとなって表出されたと考えられる。〔産みたかったという残余の念(g-1)〕。
 とりわけ、「私らがAIDをしたら、せめて世間近所にはそこまでわからないからね」という語りは象徴的である。秘密にすれば、少なくとも世間的にはそうした治療−提供による治療−をしたことがわからずに、他者から祝福の言葉を受ける経験ができたのに、ということなのだ。Oさんは、「ただそれだけですね。一番、経験っていうか。世間の、地元の、地域の中に、入っていきたかったっていうのが」と、周囲のみんなと同じ経験をしたかったとしみじみ語る。子どもはまだかと冗談交じりに言われた苦々しい経験とはまた異なる形で、世間でいう当たり前とは異なる親子関係であることを再認識し続けている。
 おそらく、こうした、「産んでみたかった」とか「みんなと同じように生きていきたい」という願望には、血のつながりのない親子関係を築くことに関わって時に直面させられる、普通とは違っているという疎外感が影響していると思われる。確かにOさんは、血のつながりのない親子関係について、社会に伝えていきたいという意思を明確にし、また、養子縁組で子どもをさらに迎え入れて育てたいという望みを持っている。しかし同時に、産むのが当たり前とされ、血のつながりのない親子関係についての認知度があまりに低い現状ではますます世間を騒がせるだけだろうと、懸念を示してもいる。そして、今の生活をできるだけ乱されないように、地域から浮いてしまわないようにと心がけるばかりだという。「今の平和な生活でいいかなぁと思って諦めてね、生活してますけどね」という語りには、血のつながりのない親子関係について社会に伝えていきたいという思いと地域の人々と同じ流れの中で生きていきたいという思いの狭間で葛藤し、結局は「ここでは言えない」という結論に至ってしまう複雑な心情が凝縮されているように感じられた〔周囲と同じ流れの中で生きたいという願望(g-2)〕。

第4章  考察

4.1  「普通」の家族関係というもの

 以上より、Oさんの語りが、【普通の家族関係を意識させられることによる葛藤(a)】を基軸にして展開していることがみてとれるが、ここでは、それがどのようなものとして経験されているかについて改めて検討する。なお、治療と養子縁組とでは子どもをもつことに関する意味づけに違いがあるといえ、よって、一旦それぞれに分けて考えたい。  治療をやめるまでについて、それは、結婚したら子どもを産んで当然だとする社会通念と関係しており(a-1)、治療を開始し継続する行動に働きかけるものとなっている。治療のなかでも特に、秘密保持を前提に行われてきたAIDには、血のつながりのある実子を産むのが普通だとする認識が強く影響を及ぼしているといえるだろう。「世間近所にはそこ(AIDをしたこと)までわからない」と考えるのは、Oさんに限らずAIDを選択する人々の本音であると推測される。確かに、口を閉ざしてしまえば血のつながりのないことが周囲に知れ渡ることはないかもしれない。しかし、是が非でもAIDで子どもをもった事実を隠し通そうとすることは同時に、自分達が普通の親子関係ではないと自ら認めることにもなる。つまり、AIDで子どもをもつ人々は、秘密保持を固守する程に子どもを産むのが普通だとする認識を内面化し、その苦しみに縛られることになる。普通と認められないことに対する苦痛を払拭すべく始めたAIDによって、かえってそうした苦悩に拘束されるのは皮肉なことである。なお、AIDを選択する行動が、AID治療という医療行為の存在に支えられていることは、繰り返し指摘すべき点である。
 養子を迎えた後は、普通の家族関係を意識させられることによる葛藤は、血のつながりのない子どもを育てることで突きつけられることとなる(a-2)。Oさん夫婦は、養子縁組を試みようと決意した時点で既に、血のつながりのない親子関係を築くことを乗り越えていくべきこととして認識していた。子どもを迎えた当初は、他者から投げかけられる物珍しそうな視線に肩身の狭い思いをしたが、子どもと暮らす日々の生活を通じて血のつながりへのこだわりのなさはより明確なものとなり、血縁のない親子関係の存在を社会に訴えたいと考えるに至っている。ただし、時に、地域の人々と同じように普通に暮らしたいという願望に揺り戻されるのも事実であり、そうした葛藤の存在は、Oさんが現在でも、自分の築く家族関係が普通であるか否かを強く意識せざるを得ない状況にあることを、端的に示しているといえる。
 それでは、「普通」とは一体何なのだろうか。日本社会の近代化過程において、「性」と「愛」と「結婚」が一致すべきとの規範が普及し(白井,2004)、血縁を重視する歴史的な流れと子どもを夫婦の愛情の証とする欧米的な風潮とを取り込んだ多層的家族制度の下で、不妊家族は多層的に逸脱性を帯びさせられてきた(田間,2001)。とりわけAIDを受ける夫婦には、生まれてくる子どもとの間に血縁上のつながりが通常ではない−父親とは血縁がない−ために、その逸脱性が強められてしまうことは想像に難くない。もちろん、AIDで子どもを授かった夫婦がその事実を子どもに知らせることを拒否するのは、子どもや家族の幸せを考てのことであり、単に体面を保つためだけではないだろう。養子縁組で親子関係を築く人々の、子どもへの告知についても同様のことがいえる。しかしいずれにせよ、ここで留意すべきは、家族間での血のつながりを「普通」とする認識が、その逸脱性を払拭すべく血のつながりのある家族像を追い求めようとする当事者家族に、逸脱感や疎外感をより一層強めさせるという悪循環を生み出していることなのである。

4.2 血のつながりがない家族関係を、家族のひとつのありようとして

 さて、こうした【普通の家族関係を意識させられることによる葛藤(a)】に悶々とする語りとは相反する、自らの態度を明確に方向付けるような語りからは、苦悩するばかりではないOさんの毅然とした意思が透けて見えてくる。ここでは、【血のつながりのない親子関係構築への展望(d)】に着目し、養子縁組とAIDとの違いに触れつつ、血のつながりのない親子関係の結びと子どもへの告知について考えたい。
 Oさんは、親子関係のありようは血のつながりに依存するとは限らず、一緒に暮らした歳月が親子にすると明確に語っている(d-1)。実際、幼い頃からPちゃんに自分たちとは血縁関係がないことを伝えており、そのおかげでPちゃんは、年齢相応に出自に関する理解を深めていくことができた。もちろん、血のつながりがないことを知っていたがための辛い経験もあった。また、成長に伴い、知識や思考力を身につけたり人間関係が複雑になることを考えれば、Pちゃんが出自にまつわる苦痛を経験することは今後も十分にありえるだろう。しかしだからといって、子どもへの告知が即座に否定されるものではなく、むしろ着目すべきは、困難に直面するたびごとに親子間で苦悩を分かち合い、血がつながっていなくても親子であると確認し合ってきたことなのである。そうしたひとつひとつの経験が、Pちゃんが自分自身や両親との関係や家族のありようについて、様々な思いを巡らしつつ考えを深めていく貴重なきっかけになっていたと考えられる。つまり、Pちゃんが出自に関する告知を受けていたことが、自己についての洞察を深めたり、血のつながりがなくても親子であるという認識を培っていく、重要な基盤になっていると推察される。
 ところで、AIDが実施の事実すら秘密にすることを前提になされてきた一方で、養子縁組に際しては、養親となる夫婦に対して子どもに告知することの必要性が説かれることが多い。実際に、子どもへの告知の重要性を認識している養親は多く、家庭養護促進協会大阪事務所が委託した140家庭を対象に実施したアンケート調査(家庭養護促進協会大阪事務所実施,特別養子法が施行された1988年1月から1994年7月までに特別養子縁組が成立した家庭を対象とし、114家庭から回答,1995年実施)では、一般論として「うちあけた方がいい」と答えたのは約6割、「うちあけない方がいい」は約1割だった。そのなかで実際に「告知をした」のは約3割だったが、「告知をしていない」85ケースについて、「今後告知するつもりである」と答えたのは約6割であった。そして、告知後の子どもの様子について、「以前とかわらない」と「当初はこだわっていたが戻った」を合わせると7割を超えており、約8割の家庭が「うちあけてよかった」と思っているという結果が報告されている(岩崎,2004)。
 ここで翻ってAIDで生まれた子どもに目を向けると、血のつながりの有無に関わって、アイデンティティや家族関係を築くことがより深刻な課題として浮かび上がってくる。それは、AIDで生まれた子どもが、その出自の事実すら隠されてきたことに起因するといえるだろう。もちろん、こうした解釈が、AIDで生まれた事実を子どもに告知すべきだとする結論を即座に導くものではないかもしれない。しかし、AIDで生まれた子ども自身による訴えかけは、AIDにおける告知のありかたについて、子どもの視点を取り入れつつ根本的に問い直すことの重要性を提起しているといえる。
 それにしても、AIDと養子縁組とで、その親子関係が非血縁であるという点では同じであるにもかかわらず、親となる人の、子どもへの告知に関する認識や態度に相違がみられるのはなぜなのだろうか。それは、AIDが、そもそも医師との間でその実施の事実すら秘密にすること−そしてそれは、血縁関係を家族の成り立ちの要件とする固定観念と、強い結びつきがあるといえる−を前提になされてきた現実を踏まえることで、明確になると考えられる。長沖(2005)は、オーストラリアで実施した、AIDで子どもをもった人への真実告知に関するインタビュー調査から、当事者夫婦が告知を決定することに、医師やカウンセラーの告知に対する考え方が大きく影響しているとまとめている。この報告は、養子縁組において、養親となる夫婦に対し、縁組を選択する過程で子どもへの告知の必要性を繰り返し説くことで、「うちあけた方がいい」と考えるに至る夫婦が増えている現実によっても支持される。岩崎(2004)は、親がその子どもの存在をどれだけ価値あるものとして受け入れているかが大事なのであり、告知はそれを伝えることであるという見解から、養親となる夫婦に子どもへの告知を推奨しているのだ。要するに、AIDにせよ養子縁組にせよ、援助の最前線にいる人物が告知にどのような姿勢で臨んでいるかということが、血のつながりのない家族関係を築こうとしている夫婦の子どもへの告知に対する態度のあり方に、多大な影響を及ぼしているということができるのである。加えて、子どもへの告知に関する認識の違いには、子どもの法的位置づけがきちんと整備されているか否かということも関係していると思われる。つまり、養子に関しては1988年より、家庭に恵まれない子どもに温かい家庭を与え、その健全な育成を図るという、子どもの利益を図るための制度として特別養子制度が新設されている(岩崎,1997)一方で、AIDについては、それによって生まれてくる子どもの法制度的受け皿が不十分であるのは1.1.2でみた通りである。このことを踏まえれば、子どもへの告知を検討するに際し、法律面からの保護的な枠組も必要であることが指摘できるだろう。
 そして、告知を受けていることが子どもにとってどのような意味をもちうるかということを検討するにあたっては、血のつながりがないことを告知しつつ家族関係を築こうとする養子縁組の事例が貴重な観点を与えてくれるのであり(富田,2005)、本稿で明らかにしたPちゃんの視点を取り込んだOさんの語りも然りだろう。このように事例を読み解くことが、血のつながりにおいて普通とは異なる親子関係を築くに際して遭遇しうる困難を把握し、出自の事実を子どもに告知することの是非を含め、告知の時期や方法を検討するための重要な示唆を与えてくれると考えられる。また、こうした事例を社会に提示するひとつひとつの積み重ねが、家族や親子のありさまを拘束しかねない固定観念を突き崩す、着実な歩みになりうることが期待される。

4.3 語りの揺らぎと多声性の射程

 それにしても、Oさんの語りが、【普通の家族関係を意識させられることによる葛藤(a)】に代表される、いわばどこへ向かうともわからないはかなげな揺らぎを伴うものと、【血のつながりのない親子関係構築への展望(d)】に代表される、社会に真っ直ぐ向かっていくような芯のある強さを含むものとがないまぜになっているのは興味深い。こうした感情の振幅が大きいともいえるOさんの語りは、どのように構成され、今後どのように変容していくのだろうか。
 ホルスタイン・グブリアム(Holstein & Gubrium,1995/2004)は、生きられた経験(Smith,1987)に関する語りが、過去に起こった出来事と結びつけられたり、その出来事について現在解釈されつつある事柄と関連づけられたり、今ここにある未来の展望と結びついたりすることにより複雑なかたちで展開し、かつ、インタビューの経過でそのつど取られる立場や視点に応じて、アクティブに形成されていくとする。こう考えるなら、Oさんの語りが、治療や養子縁組にまつわる過去の経験に結びつけたり、地域社会の中で現在経験される苦悩と関連づけたり、社会に知らせていきたいと志向する今後を展望する態度に結びつけたりしつつ、その時々でPちゃんや夫の視点を取り込みながら、多様に形成されているということができる。加えて、人が、自他と対話し出来事の筋立てや配置を変えることによって、新たな意味生成を行う(やまだ,2000)ことを考え合わせれば、異なる様相を呈するはかなげな語りと確固とした語りは今後、その構成や形態をかえながらOさんの語り全体を紡いでいくと考えられる。そして、それを繰り返し語る−自分自身に対する語りかけも含む−過程を通じてOさんは、家族における血のつながりとは何かを考えたり、地域社会の中で血のつながりのない家族関係を築いてきた今に至る経験の意味を再確認したりすることが推測されるのである。その意味では、Oさんの語りに含まれるこうした振幅の大きいともいえる揺らぎは、当然生じるべくして生じたものだということができる。むしろそうした揺れは、社会から要請される固定化した意味付与に対峙し格闘するOさんの、自分自身にとっての意味を生成しようと志向する態度と分かちがたく結びついているといえるのでないか。こうした視点から、揺らぎを含めてその多様な語りが紡がれる様を丁寧に捉えることが、当事者の立場に立った支援を考えるにあたり、基本的かつ重要な作業になると思われる。なお、夫や子どもの視点を取り込み経験を映し出したOさんの語りは、声にならない声を代弁しているという点で、増幅機能としての貴重な役割を果たしているといえるだろう。ただし、現実をより多面的に把握し、支援のありかたを検討するに際しては、夫や子どもの声を直接聴き取り、それぞれが主観的に経験していることやその思いを直接捉える試みもまた必要なことだと考える。

第5章  結びにかえて

 2001年7月より、第三者の精子・卵子・胚の提供による生殖補助医療制度の具体化が議論され始め(厚生科学審議会生殖補助医療部会,2003)、それに伴い、支援システムを構築すべく多角的な研究が行われている。岩崎他(2005)はその一環として、子どもの出自を知る権利や告知の問題を含め、支援のありかたを検討すべく調査を行っている。AIDで生まれた子どもが出自の事実を隠されていたことで抱え込んだ苦悩や、養子縁組で家族関係を築く人々の血のつながりのないことによる苦しみを考慮すれば、今後ますます、子どもを含めた当事者の立場から、子どもの出自を知る権利と子どもへの告知、血縁のない家族関係の築きなどについて検討することは重要なことであるだろう。長沖(2002)は、生殖補助医療の発展に際しては、選択肢の提示と共に、その治療法を選んだ人が何を考え、提供者になった人が何を訴えているかを当事者の視点から捉えることが必要だとする。子どもをもつことについての選択可能なシステム−生殖補助医療や里親制度など−によって家族を築くことを選んだ夫婦、遺伝上の親、その子どもの視点から、各々の経験や思いを複眼的に捉える試みは必須である。今後の課題にしたい。

1)2003年より、AIDに関わった当事者の現状・意識を明らかにすることを目的に調査を行っている。http://www.hc.keio.ac.jp/aid/condition.html(情報取得2005/11/27)
2)治療経験や医療従事者に対する当時の思い/周囲の人々との関係性/治療時の支え/希望する支援体制/治療技術や保険適用に関する考え/養子縁組を考えた経緯 など

引用文献

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