研究執筆活動(2005年)

標題:不妊という経験を通じた自己の問い直し過程
−治療では子どもが授からなかった当事者の選択岐路から−

Title
Self-reassessment Following Infertility: Branching Selection by Couples unable to have Children after Infertility Treatment

要約
不妊に悩む当事者は、治療技術の進歩に期待を寄せる一方で、治療そのものや不妊であることに、日常生活や人生において傷ついている。本稿では、不妊治療では子どもをもつことができず養子縁組を考えた方9組を対象に面接調査を行い、当事者の視点から不妊経験の多様性をプロセスとして捉えることを目的とした。その際、複数径路・等至点モデルという記述モデルを用いた。まず、不妊治療と養子縁組への関わり方によって選択岐路を4種類に類型化し、そのうち3類型から各1事例を抽出した。次に、3つの代表事例について、選択に纏わる語りを5次元に区分し、時間軸上に位置づけて不妊経験の径路を提示した。そして、選択の分岐点に着目し、それが当事者にとってどのような意味を帯びていたのかを記述した。最後に、複数径路・等至点モデルの意義について論じた。

Abstract
Couples suffering from infertility put their hopes in medical technology, and are willing to put up with the pain of infertility treatments and being infertile. I interviewed nine couples that were still unable to have children after infertility treatments and were considering adoption, to evaluate their experiences with infertility. Then, I used the descriptive ‘Trajectory Equifinality Model’. First, I classified four selection branch paths related to choices related to infertility treatment and adoption, and identified cases according to three types. Second, I divided the narrative related to selection into five dimensions, and indicated the trajectories of the three over time. Third, I described meanings for people considering their choices at the bifurcation points. Finally, I discuss the significance of this model.

キーワード
不妊経験、複数径路・等至点モデル、選択、意味、語り

Key words
infertility experience, Trajectory Equifinality Model(TEM), selection, meaning, narrative

第1章  問題と目的

1.1  問題

1.1.1  不妊とその治療 −見えなくさせていること−

 不妊とは、「生殖年齢の男女が妊娠を希望し、ある一定期間、性生活を行っているにもかかわらず、妊娠の成立をみない状態(単一の疾患ではない)」と定義される。生殖機能が正常な男女では、3か月以内に50%、6か月以内に70%、1年以内に90%近くの妊娠が成立するという統計に基づき、日本ではその期間を2年とするのが一般的である(日本産科婦人科学会用語委員会)。10組の男女に1組が不妊であるとされるが、これは、国政調査の資料やその他の調査(結婚2年以内に妊娠しない割合)を参考にしていると言われている(柘植, 1999)。もちろん、2年以上経てから自然に妊娠する場合もあり、また、妊娠していない状態は自然な状態でもある。しかし、20世紀以降のヒトの生殖機構の解明や技術の開発は、不妊治療の領域では生殖補助医療技術として発展し、不妊は治療の対象となり始めた。
 生殖補助医療技術とは卵や胚を体外で操作する不妊治療の総称である。1978年に英国で初めて体外受精が成功し、日本では1983年に体外受精が、1992年に顕微授精が成功した(論文末の資料参照)。1999年現在で、国内の不妊夫婦の約1/3にあたる28.5万人が不妊治療を受けていると見られており、このうち1割強は体外受精およびその関連生殖技術を受けている(江原他,2000)。その治療成績に関しては、体外受精は、採卵あたりの臨床妊娠率が19.7%、移植あたりの生産率が16.8%であり、また、年々増加傾向にある顕微授精は、採卵あたりの臨床妊娠率が21.0%、移植あたりの生産率が18.5%である。出生児数について、1999年現在で総計11,929児、うち顕微授精を用いた治療が1/3以上の4,248児で、1999年までの累積総出生児数は59,520児に達している(吉村, 2002)。
 こうした状況下で不妊に悩む人々は、治療技術の進歩に希望を託し、不妊治療で妊娠することに関心を寄せる一方、不妊であることや治療そのものに、生活や人生において挫折し傷ついているのも事実である。よって、医師が、妊娠が成立するかしないかという視点から妊娠率の向上に関心を注ぎ続ける限りにおいては、不妊であることに悩む人々が内的に経験し続けている現実が見過ごされてしまうと言わざるをえない。柘植(1996)は、患者のジェンダー観に対処する日本の産婦人科医の態度に着目し、患者が不妊であることを生活の中で悩み、不妊治療においても苦痛を受けている一方で、医師は「医療の中で、技術を用いて解決する」ことを「患者のため」と認識しており、その結果、患者-医療者間で擦れ違いが生じていることを明らかにした。また松島(2003)は、子ども同伴で不妊の自助グループに参加する人に遭遇した経験から、不妊に伴う苦しみの経験を乗り越えることと子どもができた経験とは違い、たとえ子どもができたとしても不妊である身体も傷つけられた心も変わらない場合があると指摘している。また逆に、不妊治療を受けても結局は子どもをもつことができない人も現実にいる。加えて平山(2002)は、生殖補助医療技術の高度化に伴う功罪を認識し、不妊治療について、「患者のためだからどんどん進めるべき」だとか「問題があるからやめるべき」だとかを不妊治療をする人を取り巻く他者が早急に判断するのではなく、まずは「現実」を把握する必要があると主張している。すなわち、生殖補助医療技術への期待が高まる一方で、治療技術では解決し難い不妊の悩みや技術に対する誤った認識が歴然と存在するのであり、よって、不妊経験の現実を当事者1)の視点から捉える必要があると言える。

1.1.2  当事者の不妊経験へのアプローチ

 ところで、医療人類学を主として、日常の医療の場では周辺的に扱われている「病いの経験」や「慢性状態」を、医療の中心に据えて理解していこうとする立場がある(Kleinman, 1988/1996)。江口(2000)によれば、1970年代の医療人類学でのパラダイム転換をきっかけに、現在、当初の患者-医療者関係の枠組を越えて社会的苦悩等の文化・社会的な議論へ遠心的に拡大し、他方で、臨床的にはナラティブ・アプローチを中心に、微視的・個別的で「主観的」とされる多様な疾患や経験の理解へと求心的に向かっていると言う。翻って医療においても、患者の語りに真剣に耳を傾ける姿勢や医療従事者と患者の間に交わされる親密な対話こそが医療の基本である(斎藤・岸本,2003)とするナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM)の概念が検討されている。この概念では、「患者を、物語りの語り手として、また、物語りにおける対象ではなく主体として尊重する」ことをその特徴のひとつとする。総合すれば、患者-医療者の関係性、文化・社会的文脈の双方を含めて、当事者の視点から語られる経験に着目することが重要だと考えられる。
 もちろん、不妊の経験を当事者の声から掬い上げた記録や報告は、国内外を問わずいくつか出版されており(Klein, 1989/1991;フィンレージの会,2000)、いずれも当事者の語りによる不妊の貴重な体験報告である。しかし一方で、それらは個別の不妊経験や不妊治療に対する意見が切り取られた形で報告されている感もある。また、先に取り上げた松島の研究は、不妊から出産を経た人を対象とした不妊のその後を含むものであるが、やはり、生活の時間の流れの中での生きられた経験や、人生全体に位置づけられた経験の意味は見えにくいと言える。

1.1.3  生涯発達的観点から捉えた不妊経験の意味

 そもそも不妊は、結婚したら子どもができるという社会通念によってマイナスのこととして認識されている風潮があり、不妊に悩み治療に通う理由のひとつに、そうした世間の価値意識に突き動かされるということがあげられる。しかし、そうしたマイナスでしかないと感じられる経験を積み重ねるなかで、否定的な経験が肯定的な意味を帯びることがある。やまだ(1995)は「発達における喪失の意義」を主張し、「喪失」をプラスに転換する見方や「不在」状態を積極的に評価している。また能智(2000)は、頭部外傷者の自己の捉え直しの語りのひとつに「成長した自己」を取り出し、過去の辛い経験をより良いものとみなす別の視点を獲得して、今後の自分を積極的に再構成していこうとする主体としての語りを捉えている。さらに田垣(2003)は、中途障害者の障害への意味づけに関する研究から、「喪失の意義」を捉えるには生涯発達という長期的な視点が必要だと述べる。以上の見解に基づけば、不妊であることによって苦痛を経験し停滞した時期があったとしても、長期的にはその経験が肯定的な意味を帯びて立ち現れてくることが予測されるのであり、不妊という経験を変化を含めて長期的な視点から把握することは極めて重要であると考えられる。

1.1.4  不妊経験の多様性をプロセスとして記述するために

 さて、不妊という現象は、異なる状況における個人の、子どもをもつことに関する選択に委ねられたものであると言える。このように、特有の文化・社会的背景をもつ事象に関して、人がある行動を選択する−本稿では「不妊治療をする」−ことによって生じる外的な質的変化を時間の流れのなかで捉えるのに有効な概念として、等至性(Equifinality)という概念がある(Valsiner,2001)。これは、時間の不可逆性、時代背景や属する社会集団等の文化・社会的文脈、人の生涯発達的要件が複雑に交錯するなかで、個人が決して単一ではありえない多様な経験を積み重ねていたとしても、等しく(Epui)到達する(final)通過点があることを示す概念である。この概念では、選択を一回性のものとせず、また、辿る径路は多様であることを踏まえ、人が状況に応じて選択しながら軌道修正していくことに着目する。そして、ある選択によって各々の行動が多様に分かれていく地点を分岐点(Bifurcation Point.以下BFP)、その多様な経験の径路(Trajectory)がいったん収束する地点を等至点(Equifinality Point.以下EFP)とし、佐藤他(Sato et al., 2004)はこの記述モデルを複数径路・等至点モデル(Trajectory Equifinality Model.以下TEM)として提唱している。なお、複数径路・等至点モデル(TEM)では本来的には多様性の記述をめざすが、論理的・制度的・慣習的にほとんどの人が経験せざるをえないことがあれば、その経験を必須通過点(Obligatory Passage Point.以下OPP)として同定する。さて、等至性(Equifinality)の概念をもとに、歴史的構造化サンプリング(Historically Structured Sampling.以下HSS)というサンプリング手法も唱えられており(Valsiner & Sato, 2004)、複数径路・等至点モデル(TEM)と歴史的構造化サンプリング(HSS)は共に、文化・社会的文脈を含めて発達を捉えるのに有効な方法論であることが期待される。ただし、こうした方法論の精緻化自体が現在進行中の課題であり、本稿では記述モデルである複数径路・等至点モデル(TEM)によって、不妊経験の多様性をプロセスとして扱いたい。なお、複数径路・等至点モデル(TEM)自体が新奇な概念であるので、本稿における具体的内容について、改めて表1にまとめておく。

表1

1.2  目的

以上の問題意識より、本稿では次のことを目的とする。すなわち、不妊という経験を当事者の視点から捉え返し、「子どもが欲しい」と治療に向かった人の「産む」ことと「育てる」ことに関わる認識の変容部分に焦点を当て、不妊治療後を含めて不妊経験の多様性を描き出す。そして、その変容点がどのような意味をもって当事者に立ち現れていたのかを記述する。最後に、複数径路・等至点モデル(TEM)に沿って本稿の知見を検討し、併せてこのモデルの有用性や可能性について論じる。

第2章  方法

2.1  協力者

「子どもが欲しい」と希望して不妊治療をし、しかし治療では子どもをもつことができず、養子縁組を考えた日本在住(北は山形、南は大阪に及ぶ)の9組の方である。社団法人家庭養護促進協会大阪事務所2)の電子や知人を通じて募り、協力を申し出ていただいた。協力者の内訳は、養子を育てている方5組、養子縁組を試みている方2組、養子縁組を試みてやめた方1組、養子縁組を試みなかった方1組であり(表2)、9組のうち6組は妻が、他の3組は夫婦が面接に臨まれた(表2で、語り手○○さん夫婦と記載)。

表2

2.2  語りデータの収集

 面接は、2003年3月から同年6月にかけて筆者自身が行った。協力者の事情を加味し、安心して話すことができるよう、協力者が指定する場(協力者の自宅、喫茶店)で行った。面接に用いた質問3)は、不妊経験の全体像を捉えるという意図により、不妊経験によって生じた考えを引き出すことができそうなものを含めて準備した。そして、質問項目を事前に協力者に伝えたうえで、話の流れに応じて順不同で自由に話すことができるように面接を進めた。面接の内容については、事前に許可を得てからオーディオテープに録音した。録音した内容は平均105分(最短40分、最長205分)に及び、全て逐語録に書きおこした。録音を断られた1組に関しては、面接時にとった手書きの記録を面接後すぐさま再構成した。

2.3  語りデータの分析プロセス

2.3.1  分析1 分析枠組みの設定

 不妊治療経験は不妊治療をやめるという選択によって−再開はあるとしても−いったん収束する経験であり、よって、「不妊治療をやめる」ことを等至点(EFP)に位置づけた。そのうえでデータを読み返すと、「子どもが欲しい」という想いの変化は、養子縁組への関わり方に表れていることが見て取れ、「養子縁組を意識する」経験と「養子縁組をやめる」経験に着目した。養子縁組については、おそらく多くの人がその言葉上の意味や制度の存在を知っているが、実際に試みるためには当人が現実に選択する対象として意識する必要があり、したがって「養子縁組を意識する」経験を必須通過点(OPP)とした。また、「養子縁組をやめる」経験については、実際に試みたうえで諦めてやめることをその定義とし、分岐点(BFP)として特定した。各地点について、表1に整理している。なお、本稿では分岐点(BFP)をひとつに定めたが、本来は複数存在するのであり、それゆえに複数径路・等至点モデル(TEM)は経験の多様性記述を可能にするのである。

2.3.2  分析2 類型の構築

 まず、養子縁組を意識した〔必須通過点(OPP)〕のが不妊治療をやめる〔等至点(EFP)〕前後のいずれの時期か、つまり、「治療をやめる時点で、養子縁組への関与の仕方を決定し得たか否か」で分け、さらに、その後養子縁組をやめた〔分岐点(BFP)〕かどうか、つまり「養子縁組成立、あるいは成立の可能性があるか否か」で分けて、2×2のマトリックスによる4つの型を導きだした(表3)。なお、この分岐点(BFP)は、養子縁組を試みると同時に将来的に発生しうるものである。さて、後述するように、U型のAさんは養子縁組を意識したものの実際には試みず、その意味で分岐点(BFP)は発生するはずもない。しかしそれは、類型構築が2段階をふんだ時間の流れを含むものであることによる。ここでは、「養子縁組成立の可能性が無い」という解釈により分類した。養子縁組を選択肢のひとつとして意識したとしても、身近な人物との見解の相違から養子縁組を試みない選択をする他者の存在を想定すれば、こうして導かれたU型についての理解は、夫との関係において養子縁組を諦める選択をする人への理解を深めるという点で、転用可能性(佐藤,2004)があると言える。つまりU型は、不妊に悩み養子縁組を希望するが試みることができない人々を包括した型であり、その型にあてはまる人の不妊経験における選択のありようを敷衍しうるのである。以下に、各型における不妊治療ならびに養子縁組への関与の変遷を簡潔に記す。

表3

T型:不妊治療中に養子縁組に意識を向け始め、治療をやめて〔等至点(EFP)〕養子縁組を試みる。4組該当。

U型:不妊治療中に養子縁組に意識を向け始め、しかし夫婦間で見解が一致しないために養子縁組を試みることなく、不妊治療をやめて〔等至点(EFP)〕子どもをもたない生活を選択する。1組該当。

V型:子どもをもたない生活を想定して不妊治療をやめたが〔等至点(EFP)〕、その後養子縁組を意識し〔必須通過点(OPP)〕、養子縁組を試みる。3組該当。

W型:不妊治療をやめ〔等至点(EFP)〕、その後養子縁組を意識し〔必須通過点(OPP)〕試みるが、結局養子縁組が成立せず、養子縁組をやめて〔分岐点(BFP)〕子どもをもたない生活を選択する。
1組該当。

 さて、養子縁組成立あるいはその可能性がある、つまり、現在子どもを育てることに目を向けているT型とV型に着目すると、その違いは養子縁組を意識した〔必須通過点(OPP)〕のが不妊治療をやめる〔等至点(EFP)〕前後のいずれの時期であるかによっており、T型とV型は必須通過点(OPP)の動的性質によってのみ分類された類似型であるとも言える。したがって次章の事例提示では、T型とV型とを同種の型とみなし、そこから1事例を抽出したい。なお、このことは、不妊治療や養子縁組といった社会システムの存在と、それらに関わる個人の認識や選択との、ダイナミックな相克関係を示唆している。

2.3.3  分析3 変容プロセスの理解に向けた事例の抽

 時間軸に沿って「子どもが欲しい」という内的な想いの変容プロセスを捉えるために、B(T型・V型より)、A(U型)、D(W型)の3つの事例を抽出した(ただし、U型とW型については、そもそも1事例のみ該当)。T型・V型からは、早期に養子縁組に意識を向け始めることでとりうる行動−不妊治療から養子縁組に切り替えること−を明らかにするという意図によりT型を取り上げ、さらに、育てることについてより多く言及されている事例を選んだ。

第3章  結果

3.1 結果1 時間軸と次元の構築による理解

 3つの代表事例について、エピソードごとに不妊経験を区分し、等至点(EFP)と必須通過点(OPP)と分岐点(BFP)とに関わる経験、それらに収束していく経験、そこから分かれていく経験を抽出した。そして、語られた言葉を生かし、抽出した経験を端的に表現するような一文を考え、それを見出しとして各々の語りに付与した。
 さて、不妊経験の各エピソードは、自身の身体と結びつきの強い〈身体性〉の側面と、他者との相互作用によって認識される〈関係性〉の側面とを読み取ることができ、さらに、それぞれについて、不妊経験が意識化される接点がどこにあるかという観点からより詳細な分析を加えた。すると、〈身体性〉については自己の内面から湧き上がる感情と生命体としての肉体的現実を、〈関係性〉については、夫との間柄や医療者とのやりとり、社会的な関わりが読み取られ、順に、〈私〉〈身体〉〈夫婦〉〈医療〉〈社会〉における経験とみなした。よって、経験から紡ぎ出される語りについても同様であると考え、抽出した語りを上記の5次元に区分した。なお、各次元は相互に交錯し合うが、経験が意識化される接点としての影響がより強いと考えられる次元に各語りを区分している。ただし、〈私〉と〈社会〉に関して、そのいずれかに分類し難いと思われる経験もあった。しかしそれについては、人の認識が文化・社会的な文脈と無関係ではありえない現実を示唆するものであると考え、よって、双方にあてはまる経験とした。そして、これらの語りを、〔不妊治療中〕〔等至点(EFP):不妊治療をやめる〕〔必須通過点(OPP):養子縁組を意識する〕〔養子縁組を試みる〕〔分岐点(BFP):養子縁組をやめる〕〔現在〕という時間軸上に位置づけ、時間軸と次元の観点から、抽出した代表事例を表4のように整理した。なお、「養子縁組を意識する」経験については、それを顕著に語ったDさんの経験の流れに基づいて、「不妊治療をやめる」経験の後に位置づけた。

3.2  結果2 不妊経験の可視化による理解

 不妊経験への理解を深めるために、3つの代表事例について、等至点(EFP)、必須通過点(OPP)、分岐点(BFP)ごとに、次元別に経験を記述する。本文中に提示したテクストは、結果1で抽出した語りからさらに一部を抜き出したものである。中略部分や説明補足部分については( )で、語り手の言葉を直接引用したものについては「 」で記した。

3.2.1  T型:養子縁組選択型

−Bさんの場合−
〔不妊治療中〕
〈私〉 子どもができにくいことに気づく
もともと生理があまりにこないほうで、きたとしても1年に1,2日であり、しかし、結婚前は定期的に生理を起こすために病院に通う程度だった。排卵等は全く関係なしに、生理がくれば子どもができる準備がされているものだと思っていた。結婚して2年ほどした頃「赤ちゃんが欲しいよなぁ」と思い、本格的に不妊治療を開始した。

〈身体〉 大変な苦痛に耐えて子どもを産もうとする
 Bさんは、注射で生理を起こし、排卵誘発剤で排卵を促し、腰に注射をして着床しやすくするという治療を続けていた。治療を開始して1年後初めて妊娠したが、7,8週程で流産した。検査によると、夫婦の血液が似ているため、妊娠しても赤ちゃんを異物と見なして流してしまうということであり、結局13回流産を繰り返した。その治療過程において、薬の副作用は大変ひどいものであり、髪の毛は抜け、足腰が痛み、お腹には水が溜まって手が後ろに回らないぐらいにバンバンに腫れた。このように身体に多大な負担をかけながら、それでも治療を続けたのは、「子どもがどうしても欲しかった」からということに加え、「妊娠できた」からだったと言う。Bさんは、妊娠について次のように語る。

もし全然できなかったら、ある程度のところでやめれたと思うんです。でも、 妊娠できるんですよね。でも流産するんです。だから、次の時には産まれるか もしれないって、ありますよね。全然できなかったら、もうね、もうちょっと 前にやめてたと思うんですけれども。流産すると、あっ、次いつから治療しよ うかって毎日、今日は流産しなくて良かったとか、あっ、今日も流産しなくて 良かったなって。変だった。

 子どもが欲しいと思って始めた不妊治療である。妊娠すれば、子どもが産まれてくることを願うのは当然だろう。ましてやBさんは、妊娠するたびに流産を繰り返していた。ただひたすら子どもがお腹の中で生きていてほしいと願い、今日は大丈夫だった、明日は大丈夫かなと、安心と不安がないまぜになった状態のまま時間を積み重ねるなかで、たとえ今回駄目でも次こそはという気持ちが自然と高まっていったのだろう。「何回も流産したから、子どもへの、欲しいっていう感情が、もうどんどんどんどん広がってって」と語るように、そうしたサイクルにおいて、子どもが欲しいという想い、産みたいという想いは膨らむ一方だった。

〈医療〉 治療技術に期待をかける
 妊娠しても子どもがいつ流れるともわからない状態であり、なんとか着床にこぎつけた後は、流産しないように入院して安静にするばかりだった。妊娠と流産を繰り返すなかで、結局は同じ治療をする他なかったのだが、遅々として進まないように思われた治療について、Bさんは次のように語る。

なんとなく同じ治療の繰り返しだったっていうこと。これが駄目だったらこれ しましょうっていう進歩がないように見えて。(中略)説明はちょっとあった けど、でもとにかくこっちは欲しいっていう感じだったから。

 妊娠できるということがはっきりしているのだから、次の段階としてすべき治療があるはずだと期待をかけるのは、子どもが欲しいBさんにとって自然な感情の流れだったのだろう。しかし、お腹の中で子どもの命が育つかどうかは、人為ではどうすることもできない領域である。治療に関して医師から説明があったようだが、Bさんには医師の説明が「ちょっと」としか伝わっていなかった。医師が説明した治療内容は、Bさんが漠然と期待する水準とはかけ離れたものだったのだ。子どもが欲しいと強く望むBさんにとって、医師の説明自体が充分に届くものではなく、双方のやりとりはきちんと噛み合っていなかった。

〔等至点:不妊治療をやめる〕
〈医療〉 子どもをつくって駄目にするぐらいなら産もうとするのをやめる
 Bさんの場合、生理がこない、排卵がない、妊娠しても子どもが育たないと、様々な原因が混在していた。12回目と13回目の治療は何百万円もかかる最新のもので、大学病院の校費を用いて行われたが、それでも結局流産してしまった。おそらく医師も、最後の2回の治療にはそれ相応の期待をかけていたのだろう。12回目の流産の後に発した「もう1回挑戦しよう」という言葉は、Bさんに向けると同時に、医師が自身に向けたものだったのではないか。次こそはという気持ちを持っていたのは、医師も同様だったと思われる。そんな状況下での13回目の流産であり、「もう諦めたほうがいいんじゃないか」という言葉もまた、医師が自らに向けた苦渋の決断を含むものであったことが想像される。しかし、Bさんにとってその言葉は、自分が子どもを産むのを諦めるということに他ならず、医師からの「諦め」の言葉を即座に受け入れることはできなかった。

じゃあ体外受精は駄目ですか、ギフトでも駄目ですか、って言ったんだけれども、 先生は、あなた妊娠できるでしょ、って。妊娠できるのに色んなことをしなく てもいいよ、って言われたんです。でも私からしてみれば、色んなことをして みて、もしかしたらできるかもしれないって思いますよね。なんかもっとやり 方っていうか。色んなことを、体外受精、顕微授精とかってありますよね。そ んな感じのことが、色々、やってくれても駄目だったら、というところもあっ たんだけれども。

 当時、技術水準は顕微授精まで進んでいた。どうしても子どもが欲しいBさんは、そうした最新の技術を試すことなく諦めることはできなかったのだろう。しかし実際、配偶子卵管内移植(ギフト)、体外受精、顕微授精は全て卵子と精子が受精するための技術であり、妊娠できるBさんには必要なかった。
 ところがこの時、Bさんの意識に変化が生じた。Bさんは、「しなくてもいいよ」という医師の表現に、できる限りのことはやり尽くしたのでする必要がないということに加え、よくやったのでもう頑張らなくてもいいよという労いの気持ちを汲み取ったことが想像される。その瞬間Bさんは、身体を傷めつけながらも頑張ってきた治療経過を振り返り、「自分も妊娠したけれど、でも結局6週とか7,8週ぐらいで流産ということは、自分が子どもをつくって殺してるみたいな感じ」に思ったと言う。
 生理がない、排卵がないという状態から治療を始め、1年後にやっと妊娠するようになった。そして、薬の副作用で身体的に大変な苦痛を受けながらも、妊娠までは到達するということを励みに頑張ってきた。しかし、その頑張りが結局は流産に繋がるのであり、産もうとすればするほど子どもを繰り返し殺すことになってしまう。子どもが欲しいと思って始めた治療で子どもを殺してしまうならば、産もうとすることをやめるしかなく、「じゃあもうそれだったら諦めよう」と思って治療を「やめちゃった」と言う。
 流産の体験について「自分が殺してる」と自虐性の強い表現で語ることでBさんは、子どもを産むことへの想いを断ち切らざるをえなかった現実に、意味を与えようとしているのかもしれない。

〔養子縁組を試みる〕
〈私〉 困難にもめげず、子どもをもつ方法を自ら進んで探し続ける
 Bさんは、不妊治療をしながら養子縁組のことも考えていた。しかし、いざ真剣に目を向け始めると、養子縁組も困難なことがわかってきた。ある会からは、夫婦いずれかが仕事を辞めるようにと一方的に言われ、失望した。地元の公的機関からは、養子縁組が成立するのは年に1,2組だと告げられた。
 そんな時、インターネットで情報を集めることを思いついた。パソコンは全くできなかったのですぐに習いに行き、検索して大阪の家庭養護促進協会の存在を知った。その後子どもの委託が決まるまでは、あっという間だったと言う。Bさんは元来、何かをしたいと思った時は必ず夫に相談して何でもやってもらうほうだったが、この時ばかりは違っていた。

パソコンを習いたいって言ったのも自分からだったし。で、もう自分でメール 打っちゃって、で、あとからこういうので返事きたのに返して。だから、その 行動が早かったんですよ。うーん、私にもできるんだなぁとか言って。

 行動しなければいつまでもうじうじして性格も暗くなっていた、地元の方で子どもを待っていたら今でも待ち続けているだろう、子どもがきたことで親戚一同皆が喜んでくれたと、Bさんは嬉しそうに語る。不妊治療を「スパッとやめ」次の行動が早かったおかげで、現在の子どものいる生活があるのだと強調する語り口から、「やったから良かった」と自らの行動を価値づけて前を向いていこうとする姿勢が感じられる。そして、こうした自己効力感の高まりは、時間的な広がりに伴ってBさんの自己観に影響を及ぼしているようである。
 さて、Bさんは、32歳で不妊治療をやめて養子縁組に切り替えた。しかし、40歳を身体的限界として、それまでは頑張ろうと不妊治療を続ける人も多い。この場合、たとえ養子縁組を考えるにしてもそれ以後ということになるが、養子縁組に際しても、子どもが成人する時には6○歳ですが経済面はどうしますかと年齢のことが問われる。子どもを産むことができなくても育てたいと思って養子縁組を試みる人がいるが、その際にも年齢的な問題や制度の壁に突き当たることが現実にある。

〈夫婦〉 夫の言葉に支えられる

主人は、(養子として子どもが)来れたらいいみたいな感じで、来れなかった ら2人でもいいんじゃない、みたいな感じで、でも、私がもう欲しい欲しいみ たいな感じだったんで。夫は、夫婦2人の生活でもいいんじゃないかなぁって いうのも半分、でも欲しいっていうのも半分。でも治療はやめようって。

 治療している時からBさんは、夫から、子どもができなかったら2人でいいと言われていた。そもそも夫は、子どもがどうしても欲しいというBさんの想いを尊重するような感じであり、養子縁組に関する夫婦間の話し合いも滞りなくなされたと言う。夫にも子どもが欲しいという気持ちはあったようだが、夫はBさんに、不妊治療に戻るのだけはやめようと確認していた。なぜなら夫は、治療によるBさんの身体上の負担を、充分すぎるほどわかっていたからである。この時、夫婦2人共が、養子縁組をして子どもを育てるということを考えていた。

〔現在〕
〈私〉 自ら選択し実行することで縁を結び、次の行動に繋げていく
 Bさんは養子の委託を受けて、現在その子どもを育てており、「子どもはかわいくて。血縁なんて関係ない。もうなりふり構わずですよ」とにこやかに語る。治療で子どもを産むことはできなかったが、不妊治療をしてきたことの意味を、Bさんは自身のなかできちんと位置づけているようである。

ここまで到達するのに不妊治療は必要だったのかなぁ、とか思いますよねぇ。 大変だったけど、辛かったけど。今になって思えば、そういう縁があったんだ と思えば。

 子どもを産みたいと想い、身体的に辛い不妊治療を続けては流産を繰り返すプロセスを通じて、子どもを産むことができないのであればせめて育てたいと考えるに至り、さらにその延長上に現在の子どもを育てる生活がある。Bさんにとって不妊治療と養子縁組は、子どもを介して一連の繋がりをもつ意味世界となっている。そもそもBさんには子どもを生活の中心に据えた語りが散見されるが、それはBさんが、不妊治療をするなかで、芽生えた子どもの命を失い続けるというあまりに過酷な経験をし続けてきたからなのだろうか。それとも、子どもを育てる現在の満ち足りた生活への感謝の気持ちの表れなのだろうか。

私の選択は、自分としては間違ってはなかったって思いますね。やっぱり自分 で産みたかったっていうのはありますけど、結局産めなかった。でも、この子 とも出会えて、この里親っていう制度を生かして、この子と出会えたことは良 かったと思うし、選択は間違ってないなぁって。

 その時々の選択と行動が子どもを育てる現在の生活に繋がっていると語ることでBさんは、自分自身がしてきた選択の正しさを再確認しているのかもしれない。実際、子どもと出会うことができたのは、一連の選択をするなかで協会の存在を知り得たからだった。そしてBさんは、「私と同じ悩みをもっている方達に、こういうところもあるんだよって、教えていきたい」と、不妊に悩み、子どもを育てたいと思う他者に想いを馳せる。子どもを産むことができなかった辛い不妊の経験、子どもを受け入れる方法がなければ育てることもできないと困惑したこと、そして、本当に子どもが欲しくて里親登録をしても機会に恵まれない人がいるという現実を踏まえ、協会の存在をより多くの人に伝えていきたいと語られた。

3.2.2  U型:子どもをもたない生活選択型

−Aさんの場合−
〔不妊治療中(日本)〕
〈社会〉 他者から子どもができないことを突きつけられる

電話がどんどんかかってきて、結婚しました、子どもができました(といった 連絡を受けた)。あらっ?では本来なら(私にも)子どもができなくてはいけ ないのかという現実が出てきた。

 当時Aさんは、子どもが欲しいということを考えずに暮していたが、友達から妊娠や出産を知らせる電話を受けて、子どもができないことを初めて意識した。これがAさんにとっての不妊の始まりだった。
 田舎に帰ると近所の人からは、うちの子ができたのにそりゃだめねぇ、あなたはひょっとしたら一生子なしかもしれんね、寂しい老後ね、気の毒ね、と言われた。また、田舎でなくても、子どものことは、一面識ある人から天気の挨拶をするかのように普通に出される会話だった。それをAさんは、「日本っていう国はさ、10人も子どもを産むことがな、当たり前のように言ってしまうわけよ」と日本的な価値意識に位置づけて語る。Aさんは、後の数年間ドイツで暮し、日本とドイツの2つの社会を経験した。

〈私〉 自信がなくなっていく
 元来Aさんは、人の世話をこまめに焼くのが好きな質で、結婚しなくても子どもだけは欲しいと思うほどに子どもが好きだった。それゆえ、子どもを産んで育てるという当然できると思い描いていたことができない現実は、Aさんに「働きもせず、ただ3食作って家にいるだけ」だという想いを強くさせた。女性に生まれ、普通の体なのに、赤ちゃんを産むことができないということをひどく意識し、子どもがいないことを他者に指摘されるたびに自信がどんどんなくなっていったと言う。そして、「ああ、もうどうせ駄目や」と感じ、「自分が敗北者というか、結婚したけど子どもができない負い目」を背負って、「日本では認知されない自分」に責め込んでいった。このように、産むこともできなければ育てることもできない状態で日々暮すなかで、Aさんは、子どもを産みたい、育てたいという願望よりもむしろ、産めない、育てられないことへの苦悩をより強く感じていったようである。
 さて、Aさんは、子どものいない10年間、10に届くほどのお稽古事をしていた。そのうちのいずれかを身に付け、生計を立てるまでに高めたいという気持ちを持っていたのである。しかし、それぞれの先生の見解は、何年続けたところで物にはならないと言うものであり、それを聞いて改めて愕然としたと言う。何をしても将来に結びつかず、生きがいのない悶々とした状態だった。

〈私〉 誰にも相談できずにひとりで抱え込む
 夫は子どもがいないことを全く苦にしておらず、親に言えば心配するだけだと思い、さらには、子どもができる友達には言いたくもないという状況の下、Aさんは、不妊であることによって感じる辛さをひとりですっかり抱え込み、自分の中で消化するばかりだったと言う。夫は治療に必要な協力はしてくれていたが、子どもが欲しいという自分の強い願望だけで通っているような不妊治療だった。
 どちらを向いても、どこへ行っても、不妊の悩みを語ることができないということ、それは不妊の辛さをより一層深刻なものにする。Aさんの不妊経験がひどく苦悩に満ちていたのは、語る場が全くなかったということもひとつの要因だったのではないだろうか。

〈医療〉 曖昧な診断を不満に思う
 当時、治療技術は人工授精が最高水準だった。今ほど不妊治療の専門医がおらず、最初に行った病院では、うん大丈夫、と簡単に診断されたと言う。3つ目の不妊専門病院で配偶者間人工授精を何度も試みたが、結果は一向に現れなかった。その時の医師の見解は、「できないっていうことは多分相性が悪いんでしょう」というものだった。

だけど私にとっては相性が悪いんでしょうというようなね、そんなね、雲を掴 むようなね。例えば卵管が悪いですよとかね、どうしてもね、子宮に着床しに くいからって言われたら、諦めもつくじゃない。それがまあ、単なる相性が悪 いんでしょう、環境を変えればできるでしょうとか、十何年目にできた人がい ますとかね、そういう慰めを言われてもね、釈然としないよね。

 原因が見つからないにもかかわらず子どもができない場合を機能性不妊と言う。Aさんは、子どもができないことについて、原因がはっきりしないというその他的枠組みで不妊だと診断されていた。Aさんが、医師の見解の曖昧さを釈然としないと感じていたのは、「相性が悪いんでしょう、環境を変えればできるでしょう、十何年目にできた人がいます」という一般論を述べられるだけで、では私は今どうしたらいいのかということについては全く触れられなかったことに起因していたのではないか。それは、「どうしても子どもが欲しかったらね、離婚するとか、人工授精するとか、養子をとるとか、そういう選択を、こう指導してくれる人がいればね。(中略)少し楽では?」というAさんの語りからもうかがい知れる。
 これに関しては、不妊の定義が、子どもを望んでも妊娠しないということを出発点としていることが問題の根を深めているのかもしれない。子どもを望んでも妊娠しない状態であれば不妊であり、原因は事後的に分類されるだけなのである。

〈身体〉 生理現象によって子どもができない現実を突きつけられる
 身体に現れる変化にも、不妊であることに否応なく直面させられた。

不妊もね、別に生理がこなければね、下手したら3ヶ月に1回とかね、はっと 気が付くんやけど、普通の健康体の女性やったらね、28日したら、生理がくる ねんやんな。そんで、あーやっぱりできひんねんと思って、また忘れる。また 自分に突きつけられるっていう。

 子どもができる準備ができている証である生理現象は、健康な女性なのに今月もまた子どもができなかったという現実をAさんに突きつけてきた。だからこそAさんは、「余計に切な」かったと言う。ただ、周期的にやってくる生理現象によって、妊娠できない現実を突きつけられることについては、いつしか慣れる側面があるとも語る。それは、身体からの訴えかけが、自分自身が不妊であると気づかせる根本的なものだということを示しているのかもしれない。やがて卵子が衰え生理も終わる時がくるが、その時身体は、子どもを産むことに決定的な制約をかけてくるのである。

〔不妊治療中(ドイツ)〕
〈社会〉 他者から存在を認められたと感じる
 Aさん夫婦は夫の転勤でドイツに行くことになった。以下の語りは、ドイツ社会に入った時のものである。

私は残念ながら子どもがおりませんって自己紹介すると、A(呼びかけ)、残念 ながらっていう話はいらないやと、ね。私は子どもはありません、だから私は 旅行するんです、だから私は色々なことをやってみたいんです、っていうドイ ツ語はいいけど、なんだか変だなって言われて。

 日本であれば、出会ってその場で聞かれる質問に、必ずと言っていいほど子どものことが入っていた。しかし、Aさんがドイツで尋ねられたことは全て自分自身に関することだった。ドイツで暮らしドイツ人と接することで、子どもがいないことによる辛さが和らぎ、肩の荷が少しおりた。
 日本とドイツとでは文化的な違いがあり、Aさんは確かにドイツでの他者の対応に救われたのだろう。しかしここで注目すべきは、子どもとセットではない自分の存在そのものが、他者から認められたと感じたことである。日本にいる時Aさんは、自分は社会から「認知されない」と思い込んでいた。

〈私〉 生きがいを見いだし自信が出てくる
 ドイツでは、ドイツ語にのめり込み、朝昼晩夜と毎日勉強した。「ひとつのことが達成できたら、きっと違うことも同じようにできる。これはひとつの修業だ」と思って踏ん張った。子どものいないハングリーさによるところは大きかった。
 結婚してから10年は何をやっても中途半端であり、自分らしさも生きがいも感じられず、子どもがいないことによる辛さが人生の99%を占めているような状態だった。しかしドイツ語に夢中になっていた時Aさんは、ドイツ人が言ってくれたように、子どものいない自分にもできることがあると思えるようになっていた。

子どもができないんやったらもう、自分の知らない国へ旅行したり、違う世界  をね、広げられるわと思った、自分が。

 好きでやっていきたいと思えるものがあるということは、自分を信じる力や今後の自分自身を展望する力に繋がりうる。たとえ他者から賞賛されたり励まされたりしても、自分自身がそう思うことができなければ新たな変化は何も起こらない。自分が変わるためには、まずは自らの認識が変わる必要があるだろう。Aさんにとって、ドイツ語を習得しようと努力する積み重ねが認識を変える原動力となり、周囲の人の言葉を受けとめる力が培われていったようである。そして、「何年かやることできっと他のことも私にはできると思った」と語るように、さらなる自信に繋がっていったと思われる。この時点で、産むことができない、育てることができないという子どもをもてないことによる重荷は、50%ぐらいになっていた。

〔等至点:不妊治療をやめる〕
〈医療〉 根拠に基づいて不妊原因を説明してもらう
 Aさんはドイツに行ってからも人工授精を続け、ドイツ語がわかってきた頃、軽い気持ちで国立の大学病院に検査を受けに行った。すると検査結果より、「あなたが妊娠しないのはもう100%妊娠しないと。で、あなたは100%間違いなく受胎能力あります。で、旦那さんの方はゼロです。もう断言します」と医師から告げられた。
 当時、日本の検査技術はドイツの水準には達していなかったのだろう。しかし、ドイツで受けた検査で原因がはっきりわかった。そして「1対1で、このデータがこれ、あなたのご主人のデータがこれ、これではもうどうあったって、もう難しいっていうか、無理ですっていうことをね、もう、しみじみ言ってくれるわけよ、時間も30分以上割いて」と語るように、データに基づいて丁寧に説明を受けたことは、医師から曖昧なことばかり言われていたAさんにとって大きな衝撃だった。医師の言葉ひとつひとつを畳み込むように自分に中に入れ、整理していくことができたと言う。

〈夫婦〉 子どもを産み育てたい願望を断ち切り、夫との生活を選ぶ
 夫婦の間には100%子どもは無理なこと、しかし、自分には100%受胎能力があり、相手を変えれば妊娠できるということを医師から聞いた時、Aさんは色めきだったと言う。そして夫に、「あなたが悪くて、私は悪くないので、この際子どもを持ちたいという私の母性が勝っているんで、別れることにしようと思います」と伝えた。すると夫は、あんたがお母さんになって幸せになれるのであれば喜んで身を引くからと、うっすら涙を溜めて言った。Aさんはその時初めて、子どもが欲しいという想いに「踏ん切り」がついたと語る。

ああ私は何を言っているんだなと、私は、もう子どもはその時きれいに120%
初めて断ち切れた。それまでは、まだ断ち切れない。あの医者が100%妊娠し ないと言っても、もしかしたらという望みはもう毎月持っていたし、毎年、年 を重ねるごとに、まだ42歳までは産めるだろうかとか。そやけど、それが多分 37歳の時。でもまだ5年ほど、ほんとなら病院に通ったり人を変えれば妊娠で きるかなと思ったけど、37歳の時に、ああ、もう私は子どもなしの人生を選択 して、今の主人とうまく、楽しい人生を送ろうというふうに落ち着きました。

 Aさん自身は養子を育てたいと考えたこともあったが、夫が養子縁組には100%反対だったため既に念頭にはなく、子どもをもつためには自分で産むしかなかった。よって、夫が不妊の原因であるとわかった時、産むのを優先するなら夫と別れる他ないということが、Aさんのなかではっきりしたのだろう。しかし、夫の涙を見た時Aさんは、子どもとの生活よりも夫婦での暮しを選んだ。そしてこの時、子どもを産むことへの願望も育てることへの願望も共に断ち切った。
 ただし、「でも私はドイツにもし行っていなかったら、踏ん切りがつかないままに42歳のね、医者が、もうね、無理ですというまで、でもその時でもまあ、まだ、踏ん切りがつかんかったやろうな」と語るように、Aさんの「踏ん切り」には、他者から私の存在を認められた出来事、生きがいを見つけ自分を信じられたこと、子どもができない原因を検査結果に基づいて筋道立てて丁寧に説明された経験も、大きな要因であったと言える。とりわけ生きがいについては、Aさんにとって非常に重要なことだった。

〔現在〕
〈私〉 生きがいを感じて自分らしい時間を過ごす

不妊というのは私の人生の中の、もう10%も多分ないんだよ。今は、そういう こともあったよなーというぐらいで。そやけど、ドイツ語はやったよなーって、 ドイツ人ともうほんまに、あれだけねぇ、もう、のめり込んだかなっていうぐ らいしたし。

 子どもが欲しくて通い続けた不妊治療である。ところが、どうして産みたかったのか、どうして育てたかったのかをよくよく考えると、それは、趣味も特技も仕事もなくもてあましていた時間を、子どもを世話することで分散できたからなのだと語る。
 子どもをもつ人生か、夫と2人で暮らす子どもをもたない人生か、どちらかを選ばざるをえない状況において、Aさんは夫との生活を選んだ。つまりその時点で、子どもを育てることができない今後の生活を引き受けたことになる。子どもは、自分の時間を分散させるための逃げだったというのは、子どもをもつことができない現実に意味を与えるために、否応なく語られたことだったのかもしれない。しかしいずれにしても、Aさんは、「挫折10年、もう人に言いたくないっていう、握りつぶしたいほどの」経験があったからこそ、なぜ子どもが欲しかったのかを突き詰めて考えることができ、また「踏ん張り」を効かせて行動するハングリーな現在の自分があるのだと言う。Aさんにとって不妊の経験は、子どもをもつことがどういうことなのかを、自分の人生全体に位置づけて立ち止まって考えることのできる、ひとつの機会だったのかもしれない。

3.2.3  W型:養子縁組浮上・選択/子どもをもたない生活選択型

       −Dさんの場合−
〔不妊治療中〕

〈私・社会〉 精神的圧迫を受けながら治療に通う

子ども産んで母になるって言うのはやっぱり一種の夢のような、うん、希望が あったので。やっぱり、結婚したら子どもができて当たり前っていう世間の常 識っていうか感覚っていうのがありますでしょ、そういうのに押されるってい うのもあるし、まあ、自分自身が欲しいっていうのもあるし。

 結婚したら子どもができるというのは、世間の常識であると同時にDさんにとっての常識でもあった。「こんなに子どもができないのであれば、結婚しないでひとりでいる方が良かったのかもしれない」と語るように、Dさんには、結婚と子どもを産むことと母になることは一連の繋がりのあるものだった。また、女性に生まれてきたのにお腹に子どもができないのは女性失格と言われているようで、病院では毎回お腹の大きい妊婦さんを横目に見なくてはならないため、精神的なプレッシャーが余計に強く感じられたと言う。さらに、家の中での嫁姑のもめごとにいつも苛立ち、日常的に気持ちが落ち着かない状態で、試しに通った漢方医からも、精神面からきているので妊娠は難しいと言われた。この時周りには支えになってくれる人はおらず、子どもを産むことだけを考えて不妊治療に通う状態だった。

〔等至点:不妊治療をやめる〕
〈医療〉 しびれを切らして治療をやめてしまう
 子宮が後ろに傾いていると一度言われたことがあったが、Dさんには決定的な不妊原因はなかった。しかし、不妊治療に通っても何の効果もなく、高額の漢方薬も効き目はなく、そんな成果の現れない不妊治療を「しびれを切らしたような状態でやめちゃった」と語る。
 不妊治療をやめることは、必ずしも子どもを諦めることを意味するわけではない。しかし実際には、子どもをもつ方法をひとつ断つことになるのであり、子どもが欲しいと望んでいたのであれば、治療をやめたらどうするかを−とりあえずいったんやめるということも含めて−考えることが推察される。しかしDさんは「やめちゃった」だけであり、それ以後を展望するようなことは語られなかった。それは、「最初の結婚の時には、支えになってくれる人はいなかったですね。主人との関係もあんまりいいことなかったから」という言葉が示すように、ごく近しいところのサポートが欠けていたことが、大きな要因のひとつであったのかもしれない。不妊治療について夫婦での話し合いはあまりなく、夫は、Dさんが治療に行くことをしぶしぶ認める程度だったと言う。この時Dさんは、まさに治療をやめてしまっただけであり、産みたい想いを残したままだった。

〔必須通過点:養子縁組を意識する〕
〈私〉 実子でなくとも子どもを育てることはできるということを仏教に教えられる
 結局夫とは別れ、後に現在の夫と再婚した。しかし再婚後には乳癌になった。癌を医師から告げられた時に一瞬死を意識したものの、「私、子ども産めへんようになるかもしれへん」と、癌そのものよりも、放射線等が妊娠に不利に作用することで「頭の中が真っ白になって」落ち込んだと言う。実際には子どもを産める状態ではなかったが、産むことができないという怖れが先にたつほど、Dさんは子どもが欲しいと想い続けていた。
 癌の経過が良くなってきた頃、あるお寺さんが書いた本に、世の中には自分で産んだ子どもではない、他人の子どもを育てているお母さんも沢山いるという一文を偶然見つけ、「実子にこだわらなくても、養子さんでも自分の子どもとして育てることはできるなぁ」と初めて思ったと言う。この時、子どもをもつためには子どもを産むしかないという、それまでの図式が崩れたと言えるだろう。それからDさんは、子どもを育てることを希望し、県の里親登録を取り、養子の委託を受けるべく行動し始めた。

〔養子縁組を試みる〕
〈私〉 現実には折り合いがつかない一方で、子どもを熱望する想いばかりが膨らむ
 しかし、「子どもが欲しい欲しいっていう気持ちがなんか執念みたいな感じ」で、その「あまりに鋭い、熱望している」様子のために、養子縁組を仲介する側に良くない印象を与えてしまったと言う。また、Dさんが希望する年齢の子どもでは親子間で年齢的な釣り合いがとれないとされ、結局、折り合いがつかないままに養子縁組も困難な状況になってしまった。子どもが欲しくてたまらなかったにもかかわらず、自分で産むこともできなければ養子を育てることもできないという、行き詰まった状態だった。

〔分岐点:養子縁組をやめる〜現在〕
〈私〉 宗教の力に助けられる
 このように、どうしようもない閉塞状態に陥っていた時、ある仏教家の存在を思いがけず知った。

テレビでお話しているのを1回聞いて、この先生なら(私のことを)なんて表 現してくださるだろうと思って。で、ある本から、その先生がそういう宗教の 勉強会を開催されているっていうのを知りまして、出版者に問い合せて、で、 京都でそういう会があるっていうのを教えてもらって、それで行ったのが最初 なんですね。

 テレビでその仏教家の話を聞いたのは偶然のことだったが、それをきっかけにして会との接触が始まった。勉強会に行って最初に言われたのは、子どもが欲しいというのはお金が欲しいというのと同じ欲望だということだった。しばらくは、子どもとお金は違うと思っていた。しかし勉強を重ねるうちに、対象が違うだけでやはり一緒の欲望だと思うようになり、すると、「欲しい欲しいの一点張り」だった子どもについて、少し距離をおいて考えられるようになったと言う。
 現在、手術後の年1回の検診、新たに見つかった子宮筋腫の経過観察、抑鬱状態による通院等、病気を複数抱えている。しかし、今ある状況が一番で、病気もありがたく受け入れていきなさいという仏教の教えに救われており、「仏教が私を受けとめてくれる」「行き詰まった時の宗教の力はすごい」とDさんは語る。
 どうしても子どもが欲しいと想い続け、現在でもなお、産みたい想いも育てたい想いもあると言う。しかし、もはや自ら働きかけるつもりはなく、「自分の子どもも産まれないし、養子さん受けれないっていうんだったら、もうそれが自然の成り行きだから、仕方がないから、諦めようっていう感じで、もう夫婦は夫婦だけのね、暮しを考えていけるというか」と語る。自身の想いと現実との間に齟齬が生じ、自分の力ではどうすることもできない状況に陥った時、宗教は最終的な拠り所として大きな救いとなって立ち現れてくるのだろうか。「仏教に出会わなければノイローゼになって死んでいたかもしれない」とDさんに語らしめるほどに、人為を越えたところにある聖なるものは、人が生きることの根幹を支えるものなのかもしれない。

第4章  考察

 まず最初に、面接調査の結果をもとに、等至点(EFP)、必須通過点(OPP)、並びに分岐点(BFP)について、類型と代表事例の検討を行う。そして、複数径路・等至点モデル(TEM)に沿って不妊経験の理論的記述を行い、併せてモデルの意義について検討する。

4.1 類型と代表事例の検討

4.1.1  4類型に着目して

 T型(B,C,F,H)とU型(A)は共に、不妊治療をしている途中で養子縁組を意識し始めており、不妊治療をやめる(等至点)時点で、養子縁組を試みる/試みないという選択が可能であったと言える。ただし、不妊治療を続けるか養子縁組を試みるかの、いずれかの選択をするまでには時間的な幅があり、C「完全にやめようっていう、そこまでの決心はしてなかったんでね、その時は。(中略)とりあえずまあ(治療を)いったん終了」、H「治療より、そっち、養子縁組のほうをだんだんと考えていくように、なりました」等の語りから、不妊治療と養子縁組との間で揺れている様子がうかがえる。逆に言えばこの揺れは、養子縁組を選択肢のひとつとして考慮し得たからこそ生じたものであるだろう。もちろん、養子縁組の存在を知ったからといって、不妊治療をしている全ての人が、血の繋がりのない子どもを育てることを考えるわけではない。だが、選択の幅が広がることで、行き詰まった閉塞感が和らぐこともあり、そうした気持ちの余裕が養子縁組に意識を向けるきっかけになることもある。なお、ここでは、養子縁組を奨励しているわけでもなければ特別なこととして取りあげているわけでもない。しかし、不妊治療をする経過を通じて養子縁組を試みようと考える人は紛れもなく存在するのであり、養子縁組を選択肢のひとつとして知ることの重要性が示唆される。さて、U型のAさんについては、不妊治療をしている段階でいったん養子縁組を考えたが、養子縁組をすることについて夫婦間で合意が得られず、よって、子どもをもつためには治療をする他に選択肢がなかったことになる。たとえ子どもをもつためのひとつの手段として養子縁組を知っていたとしても、血の繋がりのない子どもを育てる選択をするには夫婦の見解が一致することが必要不可欠である。養子縁組が望めないことが明らかであったAさんにとって、不妊治療をやめることは子どもを諦めることに他ならなかった。
 V型(E,G,I)、W型(D)は、不妊治療をやめる(等至点)時点では養子縁組を意識していなかった。しかし、不妊治療をやめる選択が、子どもを諦めることと結びついていたというよりもむしろ、E「仕事に生きていかなしゃあない」、G「2人でいこう」、I「2人の生活」等の語りが示すように、生きがいや夫婦単位での暮らしを見据えながら、子どもを産むことに傾倒しない生き方を模索していこうとする姿勢が見て取れる。もちろん、W型のDさんが「(なかなか治療の成果が現れないことに)しびれを切らしたような状態でやめちゃった」と語るように、例えば不妊治療の辛さゆえに、何の展望もないままに治療をやめてしまうこともある。だが、ここで注目すべきは、不妊治療をやめる選択をしたとしても、それが必ずしも子どもを諦めることを意味するものではないということである。つまり、「子どもが欲しい」という想いを残し、人によっては子どもを産む以外の道へ視野を広げたりしながら、認識の上では揺らぎを抱えつつ、不妊治療をやめるという行動選択をしているのだと言うことができる。
 さて、養子縁組が実現するかどうかについては現実的な制約から自由ではありえず、結果として養子縁組をやめざるをえないこともある(分岐点)。不妊治療にしても養子縁組にしても、試みる側の立場からすれば、「子どもが欲しい」という想いがその行動選択の基盤となっているだろう。ところが養子縁組の仲立ちをする立場からは、子どもの幸福という観点が最優先されるのであり、こうした双方の微妙な見解の相違から、養子縁組が不成立という結果に至ることがある。ただし、養子縁組を試みる人は、このような形で負荷を与えられることによって、自分自身の「子どもが欲しい」という想いに向き合い、その真価を問い直す契機が与えられるのも事実である。

4.1.2  3つの代表事例に着目して

4.1.2.1   T型:Bさんの事例

〔等至点:
 子どもをつくって駄目にするぐらいなら産もうとするのをやめる
 最新の治療技術を駆使しても、人為が介入し得ない生命のメカニズムが歴然と存在するのだということを、受けとめることの重要性が提起されていると言える。「子どもが欲しい」と願う当事者が治療技術に望みを託すのは自然な感情の流れであるが、それは一方で、技術への過信と果てしない治療の継続に繋がる危険性をはらむ。また、医師側が、自らの生命観・家族観・自然観に基づいて「患者のため」に技術を施しているのだという認識が、生殖医療技術の高度化を推し進めているということが明らかにされている(柘植, 1999)。つまり、医療現場で患者の願望と医師の認識が相乗する結果、命の芽生えの領域に対する生殖医療の過度な歩み寄りが予測されるのであり、そうした患者の願望と医師の認識の連鎖をいったん相対化して捉え直すことが必要になる時もある。ここでは、不妊治療をし続けては流産を繰り返し、治療技術の限界が顕わになるなかで、不妊治療をし続けることとは異なる選択肢を提示する医師の例外的な態度とそれを聴き入れる患者という、患者-医師間のひとつのやりとりが示されている。Bさんが医師の提言を即座に受け入れたわけではなかったにしても、このやりとりがBさんにとって治療をやめる(等至点)ことを考慮に入れるきっかけになったのは確かである。すなわち、「患者のため」とはどういうことなのか、最新の技術を施しても子どもを産むことができない現実をどう捉えるのか、そして、「子どもを産み育てたい」という想いと治療を続ける/やめるという選択肢とをどう摺り合わせていくのかということを、改めて問い直す重要性が示されていると言える。

4.1.2.2  U型:Aさんの事例

〔等至点:根拠に基づいて不妊原因を説明してもらう
 不妊治療における検査技術の向上、並びに、検査データに基づく医療者側の適切な診断と説明責任の重要性が提起されていると言える。治療を開始してから十数年もの間Aさんは、医師の誤った診断により、自分が不妊の原因だと思い続けていた。
 医療現場において、検査データに基づいて診断結果や治療内容に関する説明を効果的に患者に伝えることは、技術に徹することを重要な役割とする医師に求められる責務であり、それは不妊治療においても然りだろう。専門家の説明によって患者は、どの治療をどのように進めていくかについて、費用対効果や自身の願望と摺り合せながら、より適切な選択をすることが可能となる。ましてやそれは、生殖補助医療技術が高度化・先端化している現状において、なおさら重要であるだろう。ただし、不妊治療を受ける患者の多さと医療現場の多忙な状況を踏まえれば、医療者側の説明責任について、システム的な観点から検討することが必要なのかもしれない。例えばイギリスでは、生殖補助医療技術を受けることのできる条件のひとつに、カウンセリングを受けることが法律で定められている(_島他, 1994)。
 また、男女いずれに不妊の原因があるかということが、当事者の自己観や身体観を大きく変容させるという、不妊のひとつの特殊性−不妊であることの曖昧さ−が浮き彫りにされている。それは、自分が原因でないと知った途端に、子どもを産むことができるという事実に浮き足立ったAさんの、自己観が180度転換したような語りに象徴されていると言える。

〔等至点:子どもを産み育てたい願望を断ち切り、夫との生活を選ぶ
 夫婦で家族関係を築くことの意味を、再考する必要性が提起されている。結婚しなくても子どもだけは欲しいと考えるほど子どもを望んでいたAさんは、夫に不妊の原因があるとわかった時、夫と別れて子どもをもつ人生を考えたが、その決意は、話し合いを通じてAさんの心に響いた夫の思い遣りの深さによって覆された。Aさんは、あなたが母親になって幸せになるのなら喜んで別れるという夫の涙ながらの言葉を耳にした時、子どもができないことを夫から責められたことがなかった過去を振り返り、夫が原因だと知った途端に離別を申し出た自分自身を省みた。そして、子どもを育てる生活を追い求めるのではなく、夫との生活を選ぶことが自分にとって重要であるという認識に至り、完全に不妊治療をやめた(等至点)。もちろん、子どもを産むために離婚を決心したAさんの選択や離婚を伝えた時の夫の対応の背景には、それまでの長い夫婦関係の歴史があり、その場の話し合いだけを切り取って扱うことには充分な自覚が必要だろう。しかし、腹を割った夫婦間での話し合いによって、Aさんが、家族は子どもがいる/いないとは別次元で築き上げるものだと気づき得たのは確かである。このことは、夫婦とは何か、夫婦単位で家族関係を築くとはどういうことなのかを、改めて問い直すひとつの契機になっていると言える。
 さて、Aさんが子どものいない人生を選択したことついては、それ以前に−そしてその後も−対峙し続けたアイデンティティの課題が鍵となっている。Aさんの場合、「女性なのに子どもを産むことができない」という身体への欠損感が基底にあり、それに、子どもを育てられないことによる生きがいの喪失感が塗り重ねられていた。とりわけ、世話好きで子どもを手塩にかけて育てることに自分らしさを見いだそうとしていたAさんにとって、子育てができない現実は自分の存在意義すら見失うことを意味し、さらには、子どもを産み育てるといった普通にできる−皆が普通にしている−と思っていたことができないという、社会的に認められていない感覚にも繋がっていた。そして、こうした八方塞がりの状況における自尊感情や自信の喪失によって、Aさんは他者との関わりを自ら断ち、疎外感や孤立感をますます深めていったと言える。これは、ドイツで自分の存在を認められた出来事や他者と関係を築き得た経験が、自信の回復、ひいてはアイデンティティ再構築の基盤となり得たという事実と表裏をなすものである。このように、アイデンティティの崩壊が多大なダメージとなって時に重篤な精神状態をもたらすことは不妊にもあてはまることであり、不妊経験はアイデンティティの課題を浮き彫りにしうると言える。
 
4.1.2.3   W型:Dさんの事例

〔等至点:しびれを切らして治療をやめてしまう
 夫婦間での支え合いが、不妊や不妊治療による精神面での辛さを緩和するのに重要な役割を果たすということが示唆されている。Dさんは不妊治療中から夫とは不仲で、支えになってくれる人が身近におらず、「どうしても子どもが欲しい」という想いを残したまま治療をやめた(等至点)後も、鬱々とした状態が続いていた。こうした夫婦関係の不在は、不妊治療においては夫婦の支え合う関係性が不可欠だということを、より一層端的に示していると言える。

〔必須通過点:実子でなくとも子どもを育てることはできるということを仏教に教えられる/分岐点:宗教の力に助けられる
 自分の力ではどうしようもない現実に直面した時、神や仏という聖なるものが大きな救いとなって立ち現れうるのだということを彷彿とさせる。
 Dさんにとって、不妊治療後の鬱屈した状態において心の拠所となったのは、あるがままが一番だという仏教の教えだった。それは、養子縁組を意識した(必須通過点)時、養子縁組をやめた(分岐点)時を通じて影響を与え、「養子さんでも自分の子どもとして育てることはできる」、「自分の子どもも産まれないし、養子さん受けれないっていうんだったら、諦めよう」と、産みたい想いと育てたい想いを順番に自分自身のなかにおさめ込んでいった。
 このことに関連して、他の語り手にもとかく「自然」や「縁」といった人為を越えたものに想いを馳せるような語りが散見されたことは興味深い。やまだ(2000a)は、人が死と接した時に倫理的・宗教的になることを取りあげ、その理由を、「いのち」というもっとも人間にとって根源的なものにふれ、人為ではどうしようもない人間の無力さを感じ、何か大きな力によって生かされているいのちの有り難さを論理ではなく感覚によって感じさせられるからだとしている。そして、人間の有限性を自覚しつつ、その限界をこえようとする倫理的な力や聖なる力を生みだしていくことに、もっと注目すべきだと述べる。これは、子どもをもつことができないという、自分自身の力ではどうしようもない経験をした人々が、聖なるものに身をゆだねるような語りを吐露したことと結びつく指摘だろう。とりわけDさんは、不妊治療中は支えとなる人が周囲におらず、また、再婚後には乳癌になってしまう等の過酷な状況が、子どもをもつことができない辛い現実に追い打ちをかけ、自分の力ではどうしようもないという切迫した感情が増幅していたことが想像される。もちろん、宗教と心理臨床的な援助の枠組みとは独立であり、どちらかをどちらかに組み入れることは困難であるだろう。しかし仏教の教えがDさんに、「自然の成り行きだから、仕方がないから、諦めよう」と、認識の変化を促したのは事実である。このことから、窮極のところでは「自然にまかせる」だとか「あるがまま」だとかが人間の生に強い影響を与えていると認識することは、不妊治療において先行しがちな治療技術についてその功罪を常に相対化しながら、個人の希望や状況に即した支援を展望する際の、ひとつの重要な視点になり得ると言える。

4.2  複数径路・等至点モデル(TEM)による理論的記述とその意義

4.2.1  不妊経験における選択の分岐点

 不妊という経験は、「子どもが欲しい」という女性の願望に加え、年齢や身体上の限界、夫婦が不妊であることにどう向き合って治療をしていたかということ、医療者側の治療態度、結婚したら子どもができて当然だとする社会通念等、様々な事象が複合的に影響し合う、あまりに多様な経験である。本稿では、複数径路・等至点モデル(TEM)という記述モデルを用い、経験の連なりに質的な変化をもたらす地点を等至点(EFP)もしくは分岐点(BFP)として焦点化することで、治療を始めてから等至点(EFP)へと収束していく不妊経験の多様性や複雑性、そこから再び分岐してゆく、子どもを産むことにこだわらない多様な選択のありようを捉えることが可能となった。なお、「不妊治療をやめる」という等至点(EFP)は、経験が多様に紡ぎ出されていく地点でもあるため、他の視点からすれば分岐点(BFP)とみなしうることに留意する必要がある。個人の生涯に渡る発達プロセスは動的で非線形的なものであり、等至点(EFP)もまたその径路における一分岐点であるという視点を加えることで、治療をやめた後を含めた不妊経験の多様な有様をより鮮明に描き出すことが可能になると考える。これらの地点が当事者にどのような意味を帯びていたかは考察4.1でみた通りであるが、さらに言えば、こうした当事者の内的経験と、その時代における不妊治療や養子縁組といった社会システムとの出会いとせめぎ合いが、劇的な質的変化として経験され選択行動へと収斂していくのであり、その磁場として位置づけうるのが等至点(EFP)であり分岐点(BFP)なのである。

4.2.2  不妊経験の意味の問い直し

 さて、不妊治療を決意する時点や不妊治療をしている過程では、「子どもが欲しい」、とりわけ「子どもを産みたい」という想いが前面に出ていることが多く、「子どもをもつことは一体どういうことなのか」という主体的な問いかけが芽生えにくいのが現実だろう。しかし、不妊であることに対峙し、不妊治療を受けては不成功を繰り返し、養子縁組に近づき遠ざかる揺らぎのなかで、家族観を捉え直したり子どもを育てるとはどういうことかを考えたりしながら、「子どもをもつ」あるいは「子どもをもたない」という等至点(EFP)−どちらが優れているわけでも劣っているわけでもない等価な地点−に辿り着く(Sato et al., 2004)。こうしたプロセスは、「子どもが欲しい」という想いの背後に潜む、人生におけるかけがえのない価値を探求する物語(斎藤,“メーリングリスト”, 2004-4-23)4)として経験されていたと言え、その経験の意味は、〔現在〕に着目することでより具体的に浮かび上がってくる。つまり不妊という経験は、Bさんにとって、「身よりのない子どもと子どもを産むことができない自分達夫婦が出会い、親子関係を築いていく」こと、「自らがしてきた選択と行動に意味を見いだし、養子縁組という方法を知り得たことによる恩恵を、同じ悩みを持つ他者に伝える形で社会に還元していく」ことであった。そしてAさんにとっては、「夫婦という単位で家族関係を築く意味を見つめ直す」ことであり、「自分らしく生きていくためにアイデンティティを築き直す」ことであった。また、Dさんにとっては、「あるがままという仏教の教えに救いを見いだし、仏教を信じて心の拠所にする」ことであったと言える。このように〔現在〕の語りには、程度の差こそあれ過去に不妊で悩んだ人が、その経験を咀嚼して自己の人生に位置づけようとしている姿勢を見て取ることができる。グッド(Good, 1994/2001)は、身体のなかに疾患が在ることを自ら引き受けるには、ただ単に身体の内部に疾患が存在するというだけではなく、人生において存在していることが再現されなければならず、能動的で統合的な構成過程を必要とすると言う。さらに菅村(2003)は、個人的な経験を秩序づけること、すなわち、生涯の発達を通しておこなわれる絶え間ない個人的現実の構成と経験は、人を生きたシステムとして特徴づける自己組織化のプロセスと密接な関係があると指摘している。つまり、不妊の傷つきから一応は抜け出た現在、その経験を問い直すことを通じて、マイナスとされていた不妊という経験はいわば、血の繋がりのない子どもと共に築く親子関係への開眼、産むことができない身体を持つ自分自身の受け入れ、子どものいない人生を歩む自己や夫婦関係の再考として意味づけられていると言える。
 ところでハーヴェイ(Harvey, 2000/2002)は、自らの人生に強く影響する出来事について作り上げる物語は、人々に伝達され世代間の連続性を紡ぐという意味で、不朽の貢献であると言う。そして、やまだ(2000b)は、物語は人が生きる行為のモデルとして筋書きを提供し、また、人の生き方がモデルとなって筋書きが作られるとし、世代を越えて知識を巧みに伝達する仕組みについて述べている。こう考えるのなら、本稿で示した探求の物語はそれぞれ、不妊という経験の、新たに生み出された意味のヴァリエーションのひとつとして積み重ねられ、不妊に悩む潜在的他者に何らかの示唆を与える役割を果たすことが期待される。そしてこれらの物語は、不妊経験を生涯発達的な観点から描き出す複数径路・等至点モデル(TEM)によって、より効果的に可視化しうると考える。すなわち、当事者がその径路を意識することをも可能にするという点で実践的な意義をもつのであり、ここで私たちは、「よい理論ほど実践的なものはない」(Lewin, 1951/1956)という語に辿り着くのである。

第5章  まとめと展望

5.1  不妊経験の選択岐路と類型の理解 −分析プロセスを通じて−

 本稿において筆者は、9事例の類型化を経て代表事例を記述するという分析プロセスをとった。類型化は、大橋(2004)が述べるように、眼前に立ちあらわれる現象の背後に潜む要素の関係性を明らかにする、有効な分析手法である。そこで本稿では、類型化を介在させたうえで、語りを生かした代表事例の詳述に照準を合わせ、不妊経験の多様性への理解を深めることを目指した。このことは、人生の物語に関する研究は、人びとの多声性とそれぞれが自分の声で語る行為を大切にはぐくむ(やまだ, 2000b)とする見解に通じることである。なお、このような分析プロセスの開示は、研究の公共化のために重要なことだと言える。質的研究における研究者は、どの視点からどの部分をどう読みとっているかを明らかにする必要がある(松嶋, 2004)。
 さて、こうした分析プロセスを通じて明らかにした不妊経験の選択岐路と類型化について、図1のように示した。「不妊治療をやめて、その後、養子縁組を意識しない」という岐路を辿る型が存在しなかったのは、本稿が、養子縁組を意識した人を対象としたことによる必然の結果と言え、このことは、サンプルの「偏り」以上のことを示唆するものである。つまり、養子縁組を意識した人を対象にした調査は、ある意味でそこに焦点化したサンプリング(すなわちValsiner & Sato, 2004の歴史的構造化サンプリング)として考えられるのであり、得られた類型は不妊経験の理解に有用だったと言えるだろう。またその有用性は、4類型の選択岐路が「子どもをもつ」あるいは「子どもをもたない」という2つの等至点(EFP)に辿り着くことを明確にしたことにより、そこへ至る径路の多様かつ等価な有様がより鮮明に浮き彫りにされたという点で、際立つものになったと言える。なお、視覚的な分かり良さを優先させ、辿る径路を直線で描いたが、実際にはそこには揺らぎが多分に含まれている。複数径路・等至点モデル(TEM)は、人が経験を通じて直面しうる揺らぎを捨象せず、多彩な意味をもつ曖昧さを包含したまま、経験の多様性を詳述するのに適した手法だと言える。

5.2  限界と今後の課題

 本稿では、代表事例の不妊経験の記述に焦点化し、諸事例の分析や位置づけ、全事例を通した選択の分岐点にまつわる関係構造や不妊経験の意味を整理することについてはいったん保留にした。しかし、不妊という経験を理解するためには、多方面からのアプローチが必要であり、よって、それらを詳細に分析することに関しては他稿に委ねる予定である。また、サンプリングに際して、歴史的構造化サンプリング(HSS)を用いることを今後のさらなる課題として取りあげたい。従来のランダムサンプリングでは捉えきれない個人の経験の径路と選択にまつわる諸現象を、文化・社会的文脈を含めて把握しようとする際、歴史的構造化サンプリング(HSS)は効力を発揮しうるだろう。この方法論によって等至点(EFP)もしくは分岐点(BFP)に焦点化して径路の多様性を捉え、各事例を比較することによって、その途上で陥るかもしれない危機的状態を把握し、選択肢の提示を含めた具体的な支援を個別に検討することが可能となるかもしれない。このことを踏まえれば、歴史的構造化サンプリング(HSS)もまた、実践活動に資する手法であることが期待される。

表4 時間軸と次元からみた不妊経験のプロセス

1)当事者研究については、現在の関与を重視するもの、研究者を含めるもの等、各々の研究における当事者の意味に関して議論が継続されている(今尾・宮内,2004)。本稿では不妊治療経験者とする。

2)昭和39年から大阪で活動を続けてきた、現在日本で唯一の里親探しのための民間の社会福祉団体(厚生労働省認可)。家庭養護促進協会大阪事務所.(1999, 3月18日).
  http://home.inet-osaka.or.jp/~fureai/(情報取得2004/11/09)
  当協会については、初めから調査協力の対象として見定めていたわ  けではなく、調査協力者を手探りで探す過程で知り得たフィールド である。当協会からは、協力者を直接紹介することは難しいが、協 会の電子掲示板を自由に使ってよいと許可していただき、本研究へ と繋げることができた。不妊治療と養子縁組とは即座に結びつくも のではないかもしれないが、このように協力者を探す過程で、不妊 に悩む人が不妊治療を続ける以外にどのような選択をするのかにつ いて、現実の有様の一端を知ることが可能となったと言える。なお、 このように調査協力者を得るプロセスを記述することについては様 々な見解があるだろう。しかし松嶋(2004)は、質的研究者は、研 究プロセスにおいて次第に何が問題なのかが明らかになるような局 所的視野をもち、研究プロセスの透明性を高める必要があることを  主張しており、筆者はこの見解に基づいて研究プロセスを可視化する立場をとった。

3)結婚時の年齢,治療経験年数,治療内容等/治療経験や医療者に対する 当時の想い/子どもができない状況での想い/周囲の人との関係性/治 療時支えにしていたこと/希望する支援体制/治療技術に対する考え/ 保険適用に関する考え/養子縁組をしようと考えた経緯

4)メーリングリストからの引用である。               http://www.lib.usm.edu/~instruct/guides/apa.html(情報取得2004/05/25)の E-Mail, newsgroups, online forums, discussion groups and electronic mailing lists、及び、
http://www.jst.go.jp/SIST/handbook/sist02sup/index.htm(情報取得2004/05/25)  の5.13メーリングリスト、電子掲示板、の項目を参考にして、引用 と引用文献を記述した。

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