研究執筆活動(2005年)

三重県男女共同参画センター『フレンテ三重』Vol.23

子育ての分担は誰のため?〜その1

村本邦子

 子育てまっ最中の男性の話を聞いてショックを受けたという麗花さん、21歳。自分の父親は、とにかく忙しくて家にいなかったから、存在自体が無なのだそうだ。父親とは何かと問われれば、答えようがない、頭の中にクエスチョンマークが飛ぶばかりと言う。長女として、子育てに苦労してきた母親の姿を見てきて、子育てに協力してこなかった父親に怒りさえ覚えている。しかし、よくよく聞いてみると、4人の子どもを抱え、それぞれに高い教育費がかかっている麗花さんのお父さんの働きぶりには頭が下がる。一家を支えるため、身を粉にして働いてきたのだろう。
 夫婦にまつわる相談を聞くなかで、哀しい男女のすれ違いに胸が痛む。最初の子どもが生まれた時、男性は、「これで自分も父親だ。一生懸命働いて、家族のために頑張らなければ」と考え、以前にも増して仕事に励む。他方、女性の方は、産後の体で慣れない子育てに明け暮れ、夫がなかなか帰って来てくれないこと、ようやく帰ってきたと思っても、疲れ果てて、手伝いどころか、愚痴を聞いてくれさえしないと不満を溜め込む。
 子どもを持ち、親となって、男女それぞれが、自分の役割を果たすために頑張ろうと思うことと、相手に役割を果たしてもらうために頑張って欲しいと思うこととには、どうも、大きなズレがあるようだ。そして、互いに不満ばかりが膨らんでくる。ありがちなのは、女性の方が心を閉ざし、結果的に、男性は家庭に居場所を失い、子どもとの絆が結べない。互いに好きで一緒になり、家庭を大切にしたい思いは同じだったはずなのに、なかなかその思いが子どもに届かない。これは、とくに、男性にとって不幸なことではないか。
 初めて子どもを授かった時、夫と役割分担について話し合った。私のなかには、十年ほど子育てに専念するのも良いかもしれないという気持ちがあったが、夫が、「完全な役割分担をしてしまえば、それぞれの苦労は見えなくなるだろう。外で働くにも、家で働くにも、それぞれに違ったしんどさがあるだろうから、少しずつでも共有する方が良いのではないか」と言った。実際には、これは、「言うは安く、行うは難し」であったが、それでも、名言であると、今なお思う。
 こうして、分担のウェイトは違えど、子育ての役割分担をしてきたが、子どもたちが思春期に入った今、ウェイトが少しずつ逆転しつつある。前半は、おもに夫が経済的な責任を負ってくれていたが、夫はずいぶん年上で、まもなく定年が近づくので、そこから先は、子どもの教育費の責任を私が担わなければと思っている。多忙に働きながら、世の男性の苦労が身に沁みる今日この頃。出張や深夜帰りが続くと、家族サービスをしなければと焦る一方、しんどいのは、家族というより、本当は自分自身であることを痛感する。家族とともに家で過ごす時間は貴重である。そして、せっせと家事をする。

 経済的責任、家事・育児の責任は少しずつでも分担する方が良い。したことのない苦労は、想像しようもない。そして、想像力を駆使して、たがいに労うことが大事なのではないだろうか。男性を子育てに巻き込むことは、男性自身のためなのだ。