『女性ライフサイクル研究』第10号(2000)掲載

女性の自己実現と心理療法
『血と言葉』を女性の視点から読み直す  

女性ライフサイクル研究所 西 順子

1.はじめに

 女性ライフサイクル研究所は、研究機関であると同時に心理相談機関であり、女性のためのカウンセリングを行ってきている。私も、一人のカウンセラーとして、カウンセリングに携わっているが、それは、カウンセリングという心理療法が、女性が自分らしく生きるために何らかのお役に立つことが出来るのではないか、と思っているからである。
 心理療法とは、一般的に「悩みや問題の解決のために来談した人に対して、専門的な訓練を受けた者が、主として心理的な接近法によって、可能な限り来談者の全存在に対する配慮をもちつつ、来談者が人生の過程を発見的に歩むのを援助すること」(河合、1992)を言う。「人生の過程を発見的に歩む」とは、「自己実現の過程」とも言い換えられよう。ユングは、個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向させる努力の過程を、個性化の過程、あるいは自己実現の過程と呼び、人生の究極の目標と考えた(河合、1967)。そして、心理療法の究極の目標も、同様とみなされている。ただし、自己実現とは、確定した一点があってそれに到達することを意味するのではなく、つねに進む一つの過程であることに意味がある。よって、心理療法を人生の過程という広いパースペクティブのなかで捉えながらも、症状がなくなった、当面の問題が解決したなど、実際的にはさまざまな段階での終結がある。
 こうした心理療法一般の目的と終結の意味を押さえつつ、女性の自己実現を心理療法の究極の目標と考えたとき、女性の心理療法においては、どのようなテーマが登場するであろうか。また、女性の自己実現はどのような過程を経ていくといえるのだろうか。本論では、一つの事例を女性の視点から読み直すことで、女性の自己実現の過程とそのテーマについて検討してみたい。そして、女性が自己実現の過程を歩むのを支え、援助する心理療法、心理療法家の役割についても考えてみたい。
 事例としては、精神分析を受けた女性の手記『血と言葉』(カルディナル、1992)をとりあげる。この本は、佐藤紀子氏(1997)が『女性ライフサイクル研究第7号』の論文の中で「子ども時代の養育環境との相互作用によって形成された心の在りようが、場合によってはすさまじい身体症状(この場合は性器出血)と結びつきうる」ケースとして紹介したものであるが、私もこの本を読み、著者マリ・カルディナルの回復、変容、自己実現の過程に、とても心を打たれた。7年という月日を費やし、精神分析という心理療法を通して、著者が取り組んでいったテーマは、女性が自己実現の過程を歩むために必要な、普遍的な問題ではないかと感じられた。特に、傷ついた女性の癒しと回復のために必要なテーマと思われる。そういうわけで、心理療法について書くのは時期尚早であるとは思うものの、ぜひ、この本を事例として取り上げ、考察したいと思った次第である。
 以下、精神分析、カウンセリングやセラピーを総称して心理療法と、精神分析医、カウンセラー、セラピストを総称して心理療法家と呼ぶことにする。

2.『血と言葉』に見る女性の自己実現 

 この章では、女性がどのようなテーマに取り組みながら自己実現の過程を歩むのか、『血と言葉』を女性の視点から読み直して考えてみたい。
カルディナルが心理療法家を訪れてから、心理療法に終結を決意するまでに取り組んだテーマを、筆者は以下のように分けてみた。
(1)症状を受け入れる
(2)過去の見直し
(3)真の自己の発見
(4)感情と記憶の統合
(5)他者との真の出会い
(6)社会のコンテキストに開かれる

(1)のテーマは、心理療法の開始時のテーマ、(2)は心理療法の前半、(3)(4)は心理療法の後半のテーマであったといえる。(3)(4)は、それぞれが独立した段階として存在するのではない。感情と記憶を想起していくなかで真の自己を発見し、そしてまた、真の自己の発見が感情と記憶の統合を進めていったといえる。この連続した過程によって、カルディナル自身が言う「人格の統合」、言い換えれば「自己の統合」を成し遂げていったと考えられる。
(5)は、真の自己を発見し、統合していくなかで、面接室の外で起こった現実生活の変化でもある。(6)のテーマは、カルディナルが「全快する」ために必要としたものであるが、これは面接室の外でカルディナル自身が発見したものである。では、それぞれのテーマについて検討しながら、カルディナルの自己実現の過程を追ってみたい。

(1)症状を受け入れる

 カルデイナルは、どういう状況において、どのような気持ちで心理療法家を訪ねたのか、そしてそこでどんな変化が起こったのかを検討することで、心理療法の開始は何を意味し、何がテーマとなるかについて考えてみたい。

 30歳になろうとするカルディナルは、3年以上続く性器出血と、心臓の動機を早める《あれ》と闘っていた。《あれ》とは、内心の逆上、混乱、興奮状態、破壊衝動などであり、彼女が狂気と呼ぶものであった。血を止めるために婦人科で二度の掻爬手術も受けていたが、性器出血は止まらない。叔父の病院に入院中の彼女は、このままでは精神病院か自殺かしかないという切迫した気持ちで、「しばらく入院させられずにすむ医者の世話になりたい」と、病院を脱走し、精神分析医を訪れた。出血と《あれ》の話をしたカルディナルに、分析医は「あなたのお役にたてると思います」と言い、治療契約について話をした。
 最初の面接を終え、次の日に2回目の面接に訪れたカルディナルは、大量の出血のために、すぐさま貧血を訴えるが、分析医から、「心身症の症状には関心がありません。ほかの話をして下さい」と言われる。「血のほかには恐怖しかない。しかし、恐怖については話せない。考えることさえできない」と、カルディナルはうちのめされた。そして、泣いた。長い間泣くことがなかった彼女が、大粒の涙をこぼして泣き続けた後、緊張がほぐれ、いい気持ちになっていたという。そして、自分の苦しみについて語り始めたのであった。
 なんと、その日以来、何年何ヶ月と際限なく続いた出血が止まったのである。出血が止まったことで、カルディナルは、《あれ》こそが根本原因であると確信し、《あれ》を直視するようになった。「その晩、私ははじめて自分の中の狂った女を受け入れた。自分の病気をありのままに受け入れようとした。」という。この日から、彼女は、以前と異なった立場から自分と向き合い、以前と異なった目で自分をみつめ、熱心に自分の道を追い始めたのである。

 カルディナルの場合は、身体的な症状の源となっている心理的な症状、つまり狂気を受け入れることが、新しい道、再生への第一歩となった。カルディナルが精神分析を受けたのは1960年代であるが、チェスラー(1984)によれば、この時代は、女性として社会で受け入れられない部分は狂気とみなされ、女性もまたその狂気を抑圧せざるを得ない状況にあった。そうしたなかで、カルディナルと分析医は、その狂気に直面しようとした。それが心理療法の始まりであり、二人の出会いでもあった。以後、カルディナルは精神分析の過程で、徐々に過去の記憶を想起するなかで、狂気の意味を発見していくことになる。
 カルディナルの事例から、心理療法を求めるとき、それは、女性の人生のプロセスのある一段階といえる。心理療法を求めるきっかけは、人によってさまざまであろうが、現在生じている何らかの困難が心理的なものと関連していると、無意識的あるいは直感的に感じ取ってのことであろう。何らかの身体的な症状がある場合は、まず医学的な検査をうけたが異常は認められないという時、症状の背景にある何らかの心の問題、心の在りよう、心の傷つきを、はっきりと意識しないまでも、直感的に感じ取って、心理的な援助を求めるといえるだろう。
 そして、心理療法の始まりでは、症状を受け入れることが一つのテーマであるといえる。症状を押さえ込もうとしたり、逆に闘おうとしたり、否認したりするほど、症状のなかに巻き込まれることになっていく。症状を受け入れることで、症状から距離をとることができ、症状をながめ、観察し、コントロールしていくことが可能となる。ある意味で、女性が心理療法を求める時は、女性がこれまでのあり方に限界を感じている時でもあるだろう。自分の限界を受け入れることは、症状を受け入れるということでもあり、症状を抱えた自分を受け入れることでもあるだろう。自分の限界を受け入れることは、新たな可能性に開かれることをも意味しているといえる。

(2)過去の見直し

 カルディナルの場合、症状を受け入れ、症状と直面していくことは、記憶を甦らせ、過去を見直すこととなっていった。特にその主なテーマは、母との関係の見直しでもある。カルディナルが何をどう見直したかについて検討してみたい。

 面接室では、カルディナルは《あれ》との最初の出会いから語り始めた。ついで、自分の存在に占める重要な局面について話した。はじめて胸部圧迫感の発作に襲われたのとは、19〜20歳にかけての時期であったが、以後徐々に育まれていった狂気にむしばまれていった。当時はそのことに気づいてはいなかったが、次第に動いたり、自分を表現したり、行動や思考に身を投じたりする興味を失っていったという。そして、結婚し、三人の子どもが生まれた。自分が体験したことのない幸福や暖かさや思いやり、いつも傍にいる相愛の父親、母親を、この子どもたちに与えたかった。それなのに、不条理な生の営みが《あれ》と化したのだった。
 幼児期、思春期と再現するカルディナル。過去の見直しの作業のなかで、父の不在、非実在が自分の病気の根源であることを見いだそうとしたが、発見したのは、《あれ》は幼年期以来自分の世界に巣食っていたこと、父は《あれ》から自分を守るために何一つできなかったことである。父は「私の人生に属したことのない、全く未知の人間だった」という。カルディナルは母を擁護するため、母の側にいたのだった。
 血は消え去ったが、なぜ《あれ》は消え去らないのか。たえず不安にさいなまれていたカルデイナル。そんなカルディナルに対して分析医が唯一授けた療法は、「言葉一つ一つが重要であり、頭に浮かぶありとあらゆることを話すこと」だった。彼女自身も言葉こそ《あれ》に対する武器であることを見いだす。その時、幼女の時の記憶から、すべてが氷解し、母の影響が目前にくっっきりと浮き彫りにされた。「私自身を見出すだめには、母を見出し、その仮面を剥がし、自分の属する家族、階級の秘密に立ち入らなければならなかった」と彼女はいう。こうして、ついに母について語り始め、その話は精神分析が終わるまでやまなかった。その結果、母が望んだ女性像が明らかとなった。「母にとって完璧な人間を育成しようとした母の熱意と、その決めた道に従わせようとして、私の肉体と思考をゆがめた母の意志の力を測らずにはいられなかった。」という。《あれ》は、「母が世に送り出したかった女」と「私」との「間」に存在していたことを理解したのである。母を熱烈に愛し、母に愛されることを望んだ幼年期、思春期。その「むなしい努力」の結果、カルディナルは自分を否定し、自分を恥じ、自分を罪人とみなしていたのだった。
 母はどんな女を娘に望んだのか。それは家族が生きていた社会、当時のブルジョワ階級
の価値観と、母の信仰する宗教的な価値観と一致する。母は、献身、善意、寛大、犠牲心を重んじた生活をしていたが、同じ生き方を娘に望んだともいえる。

 カルデイナルの語る母の姿と彼女自身の姿から、「父権性社会においては娘に母はいない」と言ったリッチ(1990)の言葉を思い出す。チェスラー(1984)も、女の子は、同性の大人(母親)からもらえる力と人間性の遺産、身体的暖かさに飢えていること、そして多くの女性は、母性的愛情に満たされたことがないため、幼児性やある種の狂気に押しやられていると述べている。カルディナルの母の献身、善意、寛大、自己犠牲は、他者に向けられていた。母にとって重要なのは、他者、つまりこの女性役割を強いる社会、神に受け入れられることだったと言える。母にとって娘は同一化の対象であり、他者ではない。母の側にしてみれば、「娘のためを思って・・」娘を愛しているというかもしれない。しかし、それは往々にして母の自己愛的満足である事が多く、「ありのままの娘」として愛するのではない。
 カルディナルの事例にあるように、女性の心理療法では、母との関係の見直しが、一つの大きなテーマとなることが多い。チョドロウ(1981)は、母親業の再生産過程を、対象関係理論を用いて検証したが、アイケンバウムとオーバック(1988)も、対象関係理論を基盤にして、女性の心理は、母娘関係のなかで形成されることを指摘した。母と娘はジェンダーを共有することから、母は娘に自分を投影し、同一化する。それを受けて娘は、母親と同一化したり、真の欲求や感情は否認し、抑圧することで、母から投影される期待に適応して、子ども時代を生き延びていくといえる。しかし、母から分離独立しようとする時、どこかでそのあり方が限界となったり破綻する時、または、様々な症状となって表現される時、母親との関係の問い直しが必要となってくる。コナートンら(1988)によれば、女性の分離独立は、中年期になってからのテーマであるという。
 カルディナルの場合は、母の期待と真の欲求との間から狂気が生まれたというように、症状は抑圧されたエネルギーが葛藤を起こして表現されたものであったといえる。その抑圧や葛藤が、結婚し子供を産んだ後、つまり中年期前期に限界に達したといえるだろう。カルディナルの事例から、症状の背景にあるものを見極めるためには、過去を見直していくことが必要であるといえる。特に、母との過去を見直す時、母は娘である自分に何を期待し、望んだのか、そのことが自分にどのような影響を与えたのかを検討することが必要である。

(3)真の自己の発見

 幼い頃、母に愛されないで苦しんだ話をするようになったカルデイナルであったが、無意識のうちに自分の身を守ろうとして、肝心の話は隅に追いやっていた。それでもある日目に見えない重要な転機が訪れた。その転機とは、真の自己の発見であったと筆者は考える。カルディナルの真の自己の発見について検討し、その意味を考えてみたい。

 《あれ》と真向から対峙することこそ、回復するためにとるべき行動ではないかと薄々気づいてきたカルディナルであったが、いざ分析医の前で語る段になると、表面に浮上してくるのは、そこはかとなく悲しく、いじらしい話ばかりであった。それでもある日、転機が訪れた。12、3歳の頃のある記憶、自慰の体験が甦ったのだ。この記憶を語った後、「生まれてはじめて、自分に出会った」と感激するカルディナル。「それまではいつも他人、ことに母が主役となるように、私は自分の過去を演出していた。自分は従順な実行者、人に操られ、それに従うおとなしい少女にすぎなかった」ことを理解する。
 その記憶は、フランス領アルジェリアでの農園生活で、農園の男の子たちとターザンごつこをしたり、秘密の空き地に入り込んだり、格闘したり・・して遊んだ記憶とともに甦った。格闘のすえに男の子たちは素裸になったり、腰を前に突き出した格好で練り歩く。彼らのすることは何でもやってのけられると思っていたのに、それは女の子の遊びではなかったためにできなかった。「私にも男の子のように根が生えたらどんなにいいだろう」とカルデイナルは男の子が羨ましかったという。そんなカルディナルは、洗面所で紙の筒を体にあてがい、男の子のように立ったまま、おしっこをしようと試みたが、その時、強烈な感覚、幸福感に満たされたのだった。
 この記憶が甦った日まで、カルディナルは自慰をしたことを認めていなかったので、自慰にふける女の子は存在しなかった。彼女は今、長椅子の上で誕生したところだという。「私は存在していたのであり、必ずしも他の意のままになっていたわけではなく、他を欺くことも、もて遊ぶことも、その手から逃れ自ら防衛手段を講じることもできたのだ。なんたる、感激!この道を再び見出すのだ。以来、私はこの道が存在することも、自分が捕らわれの身であって、しかもその解放の鍵を握っているのが自分自身であることを確信するに至った。」という。

 この甦った自慰の記憶は忘却のなかに埋もれていたものではなく、思い出すだけで羞恥心に襲われていたものであった。それが、この面接時にその時の感情や感覚を伴って、はっきりと意識化され、この記憶と直面した。まさにこの時、カルディナルは「真の自己」を発見したと考えられる。「幸いにも」とカルディナルが言うように、子ども時代のアルジェリアでの農園生活では、母とは別の空間があったこと、乳母や使用人から愛し愛されたという経験、使用人の子どもたちとの楽しい遊びの体験が、カルデイナルの「真の自己」を守ってきたと思われる。
 では、真の自己とは、何か。ウィニコットは、「本当の自己、偽りの自己」について概念化しているが、ウィニコット(1977)によれば、本当の自己は幼児の自発的な振る舞いを価値あるものと感じうる、ほどよい母親に受容され、世話される環境のなかで発達する。この過程に干渉を加えると、幼児は真実性や主体性を発揮できなくなり、偽りの自己の姿をとって反応する。自発的な身振りが活動中の本当の自己をあらわしており、本当の自己だけが創造的であり得、実在感、現実感をもつ。これに対して、偽りの自己の存在は、非実在感、空虚感という結果となる。筆者は、カルディナルの記述から、そこに生き生きとした自発性、創造性を感じ、「真の自己」をイメージした。カルディナルは、生まれて初めて自分に出会ったと言うが、そこに、他の意のままになっているのではない自発的な存在としての自分を発見している。そしてその発見が感激をもたらしたのには、そこに「自分は生きている」という生き生きとした実在感、現実感を感じたからではないだろうか。それは、心と体が一体となっている感覚ともいえるだろう。筆者がイメージした「真の自己」とは、「自発的、創造的な自己」「生き生きとした実感を感じうる自己」といえる。
 筆者の考えでは、真の自己は、発達初期だけに限らず、人生のどの時期であっても、絶えず発達する可能性を秘めているのではないかと考える。ありのままの欲求や感情は、真の自己の源泉でもある。過去に抑圧してきた内なる欲求や感情に気付いていくことで、真の自己を発見し、生きている実感を感じとることができるのではないだろうか。真の自己を発見していく過程は、自己の再形成の過程でもあるといえるだろう。
 また、次の面接から、母との暗い秘密であった「母の卑劣な行為について語った」ということからも、真の自己の発見が、彼女をエンパワーし、母との融合した関係を乗り越えて、母の秘密、真実と直面していく勇気を与えたといえる。もちろん、この最初の発見以後も、記憶の想起を通して「真の自己の発見」は続いていったといえる。傷ついた過去に直面していくためには、真の自己を発見し、力を得ることが重要であるといえるだろう。

(4)感情と記憶の統合

 では、カルディナルの外傷となっている過去の記憶とは何だったのか。また、その記憶を想起することはどんな意味をもっていたといえるのか。カルディナルの外傷性記憶(トラウマとなっている記憶)について検討してみたい。

 次の面接から、カルディナルは「母の卑劣な行為」について語った。カルディナルは思春期の頃にはすでに自殺を思い詰めるようになっていたが、その頃に起こった「母の卑劣な行為」の後、精神分析を受けるまでの間は、鮮明な記憶はほとんどないという。
 「母の卑劣な行為」とは、カルディナルが生まれたそのわけでもあった。それは、母の妊娠中絶失敗談であったが、「母の卑劣な行為」とは、母が妊娠中絶を望んだことではなく、憎悪を胎児にぶつけ、殺人未遂を自分に語って聞かせたこと、その仕損じたことを今度は安全な状況で、自分自身の身を危険にさらすことなく繰り返したことを指している。この記憶を語ることによって、カルディナルは、母が「娘を狂気に追いやった」真実に直面する。さらに、幼児の時から存在していた《あれ》は、「母から禁止される」、「母から遺棄される」から生じた不安発作であったという洞察を得て以後、不安発作との闘いは容易になっていった。
 そして次に、カルディナルはこれを実行できる勇気を感じ、「幻視」の真実にも直面していく。幻視が起こると恐怖にかられて発作が起こり、同時に深い羞恥心にとらわれるという。幼女の頃の記憶の甦りから、幻視の正体は、2、3歳の頃、彼女の排尿時に、父が後ろからその姿、お尻を撮影していた記憶であったことがわかる。幼児の彼女は途方もない怒りがわき起こるのだが、これは自分を恥、悪と感じる起源でもあったことを理解する。この記憶の統合を成し遂げた彼女は、「生まれて初めて自分の肉体が完璧に感じられた」という。カルディナルは、自分の健康、肉体、肉体を操る力、自由に移動できる特権を発見したのだった。

 否認してきた秘密を白日の下にさらすことは、自己を根底から揺さぶるような体験であろう。ここで取り上げた外傷性記憶は、母からの心理的虐待、父からの性的虐待といえよう。外傷性記憶を想起し、感情と記憶を統合することは、トラウマからの回復のために必要な作業であり、回復の第二段階として位置づけられている(ハーマン、1996)。しかし、外傷性記憶は、抑圧、否認、解離などの防衛機制により、意識外に押しやられている事が多い。出来事として記憶していたとしても、それは一部であったり、感情が切り離されて記憶されている。外傷性記憶を想起し、感情、身体感覚と共に語り直していくことで、外傷体験がもたらす外傷性はその影響力を失っていく。心理療法のなかで、外傷体験を語ることは勇気のいる仕事であるが、感情と記憶を統合することで、外傷体験を自分の人生に組み込み、人生を再構成していくといえる。
 この後も、カルディナルは、全快するために、自分のなかの恐怖、不安と直面し、感情と記憶を統合していく。ミラー(1994)が、「真実には、自然治癒力がある」と言うように、様々な真実に直面し、それをありのまま受け止めていくことで、その後カルディナルの自己統合と回復は進んでいった。
 こうしてカルディナルは、精神分析を受けた期間の前半に、健康と自由を獲得し、以後は徐々に自分の人格の発見に努めていったという。カルディナルのいう「人格の発見」は、「真の自己の発見」とも言い換えられる。面接室の中で、自分の激情を見出すことを通して、自分の激しい気性(それは同時に、活発、明朗、寛大な気性である)と出会い、そしてこの気性を破壊ではなく、自己の建設のためにコントロールしていくことを学んだのである。

(5)他者との真の出会い

 カルディナルの心理療法と自己実現の過程を追っていくと、真の自己を発見していく過程から少し遅れるようにして、他者との真に出会いがあり、真の関係を築く過程が始まることがわかる。カルディナルの他者との真の出会いについて検討したい。

 カルディナルは、「精神の平衡が築かれていくにつれ、外の私の生活にも意味と形式が備わっていった」という。自分の子どもとは、現実との唯一の接点でなくなったことから、重苦しい存在とはならず、育て方や理解の仕方も上手になり、この頃から、子どもたち一人一人との間に橋が築かれた。治療が進むにつれて、母親の伝統的な役割にも疑問をもつようにもなっていった。彼女は、産んだ責任を自覚しながらも、彼らの個性に関しては責任をおってはならないことも学び、子どもを知る努力をしていく。
 パートナーとの関係はどうであろうか。カルディナルは、結婚し、子どもを産んでから様々な症状、狂気が表面化したことで、この原因は結婚生活にあると夫を責めがちだった。そのため、夫から一緒には暮らせないと離婚を申し渡されたが、彼女は承諾せず、別居生活が続いていた。彼女が分析の過程で、いつしか自分の精神をノートに書き留めるようになったが(半生最大の行為という)、それをある日夫に見せた時、二人は、再会する。いや、彼女は以前の彼女ではなかったので、はじめて二人は出会ったといえるだろう。ノートを読んで涙を流した夫は、「なんて君は変わったたんだ」「このノートを書いた女に恋してしまったよ」と言い、彼女も、愛し、愛され、笑い、築きたいという欲求、私は変わったということを彼に伝えたという。彼は彼女に魅せられながら、彼自身も変わっていく。その後も、それぞれがもたらす収穫物で、二人のエンジンは燃料が切れることなく、たえず迅速に回転しているという。また、カルディナルは、「書く」という自己表現の手段を見出したことで、自分で自分を救い、独自の世界を築けるようになったのであった。

 厳密にいえば、カルディナルにとって他者との最初の真の出会いの体験は、分析家という人間との出会いであったといえるだろう。心理療法のなかで、ありのままの感情を表現し、ありのままに受け止められる経験によって他者への信頼感を築くと同時に、それは力ともなって、統合された真の自己としてありのままに振る舞うことができるようになったといえる。その結果、おのずと現実生活においても変化が現れたといえる。カルディナルの変化から、「ありのままの自分を生きる」ことができるようになってくると、他者、ここでは子どもやパートナーの「ありのままを愛すること」が可能となることがわかる。今や、彼女は他者に対してありのままの自己を表現し、他者の表現をも受け止めることができる。真の自己の発見と他者との真の出会いは、リンクしているテーマである。他者との真の関係については、次のところで述べたい。

(6)社会的なコンテキストに開かれる

 カルディナルは、自分自身との折り合いもうまくいき、くつろいだ生活を送っていた。しかし、自分の世界の地理上に、なにかが定義されないまま残っていることを感じていた。彼女が全快するために必要だったもの、真の癒しのために必要だったものは何か。ここから先の答えは、面接室の外にあった。

 カルディナルは、統合された人格によって、他者に向かって歩み始めることができた。彼女は自分を信頼し、幸せを感じていた。そのころ、二つの悪夢が精神分析に終止符をうつことになった。
 一つ目の悪夢からは、10歳の時の外傷体験と恐怖が甦った。見知らぬ男による性的虐待である。男性からの恐怖を自覚したことがなかった彼女は悶々とする。確かに、この男は怖かったが、以後男性を怖れたことは一度もなく、むしろ、体験した思いやりや愛情は唯一男性から得たものであったからだ。男性性器も恐ろしくはなかった。男が女にもたらす死に対する恐怖、悪夢で甦った昔の恐怖、夢の中で母そしておそらく他の女性たちも経験した恐怖とは、何か。カルディナルは、「母、男性、わたし、母・・」という連想のなかで、母の人生にとって男とは何だったのかに、思いを巡らす。そして、女であることの意味について考えるようになった。
 そして、彼女は、「膣」を発見した。女たちの語彙では、この部分を指し示す言葉は、醜悪、卑猥、不潔、下品、滑稽、機能的でしかなかった。彼女は、自分の発見したものの真の意味を見出すのは、面接室の外であると確信する。女であることを意識すると、それにまつわる様々なものがみえてきた。彼女自身、これまでこの社会で果たすべき役割がなかったこと、37年間の絶対服従、そうとは知らずに不平等と不公平を受け入れてきたこと…等に気付く。どこから手をつけたらよいのか、混乱するカルディナルに、別の悪夢が解放をもたらす。
 それは、蛇が体にまきついている夢だった。夢の中で自分の恐怖を分析した。蛇=男性性器と言われるが、現実に彼女は男性性器は怖れておらず、蛇を怖れる理由はなかった。彼女と夫で、蛇を引き裂くと、最後には2枚のリボンになった。この夢によつて、女の身をすくませた恐怖は男根ではなく、「男性の権力に対する恐怖」であったことを発見する。その権力を共有しさえすれば、恐怖は遠のく、と夢が意味したものを彼女は確信したのだった。「政治」という言葉と、どれほど自分の人生が組織社会と関わっているかを理解したばかりのカルディナルは、自分だけに通用するという解決法を見いだす。

 カルディナルは、女であることの意味を問い直すことで、社会的なコンテキストに開かれていったといえる。そして、女性としてこれまで身につけざるを得なかった歪みを相対化していくことで、真の癒しがもたらされたといえる。現実の生活では、カルディナルは母とは物理的にも心理的にも距離を置いていたが、夢の体験を通して母や他の女たちと、社会的なコンテキストの中でのつながりを確認することができたといえる。女性が他の女たち(必ずしも母でなくてもいいが)とのつながりや絆を感じることは、女性の「力」となるし、「癒し」ともなる。
 「膣の発見」とは、女という「性」の発見ともいえる。女は、男にとっての性的存在であることが求められると同時に、自分の性を否認するように育てられる(村本、1993)。その結果、女性には「自分の体は自分のもの」という意識や実感もなくなってしまう。心と体、心と性が解離してしまうのである。それが、カルディナルが発見した「女のもつ男への恐怖」となって現れるのであろう。心理療法を訪ねるまで、「性器出血」という症状に苦しんでいたカルディナルが、終結を決意するときには、「膣」を発見したというのはとても意味深いことだと思われる。このことは、解離していた心、体、性が、最後にはすべてが「統合」されたことを意味しているのではないだろうか。カサック(1992)による女性の発達理論では、女性には三段階の発達段階があり、第三段階においては、他の女性との結びつきが回復し、身体性の意味を再定義することでエロティシズムが発達するとしている。
 恐怖に対する解決法として、「その権力を共有すること」と述べているが、この文脈での意味から考えると、「権力」を「力」「権威」と言い換えた方が、筆者にはぴったりくる。権力といっても、男社会で通用する権力(業績、金、地位、名誉・・等)のことを意味しているのではない。ボーレン(1991)によれば、「ヘビは、女性が自分の人生を自分で切り開けると感じ始める時にしばしば夢のなかで、夢み手が注意深く近づいていく未知の恐れ深いシンボルとして現れる」という。そして、女性が自分自身の人生の主人公となるためには、「ヘビの力を取り戻そうとしてなければならない」という。
 そして、彼女だけに通用する解決法とは、夫、子どもたちと「真の関係」を築いていくことだった。真の関係を築くためには、まずは自分自身が真の自己として存在していなければならないし、自分のなかに力を感じていないとできないことでもある。彼女は、「すべてのドアが開け放たれた。これこそが、幸福だった」と述べている。ここでは紹介できなかったが、カルディナルは心理療法の代金を稼ぐために仕事につき、その中で「書く仕事」で自分の才能を開花させてもいた。「全体性に向けての旅の結末は、能動的でありながら受容的で、自立的でありながら親密であり、仕事をしながら愛することができる。」とボーレンはいう。また、今のこの彼女の心の状態、現実の生活を、トラウマの視点から言うならば、彼女は「回復した」といえるであろう。ハーマン(1996)は、「他の人々との共世界をつくりえた生存者は生みの苦しみを終えて、憩うことができる。ここにこの人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその人の生活のみとなる」と言う。
 しかし、彼女の自己実現は終わったわけではない。自己実現は、人生がある限り、終わりがない旅のようなものである。

3.今後、女性の自己実現を支える心理療法に求められるものは

 これまでのところでは、『血と言葉』の事例を通して、女性の視点から女性の自己実現の過程とそのテーマについて検討してきた。この章では、心理療法に焦点を当て、女性の自己実現を支える心理療法について考えてみたい。

(1)『血と言葉』から心理療法を考える

 カルディナルの事例は、臨床的援助を受け回復した人の事例といえるが、どのような援助が成功をもたらしたといえるだろうか、この分析家のどんな点が良かったといえるだろうか。もちろん、心理療法の成功には、カルディナル自身の力、勇気があることは言うまでもないが、心理療法は、心理療法家と来談者との相互作用によって進んでいくものであり、共同の作業といえることから、心理療法家の方もその力に応えていけるだけの力をもっていたと言えるだろう。では、その力とは何なのか。
 ミラー(1985)は、『血と言葉』を含め、三つの被分析者の文学的作品をもとに、4人の分析家の姿勢を比較しているが、精神分析を受けた結果はまったく違うものであったという。つまり、創造的な人間として人格の統合に至ったのは、カルディナルの場合だけである。その違いについて、ミラーは、他の分析者は衝動理論の立場から理解しようとする傾向が強いという。被分析者の体験や感情を衝動理論で解釈されれば、被分析者はそういう感情を抱く自分が悪で、破壊的な人間と一層罪責感を強めてしまうことになる。筆者も、カルディナルの分析家が、無理な解釈をしなかったことに、敬意の気持ちをもった。例えば、カルディナルが語った紙の筒のエピソードを「ペニス羨望」とは解釈しなかった。むしろ、彼女自身がその意味を発見していくのを見守っている。カルディナルの男の子への羨望は、「自由」への羨望であったと考えられるが、その体験の記憶から彼女は「真の自己の発見」をしており、自分の記憶から自由に、ありのままに感じとっていることがわかる。そして、それが彼女の力となっている。
 このことから、心理療法家には、当事者の視点にたつことができること、当事者の体験を真の体験として受け止め、尊重できることがまず必要であるといえる。また、真の体験として、しっかりと受け止めることができる力が必要である。しっかりとありのままを受け止められることで、来談者は、自由にありのままに感じる自分を肯定的に感じることができる。こうした心理療法家の態度は、ロジャーズのいう心理療法家の三条件「自己一致」「共感的理解」「無条件の肯定的関心」にも一致する。こうした態度がとれるためには、心理療法家自身が自己統合している必要があるだろう。
 また、女性の心理療法を行う時、当事者の視点にたつことができるとは、女性の視点にたてるということである。カルディナルの分析家は、子どもとしての傷つきを理解し、子どもの視点にたつことができたが、女性の置かれている立場を問題にするのには、この時代の男性分析家として限界だったといえる。ただ、こうした限界がありながらも、カルディナルの再生を支えることができたこと、カルディナルの言葉でいうならば「新生に立ち会った」ことは、尊敬に値することである。女性の視点にたつためには、女性の置かれている状況を社会のコンテキストから理解しておく必要がある。

(2)今後の展望

 カルディナルが精神分析を受けていたのは、フェミニズム運動が起こる以前である。その時代と比べれば、ずいぶんと時代は変化した。カルディナルが一人で発見していったものを私たちは女たちと、仲間と共有しながら発見できる時代になったといえる。最後に、女たちの発見が、現在の心理療法にどう貢献しているのかを振り返り、女性の心理療法の今後を展望してみたい。
 女たちが、私生活における暴虐を認識したのは、1970年代のCR(意識向上)グループに遡る。北米の第二次フェミニズム運動で草の根的に広がったCRグループでは、秘密厳守の規則と女性同志という親密さのなかで、これまでに言葉にすることがなかった体験が語り合われたが、体験や感情を共有することを通して、女性への暴力が社会に蔓延していること、レイプ、パートナーからの暴力、子ども時代の性的虐待が明かとなっていった。グループで語るということは、女たちにとって、どういう意味があるといえるのか。
 女性たちは、グループのなかで、「the personal is political、個人的なことは社会的なこと」であると、自分の体験を相対化していった。そして、「自分だけではなかった」と社会のコンテキストに開かれることで、罪責感、恥辱感、孤立感などから解放されていったといえる。女性は、娘、妻、母など他者との関係で位置づけられるため、社会の中、家庭の中で、孤立しがちであるが、いや、制度によって、孤立させられてきたともいるが、「自分だけではない」という発見が得られた時、女とのつながりを取り戻し、真の癒しが可能となったと思われる。
 こうしたCRグループによる発見は、その後、臨床家による女性のトラウマ研究やフェミニスト心理療法に生かされていった。女性の援助の方法も開発されていったといえる。トラウマ研究では、回復の基礎は、エンパワメントと他者との新しい結びつきを創ることにあることから(ハーマン、1996)、つながりの取り戻しにはグループが有効であると、回復の段階に応じた様々なグループが開発されている(ハニー他、1999,ハリー他、1998)。グループのテーマには、女であることを問い直すテーマもあり、社会のコンテキストに開かれることが回復に必要とされている。フェミニスト心理療法においても、女性に焦点をあて、テーマ中心のワークショップや自己評価を高め、コミュニケーション・スキルを習得するための様々なグループが開発されている(アイケンバウム他、1988,ウォーカー他、1994)。
 こうして女性の視点にたつ研究が進み、グループの実践が積み重ねられるにつれて、よりたくさんの女性にサービスが届けられること、そして女性の回復や自己実現に役立っていくことが望まれる。ハーベイ(1999)は、臨床的援助を利用しない人やそこから利益を得られない人たちは非常に多いことから、効果的なコミュニティ介入を研究する必要があるというが、教育的なグループは、コミュニティ介入として有効であるかもしれない。また、個人の心理療法と同時に、グループによる心理療法を並行していくことで、個人の心理療法だけを行うよりも、時間的にも、費用的にも、効果としても、来談者に利益を提供できるかもしれない。特に、女性の自己実現のために必要といえる「社会のコンテキストに開かれる」というテーマについては、グループが有効であろう。
 女性ライフサイクル研究所においても、昨年から、トラウマからの回復と癒しを目的とした女性のためのグループ・セラピーに取り組んでいる。女性のニーズに応えると同時に、回復、癒し、成長、変容、自己実現を支えるのに有効な方法を、先人の研究と実践からまずは学びながら、検討していければと考えている。様々な女性の努力の恩恵の上に今の私たちがあることを忘れることなく、その恩恵を生かしながら、また様々な女性にその恩恵を手渡していくことができればと思っている。

4.おわりに

 カルディナルは、精神分析の完結を前にして、自分は「いかれ女」ではないことを、そう見る人々に理解させるため、そして、かつての自分のように、現在苦しんでいる人々の助けになるために、いつか自分の体験を本に書こうと決心した。心を病んだ女性がふたたび生命を得て、長い時間をかけてこの世に幸せな復帰を果たし、生きる喜びと自分の世界に対する感激を味わうまでに全快する、その過程を小説に描こうとした。その決心が結実したのが『血と言葉』である。フランスでは、1975年の刊行と同時に、一躍読書界の注目を浴び、有力新聞雑誌の書評で絶賛され、ベストセラーになったという。また、読者からの手紙が彼女の元に何千通も届いたというが、彼女が伝えたかった思いは、多くの女たちの共感を呼び、女たちの心に届いたといえる。彼女の回復は、たくさんの女たちへとつながり、社会へとつながっていったことに、感動を覚える。
 筆者も、本書を取り上げたのには、著者カルディナルが、身を投じて語ってくれた真実と発見を、ぜひ、もっとたくさんの人に伝えたいという気持ちが強かったといえる。本書が、我が国では絶版となってしまっていることは、非常に残念であるが、普遍的なテーマといえるカルディナルの発見を、そして、生きる希望と可能性を、本論を通して、少しでも伝えることができたならば…幸いである。
 筆者自身、まだまだ学ばなければならないこと、学びたいことがたくさんある。たくさん学び、自分自身も成長していくことで、心理療法を通して、少しでも他の女性の役に立つことができたらと、思っている。これからまた10年後、今思うことがどれだけ可能となっているのか、どれだけ実行できているのか…、楽しみにしながら、そして気合いを入れながら、心してこれから先も歩み続けていきたい。

文献

ジーン・シノダ・ボーレン(1991)『女はみんな女神』村本詔司、村本邦子訳、新水社。

マリ・カルディナル(1992)『血と言葉』、柴田都志子訳、リプロポート。

フィリス・チェスラー(1984)『女性と狂気』河野貴代美訳、ユック舎。

ナンシー・チョドロウ(1981)『母親業の再生産』大塚光子、大内菅子訳、新曜社。

Conarton,S.&Silverman(1988)Feminine Development Though the Life Cycle“Feminist Psychotherapies:Integration of Therapeutic and Feminist Systems”(Dutton-Douglas & Walker)

ルイーズ・アイケンバウム&スージー・オーバック(1988)『フェミニスト・セラピー』長田妙子、長田光展訳、新水社。

Harney,P.A. & Harvey,M.R.( ) Group Psychoterapy:An Overview

Harris,M.H. and The Community Connections Trauma Work Group(1998)Trauma Recovery and Empowerment : A Clinicians Guide For Working With In Groups、The Free Press。

メアリー・ハーベイ「生態学的視点から見たトラウマと回復」村本邦子訳、『女性ライフサイクル研究 第9号 特集:女性のトラウマと回復』女性ライフサイクル研究所。

ジュディス・L・ハーマン(1996)『心的外傷と回復』中井久夫訳、みすず書房。

Kaschak,E.(1992)“Engendered Lives:A New Psychology of Women's Experience”

河合隼雄(1967)『ユング心理学入門』、培風館。

河合隼雄(1992)『心理療法序説』、岩波書店。

アリス・ミラー(1985)『禁じられた知』山下公子訳、新曜社。

アリス・ミラー(1994)『沈黙の壁を打ち砕く』山下公子訳、新曜社。

村本邦子(1993)「からだと性」『女性ライフサイクル研究 第3号 特集:ダイエットから摂食障害まで』女性ライフサイクル研究所。

アドリエンヌ・リッチ(1994)『女から生まれる』高橋茅香子訳、晶文社。

佐藤紀子(1997)「四捨五入すると70歳(心は少女のつもり)からの一稿」『女性ライフサイクル研究 第7号 特集:中年期の女性の課題』女性ライフサイクル研究所。

D・W・ウィニコット(1977)『情緒発達の精神分析理論』牛島定信訳、岩崎学術出版社。

L・ウォーカー&L・ローズ・ウォーター(1994)『フェミニスト心理療法ハンドブック』河野貴代美、井上摩耶子訳、ブレーン社。