『女性ライフサイクル研究』第10号(2000)掲載

日本におけるフェミニスト心理学の歴史と展望

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

1. わが国におけるフェミニスト心理学の出版状況

 わが国におけるフェミニスト心理学に関してまとめた資料がないので、和書の出版物を検索してみた。その結果、わが国では、フェミニスト心理学関係の出版が非常に少ないことがわかった。男性心理学者による女性心理の本を除いて、女性心理学、もしくはフェミニスト心理学に分類できる最初のものは、おそらく、しまようこの『フェミニスト・サイコロジー〜女性学的心理学批判』(1985)だろう。著者は、1970年代の半ばからフェミニズム運動に参加し、女性学の視点を得て、フェミニズムの視点から心理学の体系を再点検したいと考えるようになったと書いている。ついで、村山久美子による『女性心理学入門』(1987)がある。村山は、1980年に入って、カプランの『女同士のバリア』(邦訳『娘と母』)に接し、女性同士の対人関係の研究に興味を持ったという。その他、小倉千加子らによる『性差の発達心理』(1982)、『性役割の心理』(1984)を挙げることができるだろう。
 フェミニスト心理学に分類できるかどうかはともかく、斎藤学・波田あい子編『女らしさの病〜臨床精神医学と女性論』(1986)も挙げておこう。これは、1983年、東京都精神医学総合研究所でスタートした「性差研究会」のまとめであるという。斎藤と波田の対談「性差とフェミニズム」では、話がかみあわない部分もあるが、波田の主張がフェミニズムの視点からなされていることは明らかである。この「性差研究会」はその後、第二次メンバーで続けられるが、斎藤(1990)によれば、40代から60代の「おじさん精神科医」は、ほとんどやめてしまったという。「自分たちは、同年輩の他の男に比べてずっと女性を大事にしてきたし、理解もしてきたと思ってきたのに、真正面から性差別の問題を論じるとなると、考えたくないところを突かれると感じるようだ。」と斎藤はコメントしている。男女のコミュニケーションの困難さを示唆しており、興味深い。
 80年代、フェミニスト・カウンセリングの分野からは、河野貴代美の『自立の女性学』(1983)、『女性のための自己発見学』(1985)などが出版されている。河野(1990)は1968年にアメリカへ渡り、シナノンに関わり、大学院教育を受けた後、フェミニズムと出会ったという。帰国し、1980年、東京に「フェミニストセラピィなかま」をスタートさせている。90年代には、『フェミニスト・カウンセリング』(1991)、『女性のためのグループ・トレーニング』(1995)、『自分らしさを生きる心理学』(1996)などを出版している。この他、川喜田好恵『自分でできるカウンセリング〜女性のためのメンタルトレーニング』(1995)、井上摩耶子『フェミニストカウンセリングへの招待』(1998)が続く。1998年、新水社から河野の編集で「女性と心理」シリーズがスタートしている。『家族の現状』(1998)、『セクシュアリティをめぐって』(1998)、『女性のからだと心理』(1999)、『フェミニストカウンセリングの未来』(1999)がすでに出版されており、本格的にフェミニスト心理学の構築が始まったことを感じさせる。
 加えて、1995年、柏木恵子・高橋恵子編集の『発達心理学とフェミニズム』(1995)を挙げられる。この本は、1993年、日本教育心理学会のシンポジウム「女性の視点を心理学にどう活かすか」に端を発している。シンポジウムは初日朝一番に行われたにも関わらず、部屋に入りきれないほどの盛況であったという。柏木・高橋は、わが国の心理学に巣くうセクシズム(性差別)を何とかできないかと考え、これを企画したと書いている。

2. 心理学関連学会での動き

 アメリカと比較して、わが国のフェミニスト心理学関係の出版物が極端に少ないことに改めて驚かされるが、日本の学会の雰囲気や信念がその発展を妨げてきたことは想像に難くない。ここでは、心理学関連学会での、動きを見てみよう。フェミニスト心理学関係の研究動向をまとめた論文を見つけることはできなかったが、性差研究、女性心理学、ジェンダー心理学に関してまとめた論文はあった。性差研究は、生物学的性差を強調する反フェミニスト的立場をとり得るので、その扱いが難しい。
 伊藤裕子(1984)による「心理学における性差研究の動向とその社会的背景」は、1980年代までの性差研究の動向をまとめたものであるが、わが国では、1950年代に性度(男らしさ・女らしさの度合い)への関心が高まり、60年代には性役割研究へと関心が移行した。男性研究者によるものだが、1970年には津留宏編『性差心理学』、1979年には間宮武『性差心理学』が出版されている。この時代の研究は、おもに、性差という視点からの男女の比較研究だったようだ。
 東清和(1997)の「ジェンダー心理学の研究動向〜メタ分析を中心として」によれば、80年代以降、メタ分析と呼ばれる新しい統計法が開発されてから、性差研究は劇的に変わり、生物学的性別を被験者変数とした性差研究の限界が判明しつつあるという。裏返せば、これまでの研究が、生物学的性差を被験者変数とした研究であったということになるだろう。東の結論は、「学校における男女平等教育の推進が強調されている現状で、男女平等教育の基礎研究としてのジェンダー心理学的研究が緊急の課題である」というものである。東は、現状では、この種の研究は皆無に等しいというが、今後、この研究分野がフェミニスト心理学に接近してくる、あるいは入ってくる可能性はある。そもそも、「性差研究」を「ジェンダー心理学」と置き換えたところから、それが言えるだろう。
 心理学関連学会内部の女性心理学の状況に関する研究としては、田中佑子(1992)による「心理学における女性研究の動向〜日本心理学会・日本教育心理学会を中心として」がある。田中によれば、心理学における女性研究には、性差研究、性役割研究、女性を対象とした研究の3つの流れがある。1988年から1991年までの4年間の論文を分析した結果、毎年、平均して20件ほどの口頭発表が行われているが、研究の定着や深まりを生み出すに至っていないという。1988年、日本教育心理学会大会で、シンポジウム「心理学と女性研究者をめぐる諸問題」が開催されたのを唯一の例外にして、女性関連のテーマが取り上げられた講演、シンポジウム、ワークショップはない。もっとも、これは1991年までの研究なので、その後は、上述した柏木らによる93年のシンポジウム「女性の視点を心理学にどう活かすか」が開催されている。
 無藤清子(1995)の「心理臨床におけるジェンダーの問題」は、日本心理臨床学会による『心理臨床学研究』の1983~1994年分、および『心理臨床ケース研究』の1983〜1988年分に掲載されている論文を分析し、心理臨床における治癒像の内容と、クライエント・セラピストの性別との関係を明らかにしたものである。結果としては、人間の中に男性性と女性性、父性と母性の両方を見出す視点からの論文は非常に少なく、女性性と母性は女性クライエントに、男性性と父性は男性クライエントに重視されていた。女性性を強調するのはほとんどが女性セラピストで、母性を強調するかなり多くが男性セラピストということもわかったという。
 筆者は、1980年代から、いくつかの学会に所属しているが、ここでは、筆者の限られた体験を紹介することで、状況を推し測って頂けたらと思う。筆者が最初に学会に「フェミニズム」という語を持ち込んだのは、1991年、第10回日本人間性心理学会大会で「現代子育て事情〜フェミニズムの立場から」を発表したときだった。この時、司会者以外、フロアには女性会員がゼロ、ごく少数の男性会員が聞きにきてくれただけで、寂しい思いをした。理由を考えていたとき、一人の男性会員が「こういう所に女性が入ると、フェミニストとレッテルを貼られるから警戒しているのではないか。」と言った。私は、フェミニストとレッテルを貼られることが悪いことなのだと、その時、初めて知った。その後、人間性心理学会では、夫である村本詔司が編集局長として学会誌でジェンダーの特集を組んだこともあり、1993年に「人間性とジェンダー〜フェミニスト・セラピーからの寄与」を書いた。96年には、「組織と女性」を書き、企業における女性差別やセクシュアル・ハラスメントについて論じた。これらに対しては、数人の女性会員から共感的な反応をもらった。
 日本心理臨床学会では、1993年、第12回日本心理臨床学会大会で「早期母子サポートの試み」のタイトルで発表した。この時「フェミニズム」の語を抜いてみたところ、学会の規模が全然違うという事情もあろうが、フロアにはたくさんの女性会員が入り、共感を示してくれた。また、日頃の臨床経験から、性虐待の深刻な問題を臨床心理の専門家に理解してもらう必要があると考え、同大会で、佐藤紀子らと「チャイルド・セクシュアル・アビューズを考える」の自主シンポジウムを企画した。このシンポジウムは、毎年継続し、今年で第8回目を迎える。1年目は30人そこそこの小さなシンポジウムだったが、数年後からは、毎年、盛況である。背後には、とくに95年の震災以降、トラウマや被害者支援に対する意識の高まりがあり、虐待に関して発言することが容易になった。
 1998年には、臨床心理士会第3回全国大会のシンポジウム「心的外傷とトラウマ」のシンポジストとして、また、1999年には、大阪府臨床心理士会シンポジウム「児童虐待〜心的外傷」の講師として、発言する機会を得た。とくに性虐待の問題に焦点を当てて発言したが、若干の揶揄や反感を得た一方、若い女性臨床家たちからの共感も得た。あえてフェミニズムについては語らずにきたが、その後のさまざまな反応から、自分が、十分に「フェミニストのレッテルを貼られている」ことを知った。フェミニズムに共感しない人にも、フェミニストの何たるかは、直感的にわかるものなのだと妙に感心している。
 その他、心理臨床学会のプログラムから見る限り、女性心理に関わると思われる自主シンポジウムとしては、93年、原千恵子・倭文真智子企画の「産む性をどう生きるか〜女性の内的成長」があり、95年から、上別府圭子・園田雅代企画の「心理臨床における女性の支援」が継続されている。強く印象に残っているのは、1999年の倫理に関する大会シンポジウムである。シンポジストの一人だった佐藤紀子は、大学や学会でのセクシュアル・ハラスメントについて語り、治療者による性被害も話題に上った。フロアから女性会員たちからの声援があがり、時代の変化が感じられた。
 筆者の経験から言えば、フェミニズムにもっとも抵抗の少ない心理学会は、日本コミュニティ心理学会ではないかと思う。高畠克子は、1997年の学会誌創刊号に「ドメスティック・バイオレンスに対するフェミニスト・セラピーからのとりくみ」を、99年「ドメスティック・バイオレンス被害者のための“シェルター活動”〜予防・危機介入・アフターケアからみた実践報告」を発表している。1999年の年次大会では、公開シンポジウム「ドメスティック・バイオレンスの現状と展望」を開き、筆者もコメンテーターとして発言した。コミュニティ心理学が社会に重きを置いていることを考えれば、当然なのかもしれない。

3. フェミニスト・カウンセリングの発展

 井上摩耶子(1998)は、著書のなかで、1990年日本臨床心理学会で持たれた分科会「フェミニズムから心理臨床をどうとらえるか」で河野貴代美(当時は非会員だったが、発題者として招かれている)と出会い、フェミニストカウンセラーと名乗るようになったと書いている。そこで、この学会の動きを学会誌から追ってみると、93年「女性のセクシュアリティを考える」、95年「フェミニズム視点の共有化をめぐって」の分科会が続いている。メンバーの顔ぶれから、この分科会から、「日本フェミニストカウンセリング研究連絡会」が生まれたのだろうという印象を受けた。
 1993年には、第1回「フェミニストカウンセリング全国大会」には、延べ800人近くが集まったという。この大会後、「日本フェミニストカウンセリング研究連絡会」が結成され、94年に、第1回「日本フェミニストカウンセリング研究連絡会大会」が開催されている。これが第2回「フェミニストカウンセリング全国大会」とならなかったのには何か理由があるのだろうが、不明である。第1回日本フェミニストカウンセリング研究連絡会大会以降は、記録集が発行されており、日本におけるフェミニストカウンセリングの発展を窺うことができる。
 第1回大会では、「フェミニストカウンセリングとは何か?」のシンポジウムがもたれている。河野は14年を振り返り、「アメリカではCRの限界や大学における女性学といったものから、必要性が認識されて生まれているのに対して、日本のフェミカンは、十分な土壌があるのかないのか良くわからない日本に私がアメリカから直輸入して移植した。女性解放のキーコンセプトである"The personal is political."(個人的なことは政治的なことである)といった思想性が希薄だったと反省している。」といった発言をしている。第5回大会のシンポジウム「今、さらにフェミニストカウンセリングを!」では、井上が日本のフェミニストカウンセリングの歴史を3期に分けている。第1期は1980年代、河野によって始められたフェミニストセラピ“なかま”の時代、第2期は1990年代、研究連絡会が結成され、フェミニストカウンセリングを開業する機関が増え、全国的なネットワークが始まった時期、そして、第3期が1998年から、資格問題や訓練が前面にでてきたという。記録集を読むと、さまざまなテーマで分科会が持たれ、CR的な役割も果たしながら、徐々に理論化の試みがなされているようだ。
 この組織とは別に、1994年に「女性問題相談員連絡会」が結成されている。“なかま”から独立し、1991年、東京フェミニストセラピーセンターを開設した平川和子らが中心になっている。とくに、バタリングや子どもの虐待に焦点をあて、1996年には「FTCシェルター」を立ち上げている。上述したコミュニティ心理学会での高畠の発表は、このシェルターでの体験をもとにしている。平川らは、1998年、『シェルター〜女が暴力から逃れるために』も出版している。これらの活動は、AKKシェルター・斎藤学の組織とも連係しており、2000年6月には、「全国シェルターネット2000年東京フォーラム」を開催した。
 とくに90年代になってから、実践の部分で女性問題が前面に出てきた背景には、ドメスティック・バイオレンスやセクシュアル・ハラスメントなど、女性への暴力とトラウマが社会の関心を集めるようになったことが関係している。そこに至るまでには、当然、女性たちの粘り強い運動があった。1983年、東京強姦救援センター、1988年、性暴力を許さない女の会をはじめ、草の根的な女性運動によるもので、初期には、心理学関連の人はほとんど関わっていなかったのではないかと思われる。1996年、日本DV防止・情報センターができている。暴力被害女性への支援のニーズが高まり、公的な女性センターでの女性相談事業が拡大しつつあるために、女性問題の本質を理解しつつ、専門的な対処のできる実践家の必要性が急激に高まり、その養成が緊急の課題となっている。

4. わが国におけるフェミニスト心理学の背景

 アメリカでは、1960年代後半から70年にかけて、女性心理学者たちが女性解放運動にコミットした結果、従来の心理学にフェミニスト批判を加え、新たな心理学をつくっていこうという動きが起きた。わが国の状況に目を向けてみると、リブの運動にコミットした心理学者はきわめて少なかったと考えられる。そもそも、心理学は個人の心を絶対視する心理主義に陥りやすく、社会運動を軽視する傾向にある。アメリカと比較して、市民運動が広がりにくい日本の風土、より権威主義的なアカデミズムを考慮に入れるならば、この傾向は、わが国においてより強く、心理学内部の運動嫌いが根底にあったのではないか。いくぶんか反精神医学運動の流れをひくと考えられる日本臨床心理学会とコミュニティ心理学会は例外的だが、上述したように、この2つの学会が、90年代、フェミニスト的志向を持つ心理学を受け入れたことは偶然ではあるまい。
 それ以上に、リブが起こった時代、心理学、とくに臨床心理学の分野では、批判を加えるだけの基盤もできていなかったのではないかというのが筆者の推論である。『通史〜日本の心理学』(1997)によれば、日本の心理学のスタート時点は、アメリカにそれほど遅れをとっていない。しかし、戦時下および敗戦後しばらくは、研究活動を行うための情報や基金が不足し、大きな遅れをとり、とくに、臨床心理学は、戦後15年、その紹介と吸収に明け暮れた。戦後の心理学は、大学のカリキュラムに入り込み、量的拡大の制度的基盤を得ることに精一杯で、批判するという状況にはなかったのではないだろうか。しかも、戦前、女子教育の最高機関であった専門学校には大学の名称も許されておらず(日本女子大学校は唯一の例外)、1947年に新しい教育制度が樹立されるまで、実質的には、女性の心理学者はいなかったと考えられる。したがって、リブの運動が起こった頃、アカデミックな領域にいた女性心理学者は、非常に限定されていたはずだ。そんな中でフェミニズムに関心を示すことは、ほとんど不可能に近かったと想像する。
 岩堂美智子(2000)は、大阪市立大学で、1979年、13名の有志と「婦人問題論」の自主講座運動を始め、1985年、正規の講義として「婦人問題論」を設置、その後は「女性学」として、全学対象のオムニバス形式の講義を定着させた。筆者も、1994年から2000年まで、臨床心理学の立場から、講義の一端を担わせてもらったが、岩堂らの運動が実り、2000年後期より、女性学選任教員が着任するという。岩堂は、「女性学を大学に、という運動を始めたときは、これで一生昇格できなくとも構わないと覚悟を決めていた」と言い、「大学にそもそも女性研究者が少なく、孤立していた。彼女たちは男性的発想で研究していたし、男性の師に認められたから生き残れたわけで、自分はラッキーだと自覚していたでしょう。やっと手に入れた職を手離したくないこと、などから権威に反発するような態度はとても若いうちは示せなかったのではないか。」と語っている。
 実は、つい最近、その言葉どおりの世界を垣間見た。心理学以外の非常に閉鎖的かつ権威的な学会で、若い女性である大学院生と性被害について話していたのだが、彼女の発言があまりに加害者擁護のスタンスに立っていることにまず驚かされた。しかし、これも教育と、丁寧に被害女性の立場を説明したが、彼女は、最後に、「それでも、学会に出てくるからには、感情的にならず、中立的、客観的に考えようという自覚があるのでしょう?」と言ったのである。彼女にとっては、被害者を擁護することは、中立・客観からはずれることなのだろう。また、筆者は、性格上、ふだんから人に説教されることはまずないが、彼女が平気でこれをやってのけたことに驚いた。後々考えて、その世界で最高峰にあたる大学院で学ぶ彼女は、背後に権威のバックアップを感じているのだろうと思った。こうして、男性の師に認められ、男性的発想で研究する女性研究者が育つことが理解できた。彼女にとって、女性の立場や被害者の立場がわかるようになることは、プラスになのだろうか?彼女のような立場にいる女性がフェミニズムを学ぶことは、トラブルの元だろう。これこそが、心理学の世界にフェミニズムが入り込めなかった理由なのだと思った。
 早い時代に大学に所属したほとんどの女性心理学者がフェミニズムを敬遠し、軽蔑さえしてきたことも無理はないだろう。筆者自身は、大学から一定の距離を置いてきたので、それほど葛藤を持たずにきたが、振り返れば、自分の居場所が別の所(つまりここFLC)にあったからだと思う。佐藤紀子(1990)は、「・・・筆者のように戦後まもない頃に『社会』に出た女達にとっては、その職種が精神分析であろうとなかろうと、そのような『仕事』以前に、まず、『家父長制的男性論理で貫かれている』社会に『ほうりこまれる』ことを意味していたことを述べたかったからであり、従ってその中で感じざるを得ない多くの痛みや矛盾は、それを『フェミニズム』と呼ぼうと何と呼ぼうと、常に『女の視点』に立ち返ることを、私に強制してやまなかった・・・。」と書いている。私なら、これを「フェミニズム」と名づけるが、佐藤がこのように明晰な意識を維持できたのは、奇跡のようにも思われる。佐藤自身のコメントでは(2000)、出身校である東京女子大の影響(自由な校風と、女子大であったため大学内部での性別役割分担がなかったこと)が大きいのではないかということだったが、筆者は、それに加えて、大学の中にどっぷり浸からず、自分の足場となる開業の場を持っていたからではないかと推測している。

5.フェミニスト心理学のこれから

 以上のことをまとめると、次のふたつのことが言えるだろう。ひとつには、大学や学会内部の心理学にフェミニズムを持ち込むことは困難だったが、90年代になってから、わずかながら、フェミニズムの視点が芽生えつつあることが確認できた。ふたつめは、それとはまったく別のところで、河野がフェミニスト・セラピーをアメリカから「直輸入して移植」し、とくに90年代より、社会のニーズもあって、日本のフェミニスト・カウンセリングが発展しつつあるということだ。新しい世紀の課題は、これらふたつの流れを合流させることだろう。つまり、伝統的な心理学にフェミニズムの視点を持ち込み、フェミニズムの視点から、新しい心理学理論が作られていくこと、同時に、フェミニズムの視点をもって対処できる臨床家を養成していくことである。
 アメリカでは若い世代への引継ぎに問題があることがわかったが、筆者自身は、わが国の状況に関して、楽観的な部分もある。フェミニストを名乗る、名乗らないに関わらず、若い世代の女性たちの感覚はずいぶん変化しているように感じられるからだ。根底には相変わらず根強いセクシズムはあることも事実だが、「そんなことは我慢ならない」と思う女性たちが一部で育ちつつあることも確かだ。15年前ならば、大学教授やその他、権力者によるレイプやセクシャルハラスメントを訴えようとする女性がいただろうか。国際化の流れの中で、これまでのようなあからさまな女性差別が許されなくなっていくことも確かだろう。岩堂(2000)は、「今では大学当局がもっと女性教員を大学に!という将来教育を作るなど、時代が追い風になり戸惑っているくらいだ。」と言っている。2000年代には、大学の心理学にも、フェミニズムの視点、女性の視点が入っていくことだろう。
 そういった若い世代の女性たちが、心理学を学ぼうとするとき、十分に説得力があり、魅力を感じさせるようなフェミニスト心理学関係の出版や学会が必要だろう。田中(1992)は、「女性研究は現在既成の部門に分散して発表されているが、女性心理という固有の部門の確立と専門誌の発行があれば、実験心理の伝統的な枠を越えた女性心理学研究の発展が可能なのではないか。」と述べている。カウンセリングの実践のみに留まらず、理論的な部分も含めてともに研究できる学会組織のようなものが必要な時代にきているのではないだろか。これから、わが国のフェミニスト心理学をつくっていけたらと思うのである。

文献

波田あい子・平川和子(編)『シェルター〜女が暴力から逃れるために』青木書店。

東清和・小倉千加子(1982)『性差の発達心理』大日本図書。

東清和・小倉千加子(1984)『性役割の心理』大日本図書。

東清和(1996)「ジェンダー心理学の研究動向〜メタ分析を中心として」『教育心理学年報』第36集。

伊藤裕子(1984)「心理学における性差研究の動向とその社会的背景」『女性学年報』第5号。

井上摩耶子(1998)『フェミニストカウンセリングへの招待』ユック舎。

岩堂美智子(2000) 私信。

川喜多好恵(1995)『自分でできるカウンセリング〜女性のためのメンタルトレーニング』創元社。

河野貴代美(1983)『自立の女性学』学陽書房。

河野貴代美(1985)『女性のための自己発見学』学陽書房。

河野貴代美(1990)「座談会・フェミニストセラピィの視点〜斎藤学・平木典子・河野貴代美」『現代のエスプリ・フェミニストセラピー』(河野・平木編)278号。

河野貴代美(1991)『フェミニスト・カウンセリング』新水社。

河野貴代美(1996)『女性のためのグループ・トレーニング』学陽書房。

河野貴代美(1996)『自分らしさを生きる心理学』海竜社。

河野貴代美(編)(1998)『家族の現状』新水社。

河野貴代美(編)(1998)『セクシュアリティをめぐって』新水社。

河野貴代美(編)(1998)『女性のからだと心理』新水社。

河野貴代美(編)(1998)『フェミニストカウンセリングの未来』新水社。

柏木恵子・高橋恵子(編)(1995)『発達心理学とフェミニズム』ミネルヴァ書房。

無藤清子(1995)「心理臨床におけるジェンダーの問題」『発達心理学とフェミニズム』ミネルヴァ書房。

村本邦子(1993)「人間性とジェンダー〜フェミニスト・セラピーからの寄与」『人間性心理学研究』第11巻第1号。

村本邦子(1996年)「組織と女性」『人間性心理学研究』第14巻第2号。

村山久美子(1987)『女性心理学入門』誠信書房。

日本フェミニストカウンセリング研究連絡会(1994~1999)『フェミニストカウンセリング全国大会報告集』第1号〜5号。

斎藤学・波田あい子編(1986)『女らしさの病い〜臨床精神医学と女性論』誠信書房。

斎藤学(1990)「座談会・フェミニストセラピィの視点〜斎藤学・平木典子・河野貴代美」『現代のエスプリ・フェミニストセラピー』(河野・平木編)278号。

佐藤紀子(1990)「精神分析の立場から」『現代のエスプリ・フェミニストセラピー』(河野・平木編)278号。

佐藤紀子(2000)私信。

佐野達哉・溝口元(1997)『日本の心理学』北大路書房。

しまようこ(1985)『フェミニストサイコロジー〜女性学的心理学批判』垣内出版。

高畠克子(1997)「ドメスティック・バイオレンスに対するフェミニスト・セラピーからのとりくみ」『コミュニティ心理学研究』第1巻1号。

高畠克子(1999)「ドメスティック・バイオレンスの被害者のための“シェルター活動”〜予防・危機介入・アフターケアからみた実践報告」『コミュニティ心理学研究』第3巻1号。

田中佑子(1992)「心理学における女性研究の動向〜日本心理学会・日本教育心理学会を中心として」『女性学研究第2号』女性学研究会。