『女性ライフサイクル研究』第7号(1997)掲載

中年期の女性の課題

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

 ここ数年、私自身、中年期を自覚するようになった。年齢を考えてというよりは、体の変化、子どもとの関係、夫との関係、それから仕事などが、それを感じさせる。
 体のこと。私はもともと元気なタチで、よく食べてよく眠るし、肩凝りとか腰痛とかとは無縁だった。それが、すぐ、体に出るようになった。ストレスが高まると、どっと白髪が増える、胃の具合が悪くなる、頭痛がする、眠りにくくなる、肩や背中が凝ってくる。どうやら、これらは私のストレスサインで、「もっと自分を大事にして暮らしなさい」と赤信号を送ってくれるようだ。ふと、これまで、私は本当に元気だったのか、もしかすると単に鈍感だっただけではないのかとも思えてくる。病気がちの人、病気を抱えながら生きている人たちにとっては当たり前のことなのだろうが、私にとって、これらの体の変調は、老いとしてだけでなく、年齢とともに、自分の体としっくりやれるようになったこととしても感じられる。
 子どもたちも成長し、物理的な世話はぐっと減った。まだまだ、気にかけなければならない面もあるが、それぞれに、自分の世界を持ち始めている。ある種の一体感は失われ、子どもたちも、一人の別個の人として生き始めているような気がする。夫との関係も、10年が過ぎ、10年ひと昔と言うけれども、ひとつの時代を共にしてきた感慨もある。互いに必死ではあったけれどわがままなぶつかりあいを経て、ようやく、少し平和で穏やかな基盤を得たようにも思う。期待、断念、現実、そして受容と尊重と……
 おかしな話だが、ようやく、本当に仕事をしようという気持ちになったことも大きな変化だ。長いあいだ、私にとって、仕事とは、現実の生活を支える必需品という意味と、おもしろいことという意味の二つしがなかった。私には、仕事が多分に自己中心的な動機に基づいていたように思うのだ。ところが、こうして仕事を続けてきて、今では、自分を社会にいかすという意味が付け加えられ、エリクソンのいう「世代性」という概念を意識するようになった。「世代性」とは、次世代を確立させ、導くことへの関心、自己愛的なあり方から、もっと人類的な次元へと関心を拡げていくことを示している。ようやく、自分が本当に大人になったような気がする。
 さらに、自分を歴史の流れに位置づけられるようになったのも変化である。子どもの頃、両親の子ども時代や戦争の話を聞いても、それは、おとぎ話のように現実離れした「昔々、あるところに……」の物語のようなものだった。30年も40年も生きていると、歴史的な大きな出来事もいくつか経験するし、今から50年前、60年前が、どの位のところにあるのか、大方の見当がつく。歴史の教科書に出てくる出来事が、バラバラの断片としてでなく、自分のいるこの現在と連続した時間軸にあるのだということが、ようやく実感できるようにもなった。
 同時に、前の世代への思いも沸いてきた。どちらかと言えば、私はこれまでずいぶんと不遜で、誰かからアドバイスをもらってうまくやるより、自分の思うようにやって失敗することを好んだ。自分の体で納得しなければ、どうにも満足できなかった。今は、人生の先輩たちから学び、それに連なっていきたいという気持ちが出てきた。中年期という今回のテーマは、まさに、先輩たちに教わりたいことのひとつである。
 第1章では、各世代の中年期体験を語って頂いた。意図したわけではなかったが、この章の執筆者は、みな何らかの形でカウンセリングに関わっている方々である。職業上の豊富な経験に加え、洞察力、分析力などといった点で優れた才を発揮してご自身の体験を語って頂いたので、さすがに読み応えがある。「世代と中年期」としたが、中年期を終えた人、中年期真っ最中の人、中年期に入ったばかりの人、それから中年期前の人と並べて見ることで、それぞれの中年期の背後にある時代を感じて頂けたらと思う。個々人の生き方もさることながら、中年期を規定する時代背景は変化していく。中年期という時期ができたのも比較的最近のことながら、各世代、モデルのないなか模索してきたのだろう。ひとことに中年期と言っても、その時代のもつ社会的、文化的背景を欠かすわけにはいかないことがよくわかる。
 第2章では、中年期女性が出会う可能性のある個々の課題に焦点を絞ってまとめてみた。中年期も、その入口にいるのか出口に近いのかで、状況はずいぶんと違うだろう。それでも、一般的には、子ども、夫、親など家族との関係を見直したり、性や体の変化と折り合いをつけるといったことと直面するようだ。それらは、子ども時代の親との関係、思春期や子育てといったこれまでの人生を自分自身がどう生きてきたかの問い直しでもある。
 第1章からもわかるように、中年期が決して特別な時期であるわけでなく、それまでの生の延長にあるわけだが、改めて立ち止まって、「本当にこれでいいのか」と自分に問いかけるのが中年期なのだろうか。いや、ひょっとすると、特別意識せず過ぎていく中年期もあるのだろう。
第3章では、必ずしも中年期と関わりがあるとは言えないさまざまな人生を生きる女性の中年期に焦点をあててみた。シングルにしても、夫の海外赴任にしても、震災や子ども時代のトラウマにしても、本来、決して特殊な問題ではなく、さまざまな形であらゆる女性に関わってくる問題なのだと思う。第1章で佐藤先生からの指摘もあったが、奥田さんからも、特別中年期を言うことに対する批判が提示されている。私も、特別中年期を言うことで、個々の女性の人生を型にはめてしまうことを望んではいない。女性のライフサイクル論が「女の人生表街道」や「まともな女性のあり方」の規範を示すだけなら、単に現状適応を押しつけ、個々の女性を苦しめるだけだろう。でも、これらが、苦しみや悲しみを伴いながらも、多様で柔軟な女性たちの姿として浮かび上がってくるならば、それぞれの女性が自分のいるところを確認し、人生を選択していく上での励ましのメッセージとなり得るのではないかと思っている。
 第4章では、中年期の女性へのサポートやサービスを提供する女性たちの目に映っているものをまとめて頂いた。執筆者は、それぞれご自身も中年期にある方々ばかりだ。電話相談、個人面接、サポート・グループ、サイコ・ドラマ、女性学学習と形はいろいろあるが、偏った社会の中にある女性の立場を尊重し、個々の女性がその偏りに気づいていくなかで、自分自身を問い直す手助けをする、あるいは自己表現を促し、自己評価を高めるという手続きは共通している。
 中年期女性の課題は、外から押しつけられてきた規範と、しらずしらずのうちに取り込んできたそれを見直し、本当に自分にとって必要なものとそうでないものをより分け、自分の納得いくように自分の人生を立て直すチャンスになるものだと思う。本来、人生とは、いつの時期もそういうことの繰り返しなのだろうが、これからの時代、中年期を生きる者として、ますます自分本意に、自分が何を大切にして生きていこうとしているのかを常に確認しながら選択していきたいと思う。
 最後になりましたが、原稿を頂いた皆さん、いつもFLCの活動を応援してくださる皆さんに、あらためて感謝します。8年のうちにはいろいろなことがありましたが、ここまで息長く活動を続け、この仕事を大切に思えることも、皆さんの支えがあってこそです。例年のように表紙とイラストを描いてくれたJunさんと、今年はパソコン編集を手伝ってくれたいのきえみさんにもお礼を言いたいと思います。今回の年報をすべて女性の手で作り上げたことを誇らしく感じていることを付け加えておきます。