『女性ライフサイクル研究』第5号(1995)掲載

「こころのケア」と人権と・・・

女性ライフサイクル研究所 村本邦子

 1月17日、私たちの日常に大きな亀裂が生じ、それを埋める作業は今も続く。10ヵ月あまりが過ぎ、改めて振り返ってみると、その作業そのものが私たちの日常になりつつあることに気づく。2月初めのNOVAの講演で、「地震の前と後とでは、日本の社会は違ったものになる。同じものではあり得ない。」と聞いて、衝撃を受けるとともに、妙に納得したことを思い出す。あの当時、私たちは、失ったものを取り戻したかった。でも、それは、取り返しのつかないものだった。哀しみも、きっとなくなりはしないのだ。
 復興は、元の状態に戻ることではない。亀裂を埋める作業を通じて、震災の体験をそれぞれが、あるいは日本の社会が十分に生き抜くこと、そうして過去と現在を含みこんだ未来へつなぐことなのだと思う。
 そんなことを考えて、今年は震災の特集を組むことにした。何かに駆り立てられたように動いてきたものの、本当にこれでよかったのか、もっとやるべきことがあったのではないか、これから先、何が必要なのか、一度立ち止まって考えてみなければと思う。震災後の状況は、刻一刻と変化しつつある。ここでまとめられたことは、この時点でのみ言えることになるかもしれないが、その軌跡を残すことに意味があるのだと思いたい。
 今回の特集のテーマのひとつが、「こころのケア」である。この言葉には、賛否両論あったが、災害後に「こころのケア」がこれだけ話題にされたこと自体、特記すべきことだろう。知るかぎりでは、大阪YWCAが「こころのケア・ネットワーク」と打ち出したのが、一番早かったのではないかと思うが、震災直後の新聞案内には、「心の相談」「心のサポート」などの表現で、たくさんの窓口が掲示されている。一方で、本当に「こころ」を大切にすることのできる時代になったと単純に喜べない実情が目前にあるのも事実である。
 神戸YWCAの通信(『ボランピア通信vol.2』1995年7月20日発行)に「“フェニックス計画”やらで示された『心のケアセンター』には失笑してしまう。震災で最も痛い痛手をうけた人たちが“心のケア”なしには生きていけないような、最低限の人間らしい生活を保障されない復興計画。」と綴られているが、「心のケア」を専門とする身には、深く辛く突き刺さる言葉である。
 一部の臨床心理士の間で「臨床心理士は便所掃除をするか?」が話題になったのは、象徴的だった。私自身は、これに対して非常に不愉快で馬鹿げた議論だと感じてきたが、「便所掃除をすることはこころのケアになるのかどうか」と立て替えて、一応触れておきたいと思う。
 ウィニコット(『赤ちゃんはなぜなくの』『子どもは、なぜあそぶの』星和書店、1986など)は、母親向けに繰り返し、繰り返し、「おむつを替えたり、お乳をあげたり、抱いてやったり、という世話自体が、赤ちゃんに対する心の世話に等しい」旨語っているが、乳幼児や、今回の震災直後のように、生死を分かつようなプリミティブな状態にあっては、物理的な世話と心理的な世話を区別することは不可能だ。心と体の分裂は、良くも悪くも文明の副産物であり、文明以前にはあり得なかった。
 「災害直後、いちばん欲しかったのは一枚の暖かな毛布だった」と聞いた。私自身、あの時、子どもたちを安全な場所に避難させて、揺れが収まるのを待つあいだ、布団を取りに戻った。寒さと恐怖で身が震えたからではあるが、一枚の毛布は暖かさと同時に安心と安全のしるしだったと思う。
 女性や子どもの問題を争っていると、物理的な援助が一番の「こころのケア」だと思われる状況はいくらでもある。震災に限らず、「人権」の保障がなされていなければいないほど(「文明以前」の状態であればあるほど)、心に限定した働きかけは無意味だ。物質的な援助さえすればよいというものではないことは言わずもがなであるが、社会の変化なくして、個人の善意は、ほとんどいつも取りこぼされた「人権」保障に届かず、無力感とともに佇む他ない。その場合、おそらく、共に「いたむ」ことのみが、「こころのケア」に通じるのだろう。
 私は、ひそかに、「こころの」は、「心を対象にした」という意味ではないと考えてきた。日本語の「の」の持つ曖昧さゆえ、半ば無意識に、「こころの言葉」とか「こころの贈り物」とか「こころの歌」などと並ぶ表現として「こころのケア」が受け入れられたのではないか。敢えて意味づけるならば、「心のこもった」「真心からでた」「心に響く」などとなろうか。
 そういう意味では、いかなる形のものであれ、ボランティアの存在そのものが「こころのケア」であったと思う。心を対象化したり、被援助者を対象化する発想は「こころのケア」にふさわしくない。「こころのケア」は相互的なものだ。ボランティアに馳せ参じた者たちは、自らの疼きを癒しに行ったのだと考えれば合点がいく。
 かくして、心のケアを専門とするものは、その存在自体が矛盾を孕んでいることを自覚しつつ、それでもなおかつそこに留まろうとする意味を考え続けなければならないことになる。
 本書の構成には、今も迷いがある。サブタイトルである女の視点からは、心のケアと人権の問題は分かちがたく結びついているため、明確に整理してまとめることがどうしてもできなかった。もしかすると、非常に読みづらい構成になったのではないかと危惧してもいる。
 第一章では、越智裕輝氏が、『災害と精神療法』と題して、本質的な指摘を行ってくれた。越智氏引用の「例外状態は常態をえぐり出す」には誰もが頷くだろうが、精神療法について議論された2点について、常態と照らし合わせてわかりやすく解説してある。3点めの「精神科領域に従事する者たちが社会システムの中でどのような思考システムを個人としてもち得るのか」という問いは、本特集のテーマとも重なる。奪われた命については言うまでもなく、心身ともに大きな痛手を被ることが、不公正の結果だったとすれば、そこからの回復についても二重、三重と不公正な条件が伴うことになる。精神科領域に従事する者たちが、そのことに無関心でいられるはずはない。「破局や『最後』は未来に訪れるのではなく、現在にもう繰り込まれ、既に組み込まれていて『現在は完了』している」のだとすれば、今回えぐり出されたことは、気づかれずに本来過去にすでにあったことだ。都市開発のあり方、建造物の欠陥など、物理的な問題についての反省は耳にするが、精神面の援助のこれまでのあり方に対する善し悪しには、十分に目を向けられているとは言いがたい。また、あちこちで戦後五十年の総括がなされたが、なしてもなしてもなしきれないものが残っているように思われてならない。「災害も戦争もない日常の精神療法と、それらが取り巻く状況の中でも精神療法に差を設けないところに、むしろ精神療法という一つの方法が人間の苦悩の一端を始めて担えると言い得るのではなかろうか。」の指摘とともに、精神(心理)療法の可能性を問い直さねばなるまい。
 より専門的な関心のある読者は、越智論文のPTSDに関する註および註補足を参照されたい。Tの略語であるトラウマは、DSM-IV(1994)より「心的」をはずして「外傷」とのみ訳されるようになった。筆者らにとって、PTSDの概念は、以前より、子どもの虐待、とくに性虐待の後遺症のひとつとして関わってきたものであるが、その場合、トラウマとは、虐待の形態が身体的、心理的、性的に関わらず、「魂の傷つき」と捉えるのが一番ぴったりくると感じてきた。生存を脅かされる危機状態は、心身未分化のレベルに食い込む。なお、PTSDの診断について否定的な意見が多く聞かれたが、その有用性については、久留一郎氏(鹿児島大学)が、PTSDという診断的呼称名が存在しない場合、法廷闘争(保険、労災認定など)において、被害者にとっては症状との因果関係の説明などで不利な結果を招く危険性があるとして的確な論証を行っている(日本人間性心理学会第14回大会にて)。
 批判の中心は、「昨日まで健康な市民だった者を病気モデルで捉える」ことに対する反発からきていたようだが、これこそ、性虐待のサバイバーたちが訴え続けてきたことだった。この批判を大規模な範囲で被災者を生んだ今回の震災に限ってあてはめるのでなく、誰もに起こり得る他の災害についてもひろく理解し、PTSDの概念を否定するより、むしろ、医療モデルそのものを問い直す方向に向ける方がよいのではないか。
 マスレベルの災害と、個人にふりかかる災害の差を考えさせられるエピソードがあった。家が全壊した中学生の話だが、その瞬間に、遮光カーテンの隙間から閃光が差したので、UFOが来たと思った。恐怖で布団を被り身をひそめたが、布団の上に次々物が落ちてくるのをエイリアンが飛び跳ねていると信じたと言う。拉致されるのだと凍えたが、状況が収まってからようやく地震とわかり、家族が無事を確かめ合って集まった時、ひとり嬉しそうにニコニコしていたというのだ。地震とわかった途端、「他の人も経験している、自分ひとりの経験じゃなかった」という安堵と歓びが湧き出たという。
 性虐待のサバイバーたちは、まさにこのような体験をしてきた。誰にも信じてもらえず、自分自身事実かどうか不確かな状況を、たったひとり生かされるのだ(サバイバーたちは「死を生きる」と表現する)。今後、人災についても十分に考えていかなければならないと思う。
 越智氏以外の原稿は、何らかの形で心のケアに関わった者が手記という形で印象をまとめてくれたものである。植田昭一氏は元の職場でご一緒していた関係であり、「震災こころのクリニック」開設の案内のFAXを受け、偶然お名前を発見して驚いたが、原稿を寄せて頂けたご縁を嬉しく思っている。羽下大信氏は、「カウンセラーズネット・東灘」の経験から、黒木賢一氏は御自身の被災体験からまとめてくださった。羽下氏、黒木氏とは、コラムを寄せてくれた村本詔司氏代表の人間性心理学会「災害と人間」部会で、3月発足時よりご一緒させて頂いているが、被災地の只中で専門家として、同時にトータルなひとりの人間としてきめ細かく配慮の行き届いたケアをなさっており、いつも頭が下がる思いである。
 古澤聖子氏、窪田由紀氏、菅野泰蔵氏は、臨床心理士会のボランティアとして遠方より来られた経験から原稿を寄せて下さった。それぞれ、ひょんなことから知り合ったのだが、いつも、貴重な角度からの視点を頂き感謝している。井上昌代氏とは、これまでも「小児心身カンファレンス」でご一緒してきたが、2月初め神戸YWCAで行われたNOVAの講演会で偶然出会い、情報や資料を頂くなど、お世話になった。長谷川浩一氏のことは、大阪YWCAを通じて1月末の時点でお名前を伺っており、その行動力の速さと規模の大きさに内心驚かされていたが、今回松山で行われた人間性心理学会でお目にかかることができ嬉しく思っている。
 第二章は、主に子どもたちのことに絞ってまとめてみた。子どもたちこそ、心のケアが日常生活のレベルでもっとも必要とされる存在かもしれない。実は、震災の3日前、神戸YWCAで行われた講座に招かれて子連れで出掛けた折りに、隣接する王子動物園に行ったのだが、この特集をまとめる前に、もう一度子どもたちと動物園に行ってみたいと内心思い続けていた。震災後に子どもたちが「動物たちは大丈夫?」と心配していたこともあるが、私自身が何かを確認したかったのだと思う。隣でYWCAのボランティアたちが必死の救援活動をしていることを知っているだけに、「動物園に遊びに行くなんて」と後ろめたい思いに苛まれつつ、先日ついに行ってきた。いつもに比べれば、人気は少なく、動物のいない檻もあったが、人々の希望を託したかのように「赤ちゃん誕生」の表示がたくさんあった。「震災はどうでしたか?」と見知らぬ者同士、自然に会話もあった。火災が多かった地域で、子どもとともにようやく退院したところだという家族もあり、それぞれがそれぞれの思いを抱えて来ているのを感じた。何だかとても嬉しかった。そう言えば、戦時中、死なざるを得なかった動物たちの悲しいお話がいくつもあったことを思い出した。子どもや動物に優しい社会は、きっと弱者に優しい社会なのだと思った。
 西澤哲氏とは、これまでも虐待の問題を通じてご一緒し、随分とお世話になってきたが、子どものPTSDとその対応について専門的なことをわかりやすくまとめて下さった。震災以前からPTSDに対する心理療法を行ってきた数少ない治療者の一人でもある。西澤氏はこれらのセラピーをアメリカで学んでこられたが、子どものPTSDに関する理解と取り組みが進むアメリカからの援助活動のひとつとして、次に西順子が「テディベア作戦」を紹介する。PTSDの概念は、一部の専門家が危惧したような冷たい診断基準としてではなく、暖かいサポートを提供する理論的枠組として使うことができる良い例であると思う。
 保田維久子氏は、保母たちが震災との関係で、子どもたちへの対応を悩んでいるのでアドバイスが欲しいとのこと、2月初め、「子ども情報センター」を介して知り合った。簡単な情報提供をし、困ったことがあればいつでも相談に応じたい旨伝えたが、アンケートをとられたり、講師として招いて下さった折、保母さんたちから子どもたちの様子や対応を聞かせて頂き、たくさんのことを学ばせて頂いた。原稿を読んで頂くとわかるように、子どもたちのメッセージを受けとめようと心を砕く保母に恵まれた子どもたちは、どれほどの安心を得たことだろうかと思う。
 利根川雅弘氏とも、虐待の問題を通じて以前よりご縁があり、震災後いち早く連絡が取れ、神戸の様子をそのつど知らせて頂いていた。兵庫県臨床心理士会から小学校の中に入っていき、グループワークの枠を得て、工夫してプログラムを作った経過を報告してくださった。「将来、被災地を支えるのは今の子供達です」という最後の一文が胸に響く。
 倉石哲也氏とは、西宮YMCAとのつながりを通じて知り合い、「避難所へのレクリエーションサービス」へは、当研究所のスタッフたちも何度も参加させて頂いた。避難所の子どもたちに遊びの場を提供すること自体、子どもだけでなく大人に対しての援助でもあるが、YMCAのリーダーたちの持つ力をうまく活かしてコーディネートした倉石氏の役割は、専門家の関わり方の重要な可能性を示してくれる。
 前村よう子によるインタビューは、それまでも関わりのあった小学校の教諭を通じて、学校の様子、子どもたちの様子を教えてくれる。NOVAのマニュアルに従ったディブリーフィングが非常に有効であることを確信させてもらったのも、このつながりからである。子どもたちを日常的に支える親や先生方の力、役割の大きさを考えさせられる。
 この章では、さまざまな形で、子どもたちの日常に働きかけていった専門家たちの姿が見えてくる。教師をはじめ子どもたちと関わるプロである地域のキーパーソンを支える臨床家の役割を、コミュニティ心理学の山本和郎氏(『コミュニティ心理学』東京大学出版、1986)はスーパーバイザーと呼ばず、コンサルタントと呼ぶが、このようなシステムをもっと日常的に取り入れていく必要があるだろう。
 第三章は、女性の問題を集めた。一節の「震災を生き抜く女たち」では、震災下の女性たちの姿が見えてくるようなものになったと思う。ファミリーサポート協会の武田芳子氏とは、これまでよりネットワークとして関わってきたが、「震災を語る会」をはじめ、さすがにこれまでの活動の延長にある適切で自然な活動を展開されてきた。常に女性の視点に立った活動をなさってこられた先輩として、いつも尊敬の念を抱いている。
 東山千絵氏とは、震災後、電話相談を開設した機関のネットワークで知り合った。相談電話がほとんどかからなかった他の機関と違って、多数の相談を受けた理由は、「女の心と体の相談」というそのネーミングのうまさにあったと聞いたが、その後、新聞や雑誌を通じて性被害や子どもの虐待などについて訴えてくださったことは意味があったと思っている。とくにレイプについては、流言飛語とも言われたが、デマもあったにせよ、すべてを流言飛語と言うことは、実際にあった被害者たちを抑圧する。実は、これは日常の焼き写しである。
 避難所の一人の女性にインタビューを試みてくれた川畑直人氏は、「被災地での臨床心理士の役割を考える会」の代表であり、震災直後より避難所に泊り込んでボランティア活動を行ってきた。「考える会」のニュースレターは、その都度、情報提供や問題提起など重要な役割を担ってきたと思う。「考える会」のメンバーと共通のテーマを持って再会できたことを嬉しく思っている。避難所の女性の声は、ともに生活してこそ聞くことのできた貴重なインタビューであったと感謝している。
 吉村薫がインタビューさせて頂いた上伸まさみ氏は、新聞のコラムに始まり、ネットワークの「うみづな」やライターである松野敬子氏を通じて知り合った。同じく小さな子どもを抱える者として、子どもを亡くした親、親を亡くした子どもをイメージすることは、思考停止に終わるほどの恐怖であるが、それも避けて通ることのできない残忍な震災の一面である。私たちに語ってくださったことを感謝するとともに、読者と一緒に、ひたすら心を合わせて祈れたらと思うばかりである。
 前村と西による助産婦(毛利氏、赤松氏)へのインタビューは、すでにニュースレターでおこなった「シスターフッド」の特集(『FLCネットワークNEWS LETTER No.14』、1995年7月)の続きでもあるが、震災を生き抜く女性たちの逞しさ、力強さを感じさせてくれ、励まされる。女性であることを誇らしく感じる節に出来上がっていたら嬉しい。
 2節は、女であることをさらに掘り下げた時に見えてくる現実が浮き彫りにされている。ふだんよりお世話になっている兵庫県立女性センターから川畑真理子氏が、女性問題相談の現場からまとめてくださった。弁護士の宮崎陽子氏と岩永恵子氏は、普段からお世話になっている宮地光子氏を通じて紹介していただいた。昨年も原稿を頂いた中野冬美氏とはセクシュアリティの問題を通じてご一緒することが多かったが、今回は、こんな形で原稿を頂き、感謝している。無理にお願いして申し訳なかったが、貴重な問題提起をして頂いたと思っている。
 この節は、震災を通じてよりくつきりと浮かび上がった女性の人権の現実と直面させられ、重苦しい気分や無力感を振り払うことはできないが、女性の問題に関わるとき、あるいは震災の問題に関わるとき、やはり避けて通れない部分である。震災との心理的距離が近ければ近いほど、その体験を文章化する作業は、痛みに満ちた時間とエネルギーを費やすものとなろう。コラムを寄せて下さった方々を含め、このような状況で原稿をまとめてくださった皆様に感謝している。ここで提起されたことが、何らかの形でどこかに根づき、忘れられることなく時間をかけてゆっくりと育ってくれればと願う。
 3節の性の問題は、どうしても取り上げたいテーマだった。性の問題はタブー視されるために、いつもないことにされ、被害にあって泣き寝入りするしかないのが女や子どもであるから。「限界状況が常態をえぐり出す」とすれば、必ずや性被害の問題はあるはずだと思ってきた。非常時には、どうやら人間の良さと悪さの両面が極端な形で突出するらしい。日常では信じがたく美しい話もあれば、日常では信じがたく醜い話もある。ただし、性の問題をどのような形で取り上げるかはとても難しい課題だった。他のことにも増してプライバシーが守られなければならず、曖昧な形でしか伝えられないからだ。最終的には、長く若者や女性の問題に関わってこられた婦人科医である林知恵子氏へのインタビューと、「性を語る会」のメンバーを交えた座談会の報告という形を取った。性を取り上げるためには、やはり震災以前から性を語る土壌がなければならなかったのだと改めて思う。考えてみれば、あまりにも当たり前すぎることではあるが、災害時、即座に性の問題に対処できるためには、常日頃から性の問題に対処できる体制を整えておくほかない。
 第四章は、コミュニティと救援サービスについてである。震災後のボランティア活動を通して、YWCAやYMCAなどの機関の働きぶりには本当に感嘆させられてきた。地域に根ざした救援活動を行った機関は他にもたくさんあったことと思うが、当研究所と関わりのあった部分に限って、是非ともその活動を紹介したかった。ボランティアのプロだけあって、本当にたくさんのことを教えて頂いたと思う。
 すでに何度も触れてきたように、神戸YWCAとは、4月より東京へ転勤された寺内真子氏を中心に、ここ数年来関わってきた。震災直前に伺ったこともあるが、何と言っても特別な思い入れがある。物理的な条件から何もお手伝いできなかったことはとても残念なことだったが、通信物を通して、前田圭子氏、金子・神村麻美氏をはじめ神戸YWCA救援センターのメンバーには、たくさんのものを頂いた。今回、金子・神村氏の手記をまとめて紹介させて頂き、それを読者とともに分かち合うことができたことは本当に嬉しい。『世界』(岩波書店、1995)の10月号で、「阪神復興と人権」という緊急提言がなされたが、金子・神村氏の手記と合わせて読むととてもわかりやすい。人権抜きの「こころのケア」、人間抜きの「まちづくり」がいかに空虚であるかよくわかるだろう。
 大阪YWCAは、近所でありながらなかなかお伺いすることもできずにいたが、今回企画してくださったたくさんの講座に参加させて頂き、貴重な情報を頂いた。金香百合氏や鹿野幸枝氏にはいろいろとお世話になった。ボランティアのコーディネートはもちろんのこと、講座の企画という点でも重要な役割を果して下さったと思う。岡田幸之氏は、とくに「こころのケア・ネットワーク」を中心にまとめてくださったが、キャンプをはじめ、さまざまなイベントに対しても、きめ細かな「こころのケア」を意識した新しい取り組みをされたことを聞いている。
 西宮YMCAとは、この震災を通じて、初めてつながらせて頂いた。小さな子どもを抱え、また日常の業務を停止することもできない私たちが動ける条件は、事務所にいたままできることと、日帰りで行ける範囲の場所に拠点を持つ団体に関わらせていただくことに限られた。混沌とした状況のなか7日目にようやく入った西宮を歩き続けてたどり着いたのが山口元氏のところだった。西宮YMCAは「ボランティア救援センター」とも呼ばれたそうだが、まさに、私たちも救援して頂いたと言える。即座に暖かく受入れてくださり、状況に合わせて臨機応変に使ってくださる山口氏の才覚あっての「ボランティア救援センター」であったろう。ボランティアに行くと、必ず朝の会があり、仕事の割り振りや注意事項の確認がある。最初期より、スタッフの方が「ぼくたちは、物資をもって心を届けるのです」と言っていたし、必ず複数で行動すること、自分の身は自分の責任で守るようにと呼びかけていた。また、「150年続いてきたYMCAのボランティアの歴史に誇りを持って」とも言われていたが、実際、YMCAのゼッケンをつけて町中を移動すると、必ず「先日は本当にありがとうございました」と頭を下げてこられる方々がいた。初めは戸惑ったが、YMCAに対する感謝だった。災害後一から新たな関係をつくるのではなく、地域と深い信頼関係のある機関でボランティアをさせてもらう利点を感じた。お忙しいなか、山口氏から原稿を頂けて嬉しい。きっと、読者の皆さんにも氏のユーモアや人柄が伝わることと思う。
 精神衛生支援団体は、この震災をきっかけに結成された団体だが、ここからは、やはり、講座と情報提供という形でお世話になった。また、坂本安美氏を通じて、テディベア作戦のお手伝いをさせて頂けたことは、第二章で西がまとめたように、子どもの問題に関わる当研究所にとっても示唆に満ちた貴重な体験となった。
 地域に根ざした救援センターの必要性を感じるなかで、西が女性の救援機関を二箇所取材させていただいた。社会的弱者を目に触れにくい遠方に隔離して、あたかもないものにしてしまうような政策でなく、むしろ、弱者を中心にした街づくりをして欲しいものだと切に願う。
 かなりの紙面を割いて、原稿を寄せて頂いた方々との関係を紹介することになってしまったようだ。読者の方々は、関心のない部分は飛ばし読みなさるだろうなと思いつつ、敢えて、私もしくは当研究所との関わりを詳しく書いてきたのも、きっと、今回の震災を通じて、あらためて人とのつながりやネットワークが持つ力の大きさを信じるようになったからだと思う。
 常に世界各地で大きな出来事が起こっているのも事実だが、戦争を体験していない世代にとって、歴史的な大惨事がこのように直接わが身にふりかかってきたのは初めてのことだ。そういう意味では、良くも悪くも時代を共有し、それを生き抜く責任をも共有している。震災の経験の違い、立場の違いに関わらず、時代を共有するものとして、ともに生き抜く他ないのだ。
 未知の人との新たな出会いばかりでなく、既知の人とも新たな出会いに恵まれて、不思議なご縁に感謝の気持ちが沸いてくる。共に生きる仲間として、つながりを大切にしたいと強く思うようになったことは、震災の前と後とで同じではない嬉しい変化のひとつである。
 最後になったが、コラムを書いてくださった皆様と毎年表紙、イラストをデザインしてくれる村本順子さんにも感謝します。