今月のトピック by 村本邦子

2013年12月 ローカリティ(地域性)再考

先月、東北を訪れた時に出会った運転手さんが、偶然、同郷の人で、「この辺りでは珍しいですね」と故郷話に花を咲かせていたところ、「会津の人たちの前で薩摩と言わない方がいいよ。今でも恨まれているからね」と言われた。その時は冗談で受け流したのだが、その後、繰り返しこのテーマと出会うことになった。

ひとつは、日本平和学会から送られてきた『「3・11」後の平和学』(早稲田大学出版部)の「日本近代国家建設における『東北』~軍国主義と経済成長の時代をこえて」(篠田英郎著)である。近代の国民国家建設は度重なる戦争への対処という政策的課題のなかで進展したが、明治政府が中央集権体制を強化して近代化を急速に進展させることができたのは、戊辰戦争によって薩長など西南諸藩出身者を中心とする新政府への反対者が駆逐されていたからだという。「敗戦地」として「後背地」とならざるを得なかった東北は、台湾出兵の際の台湾やイギリスに対するインドなどになぞらえられながら、資源と人材の「供給地」としての位置づけを梃子に、日本の軍国主義と高度経済成長の過程を通じて発展の道を見出してきた。福島第一原発が建った土地は、1938年に陸軍練習飛行場とする目的で強制買収された後、1945年8月の空襲で焼け野原となったところである。本論の示唆は、「市町村主体の復興」を提示しながら「基本方針」を定めるのは「国」という中央集権的体制に過度に依存した復興計画は、今や限界があるというものである。

もうひとつは、やはり先月、同じく日本平和学会でご一緒した名嘉憲夫さん(東洋英和女学院大学)の「紛争解決論の視点から尖閣諸島、竹島、北方四島問題の解決を考える~“帝国の残滓”の後始末としての国境画定問題」という報告である。「固有の領土」という考え方を批判し、問題を「国境画定問題」として定義し直そうというもので、「日本国」の領域と国境は、古代、中世、近世、近代にわたって変化してきたことに眼を向ける。近代における国境の変化は、①1867年の王政復古、戊辰戦争から始まる集権国家成立期、②1874年台湾出兵から始まる国境画定期、③1894年日清戦争に始まる対外膨張期(帝国の拡大期)、④1945年敗戦後からの対外縮小期(帝国の解体期)に区分され、領土問題は第3期の帝国の拡大期に起こった戦争に関係して発生した問題であるという。

名嘉さんによれば、アイデンティティには4つの次元があって、①ローカル②日本国民 ③東アジア人 ④世界市民 なのだそうだ。会津の人にとって、次に来るのは、福島でなく東北人だという。伝承やわらべ歌の研究をしている同僚と話したところ、会津人にとって「前の戦争」とは戊辰戦争を指し、東北のわらべ歌には戦に負けた悔しさや敵への憎しみを密かに織り込んだものがあるのだという。そう言われてハタと思い出したが、薩摩人にとって「先の戦争」とは関ヶ原の合戦かもしれない。地元には妙円寺詣というのがあって、薩摩の子どもたちは、毎年1回、負け戦で敵の陣営に敵中突破した島津勢の勇気を称え、24番まである歌を歌いながら、島津義弘公眠る妙円寺まで何十キロも練り歩く。

アルマンド・ボルカスによれば、歴史のトラウマは伝承を通じて世代間伝達され、文化的・国家的アイデンティティに影響を及ぼすというが、まさにそういった類の話ではないか。もっとも、震災を過去の戦と結びつけて捉えている人はいないだろう。原発は東北にだけにあるわけではない。それでも、強く印象づけられることは、私たちがどれほど歴史によって規定されている存在であるかだ。南京のHWHでは国民アイデンティティにフォーカスしてきたが、振り返りの中で、多様なアイデンティティの構築と解体に着目する必要性を考えていたところだった。ハンナ・アレントによれば、国民国家とは文化的同一性に立脚した統一的集団として確立されたものである。

上述した論文の中で篠田は、復興計画には日本における国民国家と地域社会との関係の問い直しが強く求められているとしているが、ローカルを変革の主体にする鍵はどこにあるのだろうか。境界の問題とともに政治状況はますます厳しいが、文化はとっくに国境をないものにしている。その一方で、歴史に根指した文化的区分が今なお私たちに沁み渡っている部分があるということだ。グローカルなどという言葉も生まれているが、地域発信の文化を興していくと同時に、各地から発信された情報が出会い反発したり融合したりしながら、もっと豊かな境界領域を形成していくような世界を作っていけないものか。