今月のトピック by 村本邦子

2013年11月 クレイジー・ライク・アメリカ

今月は、前々から紹介したいと思いながらしそびれていた『クレイジー・ライク・アメリカ~心の病はいかに輸出されたか』(イーサン・ウォッターズ著 / 阿部宏美訳、紀伊國屋書店)を紹介しよう。アメリカ人である著者は、世界中どこへ行ってもマクドナルドやナイキショップがあること以上に、アメリカ人が精神疾患の概念をせっせと輸出し、その定義や治療法を世界の標準とすることで、世界が狂気にいたる道筋を均質化してしまっていると指摘する。例として取り上げられているのは、香港の拒食症、スリランカのPTSD、ザンジバルの統合失調症、そして日本のうつ病である。

たとえば、うつ病はこんなふうに日本に輸入された。20世紀後半、日本には英語のdepressionと同じ意味を持つ単語はなかった。80年代、DSMのうつ病の診断が世界的に広がりつつあった時でも、日本では深い悲しみの感情は好ましいものとされ、愁いに沈んだ様子は尊ばれていた。したがって、気分を高揚させる薬物がマーケットに乗せられるはずがなく、90年代初頭、アメリカの大手薬品会社は日本に進出しないことを決めていた。ところが、バブル崩壊後、状況が変わり始める。過労自殺の裁判で原告が勝訴し、日本で初めてうつ病と自殺が関連づけられた。1995年の阪神淡路大震災は、日本のメンタルヘルスの取り組みが遅れているという世論を高め、1996年、NHKスペシャル「脳内薬品が心を操る」が放映された(この番組は私も記憶している。かなりの違和感をもって観た)。複数の大手薬品会社が競って日本に進出し、某製薬会社は2000年、臨床実験の被験者募集に見せかけた新聞の全面広告を何度も出し、インターネットを使って、クイズ形式で自分がうつ病かどうかを確認し、うつ病となれば精神科に行って薬をもらうというルートも確立された。2008年、あっという間に、日本は年間10億ドル規模以上の市場となった(メンタルヘルス領域にいる者として、これは十二分に実感できるものである)。

次にPTSD。2004年、スリランカを津波が襲ったとき、アメリカのメンタルヘルス協会の常任理事がバカンスでそこにいた。9.11への対応をした経験を持つ彼女は、PTSDについて啓蒙するために全力を尽くし、情熱的な欧米人たちが次々と支援に駆け付けた。コロンボ大学の教授陣は、生存者の体験を「心の傷」だけに絞り込み、彼らを「心理学的な犠牲者」として単純化する見方をしないよう、トラウマは脳内で自動的に起こる生理的反応ではなく、むしろ文化を伝える情報であると訴えた。しかし、トラウマ・セラピストたちは、現地の教師たちにそれぞれが信じている方法をレクチャーして修了証書を出し、トラウマ研究者たちはPTSDのチェックリストを配って、データ収集を行った。スリランカ生まれの心理学者によれば、スリランカ人はトラウマに対してPTSDの症状チェックリストにあるような心の状態を示さず、むしろ、それは社会的な関係性を壊すものである。恐怖体験にずっと後まで苦しみ続ける人は、社会的つながりから孤立した人や、親族のなかでうまくやっていけなくなった人である。欧米のPTSD観においては、トラウマが精神的ダメージを引き起こし、結果として社会的問題が起きると考えるが、スリランカ人にとって、集団のなかで自分の立ち位置を見つけられなくなることが苦しみを引き起こすのであって、自らの心の問題に起因するわけではない。

著者の主張は、自分の心理的苦痛を表現しようとする人は、その時代にある症状の貯蔵庫から無意識に行動を選択する。精神疾患が類型化されると、症状の貯蔵庫に新しい行動様式が加わる。アメリカ生まれのDSMが世界中に拡散することで、様々な文化における症状の貯蔵庫が均質化していく。こうして、世界中の人々がアメリカ人と同じように狂っていくのだというのがタイトルの意味である。かつて拒食症について研究していた頃に感じていたことである。これは決して、苦痛を否定する議論ではない。もっと多様な仕方で豊かに悩み苦しむことを拓こうとするものである。