今月のトピック by 村本邦子

2013年1月 アートの力

国立台北教育大学の頼念華先生を招き、3日間にわたる表現アートセラピーの教育的ワークショップに参加する機会を得た。頼先生はパリで芸術を学び、美術教育に携わった後、心理学を学び、アメリカでアートセラピーの訓練を受け、現在、表現アートセラピーを教えている。2011年8月に蘇州で行われた国際表現性心理学会で出会ったのだが(「アートセラピーと文化」http://www.flcflc.com/muramoto/11/08.html)、トラウマ被害者に関わるアクティビストでもあり、文化的要因への配慮があるし、知性と感性のバランスが取れている(アートセラピストとして、これはなかなか貴重なことなのだ)。

私自身、面接に小さなアートを取り入れたり、アートセラピーのグループを実践したりということはしてきたが、必ずしも体系立てたトレーニングを受けてきたわけではないので(日本の芸術療法の教育は受けたが、実践経験は十分でなく、心理療法の枠組みを越えたところにあるアートセラピーの訓練は受けていない)、不確かな部分も多かったが、今回、基本的なことを確認させてもらった感じがする。

一番大きなポイントは、いかに苦手感をなくし、表現のきっかけを与え、拡げていけるかである。これは、むしろ、芸術教育に関わる部分かもしれない。いきなり大きな枠を与えるのでなく、かと言って、小さな枠を使うのでなく、小さな偶然による手がかりを布石のように大きな枠の中に置いていく。これは、とくに表現がつつましやかなアジア文化に対する細やかな配慮だと思う。また、素材の特質をよく理解したうえで、素材をも手がかりとしているからであろう、何となくやっているうちに、おのずと連想が拡がり、そこから何かが生まれていく。できたものが気に入らなければ、それはそれで留めてもよいし、気に入るように変化させるチャンスもたくさん準備されている。

アートセラピストの役割は、何かを与えたり、何かを成したりする者ではなく、むしろ、創造の場を開く者であろう。頼先生がその役割を果たすために、日常生活のなかで、周囲に眼を光らせて少しでも役立ちそうなものを探しながら、アイディアを練っていることが伝わってくる。アートセラピストの力をではなく、アートの力を信じ、同時に、それは万人に開かれているはずだという信念と言えるかもしれない。

印象的だったのは、作った作品を写真に撮って、フレームに入れてプレゼントするというが、「どんなふうにフレームを選んでいるか」という質問に、「実は、オフィスにあらゆる素材や色のフレームを集めていて、その作品が一番美しく見えるようなフレームを自分が選んでいる」ということだった。これは、枠組みはセラピストが用意するということと同じだが、そこにはアーティストとしての手助けがあるのだと思った。アートをセラピーに閉じ込めないということである。

自分自身にアートのセンスがあるとも思えず、今さらアートセラピストにはなれないと思うが、でも、もっとアートと馴染み、アートを理解して、自分の生活や仕事に活かしていけるといいなと思った。自分がセラピーを受ける機会は貴重で、今回は、自分を見つめ直し、新しい自分を生み出したような感じがするし、偶然性や関係性のなかにこそ自分があるのだということを実感した機会でもあった。