今月のトピック by 村本邦子

2012年12月 避難者たちのこと

昨年、十年計画で立ち上げた「東日本・家族応援プロジェクト」も2年目となり、青森、宮城、岩手、福島と東北4県を巡った。加えて、今年は、8月に京都の避難者を対象としたプロジェクトを、今月は京都の支援者を対象としたセミナーも経験した。現地の人々との出会いには暖かく確かな手応えと力強さを感じるが、茫漠と拡がる被災地の光景には深いため息しか出てこないし、得体の知れない放射線と原発のこれからを考えると暗い雲の中にいるような気分になる。

うわべだけを見れば、街は、これまでと変わらず、イルミネーションとクリスマス・ソングであふれている。しかし、そこには多くの避難者たちが含まれている。復興庁2012年12月12日の発表では、全国の避難者数は約32万1千人、全国47都道府県、1200以上の市区町村に散在している。たとえば、京都だと、千人以上の避難者がいて、京都府災害支援対策本部の調査によれば、7割強が福島からの避難者だが、茨城、千葉、神奈川など関東からの避難者もある。避難の理由の圧倒的多くは放射線の影響であり、うち半分近くが、それまで同居していた家族を被災地に残し、母子での避難者である。

「内部被爆から子どもを守る会・関西疎開移住(希望)者ネットワーク」という会があって(http://kodomo-mamoru.net/index.html)、『避難移住者たちの手記』と、代表の中村純さんの詩集『3.11後の新しい人たちへ』を読んだ。「新しい人たちへ」は、次のように始まる。
 
 あなたたちに詫びなければならない
 素足で歩ける大地
 思い切り倒れ込める雪原
 せせらぎに飛沫をあげて歩く浅瀬の川
 木漏れ日にふり注ぐ森
 色とりどりの落ち葉のプール
 大地のエネルギーを蓄えた安全な作物
 それらすべてを奪ってしまったことを

子どもたちの未来のためにと、家や家族やふるさとを後にして来た避難者たちは、当然と言えば当然であるが、真剣に放射線と向き合い、闘い続けている。他方、さまざまな事情を抱えて避難できない人々は、腹を括って、被災地に日常を築こうと闘い続けている。多くの人にとって、それは見ようとしなければ、すでに見えなくなりつつある現実だ。それどころか、原発再稼働と放射能拡散に反対する市民運動家たちは逮捕されているのだ(阪南大学経済学部准教授・下地真樹さんが留置所から出した声明文を参照のこと
http://blog.goo.ne.jp/garekitaiho1113/e/79c68fd4e86da4ec02b2e01a5188052b)。

この二重性は、さながらジョージ・オーウェル『1984』のようではないか。見たくない人々は、正気を狂気と呼ぶ。3.11以降、日本は取り返しがたく変わってしまった。私たちの身近にいる避難者たちの声に耳を傾けながら、希望を探して生き延びていく道を模索したい。