今月のトピック by 村本邦子

2012年11月 心理療法は政治的か?

エリカ・バーマンの『発達心理学の脱構築』(ミネルヴァ書房)をチームで翻訳出版した。英国において、発達心理学がどんなふうに国家政策に関与してきたかを明らかにした興味深い著書で、考え込まされた。出版を記念して、青野篤子さんが、エリカ・バーマンとパートナーのイアン・パーカーを招き、日本社会心理学会で、「社会問題・社会政策と心理学の親しき関係を問い直す〜日本と英国の比較を通して」というワークショップを企画してくれた。私は、「日本の児童・女性政策と心理学」の話題提供が担当で、「バックラッシュ、ナショナリズムと心理学」というサブタイトルをつけて発表した。正直なところ、付け焼刃で勉強したようなところがあるが、あらためて、心理学(私自身は臨床心理学)がどんなふうに政治的存在であるのかを痛感することになった。

終了後、イアンを経由して、英国の雑誌から「心理療法は政治的である、さもなければ心理療法ではない〜パーソン・センタード・アプローチは本質的に政治的な冒険である」(Schmid, P. F., 2012)という論文を入手した。著者の所属はウィーンの「ジクムンド・フロイト大学」となっていて、まずそんな大学があることに驚いたが、内容はロジャーズのパーソン・センタード・アプローチであることも意外だった。とは言え、前にも紹介したことがあるように(2011年7月 http://www.flcflc.com/muramoto/11/07.html )、ロジャーズは、世界平和のために、政府のリーダーたちをメンバーとしたエンカウンター・グループを試みているのだから、たしかに、心理療法が政治的であることを自覚していたはずである。

著者によれば、政治(politics)という言葉は、ギリシア語のポリス(都市国家)に由来し、アリストテレスは、人間は本質的に共同体に依存し成長していく社会的・政治的存在であるとした。人間は共同体においてしか十分に可能性を実現することはできないのであり、共同体の知的、文化的、法的枠組みにおいてこそ、自己実現に向かっていくことができる。人間は誰しも政治的存在であり、政治は人間存在のイメージの帰結である。だとすれば、心理療法家は政治的行動をとる倫理的責務を負っているのであり、妥協は許されない。「無条件の肯定」は、社会構造とヒエラルキーに挑戦し、抑圧、全体主義、自己満足、ナルシシズム、怠惰を打ち破らなければならない。政治に関心を持たず、社会に声をあげない心理療法家はクライエントのことを真剣に捉えておらず有害である。個性化は必然的に政治的プロセスであり、政治的なプログラムなのだ。ロジャーズは、「もっとも個人的なことは、もっとも普遍的なことである」と言ったが、それは、「もっとも政治的なことである」と。

シンポジウムのまとめで、司会をした青野さんが「心理学は社会的営みである」と言ったが、心理学に従事しながら、その社会的・政治的意味を自覚しない者は、非常に危険な立場にある。過去を振り返れば、全体主義の時代に、無自覚なままそれを積極的に支えた人々は数限りない。そんな方向に向かいつつあるかもしれない時代に生きる心理療法家として、ますます注意深くありたい。