今月のトピック by 村本邦子

2012年7月 家族の歴史を辿って

先月は沖縄のことを書いたが、今月は北海道のことに触れてみたい。私自身の個人的なルーツである。私の母は子どもの頃、東京大空襲で焼け出され、家族とともに「開拓団」として北海道Kへ移り住んだ。子どもの頃からその悲惨な体験を聞かされて育ったが、今回、記憶としては初めて(生まれたばかりの頃、一度行ったことがあるはずなのだが)、その地を訪れ、親族11名が集合した。そもそもは、Kに開拓記念館があることを知って、一度行ってみたいと思ったのだが、子どもの頃から聞かされてきたその物語がどんなところで織りなされたのか、私のルーツのひとつである母たちの物語は大きな歴史の中にどんなふうに位置づけられるのか知りたいという関心があった。

記念館に行ったが、初期の開墾者の苦難と成功の物語のなかに、母たち一家に関する記録はどこにも見つからなかった。とりあえず置いてあった資料のいくつかを買い求め、パラパラと見てみたところ、「戦後開拓」という小さな記録を見つけた。昭和20年から29年にかけて、引揚者、戦災者、復員者らが入植していた。北海道における地域の歴史の掘り起こし運動についてはかつて書いたことがあるが、北海道口承文芸研究会による資料集である。そこには、アイヌの人たちや強制労働者、性奴隷となった女性たちなどに関する悲しい歴史の物語も含まれていた。さらに調べていくと、戦後の開拓移民はKだけでなく、昭和20年7月から11月までに約1万7千人が北海道に入植していることがわかった。北海道における開拓(略奪)の歴史は想像を絶する厳しさだったようだ。

現在は、北海道から沖縄まで散り散りに暮らしている母の親族である。もう亡くなってしまった叔母たちもあるが、今や年老いた叔母たちや従兄弟姉妹と緑に囲まれた青い空の下でジンギスカンを囲んで、おそらくは最初で最後であろう、しみじみとしたひと時を過ごした。叔母や母たちが語り合うのを見ながら、苦労を生き抜き、働き、子育てしてきた尊敬すべき先輩たちだと思った。そして、従兄弟姉妹や自分だって立派に育っているではないか。生きていさえすれば何とかなる、人間の力はなかなかに偉大なものだとある種の感動を覚えた。短い時間ではあったが、貧困と飢餓の中で幼かった叔父が命を落とした場所や社会的抑圧を象徴する地へも足を運び、当時を知る方とお話ししたりもした。また、同期に入植し、稀有なことに開拓に成功して今や広い農園を営む方を訪ね、甘いメロンをご馳走にもなった。

今回、いろいろ調べながら、少しずつ歴史の掘り起しがなされていることを知った。以前、すみだ郷土文化資料館学芸員である田中禎昭さんの「語りうる戦争体験、語りえない戦争体験」という講演を聞いたことがあるが、東京大空襲の被害者によって描かれた絵は、広島や沖縄戦の被害者による絵と比べ、社会でいまだ被害として位置づけられていないことの表現、周辺性が特徴的であると言われていたことが印象に残っている。東京大空襲については訴訟も行われているが、二審も棄却されている。自分たちの苦しみが歴史や社会の中に位置づけられない無念さはどんなだろうか。福島の問題とも重なる。近いうちに東京にある東京大空襲・戦災資料センターへも行ってみたい。