今月のトピック by 村本邦子

2012年3月 ドイツにおける子どもの面会交流支援を視察して

10年近く前から法と心理の協働についての研究チームに加わっているが、大きなテーマのひとつが、離婚後の親子面会交流である。日本では、長い間、別れた親子は会わない方が良いという考え方だったが、最近では、共同親権の議論も沸き起こり、別れた親との面会交流が促進されるようになりつつある。別れる前から両方の親と子どもとの関係がよいとすれば、これは基本的に良いことだと思うが、その内実は複雑だ。親子の面会交流が子どもの権利ではなく、親の権利と捉えられていたり、親同士の権力争いが重ねられたりする。面会交流について、うまく合意が得られず、争いになった場合、そんな複雑な事情を誰が判定できるだろう。その中で翻弄されるのは子どもである。

ドイツでは、1998年に親子法が改正され、両親が離婚しても、両親の「共同配慮」(共同親権のこと。親の権利というより、子どもを配慮する義務と権利である意味づけられたため、このように訳語が定着した)は持続することとなった。それで親権や面会交流を争う必要がなくなるはずだったが、実際には、相変わらず紛争が繰り広げられた。コッヘムの家庭裁判所は、さまざまな専門家(裁判官、弁護士、少年局、鑑定人、相談所など)が協働して、合意形成を迅速に進める手法を開発した。「コッヘム・モデル」と呼ばれるこの方法はそれなりの成果を上げ、2009年の「家事事件及び非訟事件手続法」改正では、このエッセンスが導入された。簡単に言えば、離婚後の面会交流に関して、裁判所で勝敗をつけるのでなく、当事者たちが少年局(児童相談所のようなもの)やメディエーション(日本とは違って裁判所とは別に存在する調停)、心理相談所を利用して合意形成できるようにするシステムである。

2010年に続き、今回、このバリエーションであるシュトットガルトの「ベーブリンゲン・モデル」を視察し、関係機関の専門家たちと話をした。裁判で判決を出して終わりではない紛争解決には、多くの人々の多くのエネルギーが必要である。裁判官自ら子どもの声に直接耳を傾け、少年局や相談所スタッフは家族と何度も会い、また、メディエーターや手続き補佐人(かつては「子ども代理人」「子ども弁護士」と呼ばれていた)たちの仕事はほとんど社会奉仕的な位置づけにある。子どもを中心に置き、子どもの権利のために、地域の大人が皆で力を寄せ合おうという姿勢には、社会の成熟を感じるし、胸が熱くもなった。このようなモデルから何か学べることはないかというのが、私たち研究チームの課題である。

他方、答えの出ない問題は残る。子どもにとって、親と会い続けるのが良いのかどうかをいったい誰が決められるだろうか。シンプルに両方の親と子の肯定的な愛着関係が形成されているケースであれば、第三者が口をはさむまでもなく、合意はなされるだろうし、そもそも紛争にならないだろう。一緒に暮らす親子であっても、関係を持たないケースもあるし、その方が良いという場合もあろう(極端には一方の殺害に終わる親子関係だってあるのだから)。一緒に暮らす親子が一定時期、疎遠になるというのもありがちなことである。親をまったく知らない子どもが、親に関心を持ち、会いたいという思いが高まることもあれば、むしろ、とくに関心もなければ、とくに会いたくもないということもあるだろう。それが、いざ離婚となれば、親子の交流が契約になるというのも奇妙な話である。

DVや虐待など、子どもに被害があるケースはさらに複雑である。被害・加害の証明は難しく、そのようなケースであればあるほど、紛争性は高くなる。そもそも、そのようなケースでは、加害者が被害者を搾取しているわけだから、搾取先をそうやすやすと手放すはずがない。海外では、保護付面会などの制度が取り入れられているが、どこをどう調べても、十分に機能しているとは言い難い(もちろん、ないよりましであるが、修復に要する期間を考えれば、十分であることは不可能に近いとさえ思える)。子どもの気持と言っても、どこからどこまでが子どもの本当の気持なのかだって、にわかに判定しようのない話である。たとえば、自分の子ども時代を振り返ってみても、周囲が何と言おうと頑として譲れない自分独自の感覚というものもあったと思うし、当時は信じていたけれども、思い返せば周囲の影響だったり、子どもの思い込みだったりしたと思えるものもあるのではないだろうか。

ドイツでは、今や、2人から2.5人に1人の子どもが親の離婚を経験し、今後はさらにこれが増えるだろうということである。日本でも同様であろう。先月のトピックに書いたが、結婚が制度モデルから関係モデルに変化すると、破局の可能性は高まり、親密な友人やサポート・ネットワークが重要となる。面会交流のシステムは、パートナー関係を制度で縛れなくなるから、親子関係を制度で保証しようという発想だと思うが、それもまた矛盾を孕んだものと言えなくもない。生物学的な父がいて、母がいてという形式が唯一絶対の親子関係というわけではないし、これに不妊治療技術の展開(あえて進歩という語を使わない)による親子関係の複雑化を加えれば、状況はますます迷宮と化す。

私たちにできることは、そんな問いを開いたまま、子どもや親子関係のありかたの選択肢を増やすことなのではないだろうか。親が別れたら、二度と親子が会えないというわけではない。何らかの援助システムがあれば、子どもにとって親との良い時間が増やせるのなら、それもいいだろう。何より、親が、親として、いったんは自分のことを脇に置いて子どものことを考えられる視点を身につける方が良いし、それには、第三者のちょっとした手助けが役に立つこともある。結論は出ないが、子どもたちにとって緩やかで多様な関係性が保証されるシステムが重要だと思う。私たちのNPO活動であるViプロジェクトは、そんな思いで動いている。研究成果と照らし合わせながら丁寧な実践の蓄積を重ねることで、できる限りよい形で法システムの構築に示唆ができたらいい。