今月のトピック by 村本邦子

2012年2月 世界の結婚と家族

今年の年報の特集は「家族」である。大学院で、新たに「家族心理学」という科目も担当する。震災以降、家族に焦点が当てられ、家族の絆が言われる。家族に絆があればもちろん良いだろうが、絆がないのに、それを強調されると辛いものだ。こういう時だからこそ、あらためて家族を問い直したい。今回は、手始めに、世界の家族を見渡してみよう(宮本・善積編『現代世界の結婚と家族』放送大学テキスト、2008参照)。

まず、統計的に言えば、どの国でも、平均すると、男性より女性の方が早く結婚する。アフリカ(北部と南部をのぞく)や中央・南部アジアの国々では、15歳〜19歳の女性の30%以上が結婚している。女性の結婚年齢が低い国においては、妻と夫の年齢差が大きい傾向があり、配偶者間に大きな不平等をもたらすことが多いと指摘されている。逆に、女性の平均結婚年齢が最も高い地域はカリブ海地域、北欧、北部アメリカとなっているが、これらの国々では法的手続きを取らないパートナー関係が増加していることをも示している。法的手続きを取らない親密なパートナー関係は、ラテンアメリカ・カリブ海地域では「合意ユニオン」と呼ばれ、教育水準の低い女性や農村部に多く、別れる時に女性が金銭的不利益を被ることが多いという。これだけ見ても、結婚が愛情よりも経済と密接に関係していることがわかる。

家族とは社会制度であり、時代とともに変化してきた。「愛情によって結ばれた結婚と家族」というイメージは、「近代家族」と呼ばれ、日本においては、第二次世界大戦後に拡がったものである。その根底には、①男女のロマンティック・ラヴに基づく当事者間の結婚の合意 ②一夫一婦婚主義のもとで婚外性関係の排除 ③婚内子の正統性 ④法律婚主義 ⑤性別役割分業 という特徴があり、欧米では、こうした結婚観は、1970年頃から①性別役割分業への批判 ②国家による性関係の管理への批判 ③婚外子差別に対する批判 ④異性愛強制社会への批判 を受けるようになる。かくして、結婚の力点は、制度から関係性へと移行しつつある。結婚が制度モデルから関係モデルに変化すると、パートナー選択の自由度は上がり、対等性やセクシュアリティが重視されるようになる。つまり、パートナー関係は固定的でなく、破局の可能性を常に内包するものとなる。家族の「純粋な関係性」が増すほど、親密な友人やサポート・ネットワークが重要となり、この傾向が強まれば、結婚の意義は弱まっていく。

このような変化を共有しつつも、結婚行動には文化的特徴がある。アメリカ、韓国は結婚を積極的に評価するが、フランスは結婚にこだわらずパートナーを必要とする。スウェーデンでは、結婚生活に「家事・育児の公平な分担」と「情緒的な結びつき」を重んじ、アメリカ、フランスでは、「性的魅力」「情緒的な結びつき」を、日本や韓国では、「収入」「経済的安定」が求められる。日本や韓国においては、結婚前後の生活に大きなギャップがあり、女性のM字型就労と男性の長時間労働が特徴であり、非婚率が高くなっている。

ここからはデータに基づかない私の勝手な憶測だが、日本においては、結婚に求めるものの順位として「収入」「経済的安定」が一番に来るとしても、女性たちは、「家事・育児の公平な分担」「性的魅力」「情緒的な結びつき」のどれをも捨ててはいないような気がする。それでいて、欧米と比べると、自立した個としての家族成員というよりは、どこか共同体としての役割分担を求めている。男性はどうなのだろう?結婚は絵に描いた餅となりつつあるのだろうか。結果的に、親元に同居する未婚者が増加している。もちろん結婚しなければならないものでもないが、高齢化した親子が閉鎖系をなしていけば、子育てと一緒で、虐待的な状況が生まれる。中年期を迎えた「ひきこもり」の息子による介護の破たんや、母娘密着型の娘が母親の介護のために仕事をやめて孤立し、追い詰められていくパターンが、極端なケースではあろうが、事件を通じて耳に入ってくるようになった。これでは未来が拓けていかない。

子どもにとって家族の居心地が良すぎるのも、むしろ問題なのではないだろうか。家族を解放し、ゆるやかな絆を結んでいくこと。そのためには、制度に頼りすぎず、かと言って、家族に「純粋な関係性」を求めすぎない方が良いのかもしれない。家族以外の親密な友人やサポート・ネットワークを大切に。家族はこれからどこへ向かっていくのだろうか。年報の成果を楽しみに。