今月のトピック by 村本邦子

2011年11月 物語る力〜遠野の地を訪れて

9月のトピックにも書いたように、大学の方で「東日本・家族応援プロジェクト」を立ち上げ、今月初め、第二弾として、岩手県遠野市で「東日本・家族応援プロジェクトin遠野」を実施した。遠野は、柳田國男の『遠野物語』の舞台であり、座敷わらしや河童の伝承で知られる小さな街である。

11月3日、文化の日に遠野入りしたが、たまたま宿と隣接した市民ホールで「遠野文化フォーラム」が開催されていた。せっかくなので参加してみたが、これがとても面白かった。第一部は「子ども語り部」で、小学六年生の女の子6名の語り部が、順番に、「むがす あったずもな」と語り出し、ひとつずつ物語を語って、「どんどはれ」と閉じていく。内容をすべて聴き取れるわけではないが、遠野弁を聴いているだけで耳に心地よい。第二部で『遠野物語』の朗読を披露した林隆三も、子どもたちの語りに気後れしていたほどだ。

第三部は「遠野文化賞」の表彰式で、遠野小学校の全校表現活動「遠野の里の物語」が表彰された。これは30年に渡って受け継がれ、この秋、東京の国立劇場で開催された「文化による復興支援」シンポジウムにも出演したのだそうだ。映像を見たが、何とも素晴らしく、加えて、児童会長の男の子のスピーチには感動した。イメージとしては、全校生徒が出演するミュージカルなのだが、これが毎年毎年受け継がれ、30年も続いてきたというのだからたいしたものだ。実は、私たちのプロジェクトの「子どもワークショップ」には、遠野小学校の子どもたちがたくさん来てくれ、話を聞かせてもらったが、たとえば、河童の踊りは1年生といった具合に学年でパートが決まっていて、2年生が1年生を教え、2年生は3年生から新しいパートを教わるのだと言う。まさに伝承である。

宿には水木しげるの漫画『遠野物語』が置いてあったが、何とも奇妙な物語が多い。林隆三が朗読した第99話も、津波で妻と子を亡くした男が、ある夜、妻が他の男と歩いているのを見かけ、後をつけて声をかけると、実はあの世でこの人と夫婦になった、それは、やはり津波で亡くなった男で、結婚前に心を寄せていた男だという。「お前、子どもがかわいくないのか」と男が責めると、妻は泣いて消えてしまったという話だった。オシラサマの話も奇妙な話だ。娘が馬と交わり夫婦になったことを知った父親が怒って馬を殺すと、娘も馬と一緒に天に昇って行ってしまったというのだ。

水木しげるのコラムによれば、たとえば、座敷わらしは、飢饉の際に生まれてきた子を育てる余裕がなくて、間引いて、土間や台所に埋める風習があったことから、いないはずの子どもが見える話が生まれたのではないかという説もあるそうだ。遠野物語には災難の話が多い。女たちはしばしば山男にさらわれて妻にされ、子どもを次々と生まされて夫に喰われてしまう。思わず「DVか!?」と勘繰ってしまう。もちろん、男たちの災難も多い。時には幸運もふってくる。そう考えると、厳しい東北の地に生き、運命に翻弄され続けた人々が、何とか人生を理解し受け入れようと語り始めたのではないかと思えてくる。

ふと思い出したことがある。阪神淡路大震災後、ボランティアに通って、避難所にある子どもの遊び場に入っていたことがある。5歳の男の子が大きな尻尾を持つ恐竜の絵を描いた。そして、得意げに話してくれた。「ボクね、どうして地震が起きたのかなって、ずっと考えていたんだよ。それでね、わかったんだ!地面の下に大きな恐竜がいてね、尻尾でドンドンってしたんだよ」。彼は、人智の及ばぬ世界に圧倒されるのでなく、想像力を駆使して、これを彼なりに掌握可能なものにしたのだ。そう言えば、文化フォーラム第四部は山折哲雄の講演「災害と文化」で、科学が自然をコントロールできるのかどうかについて触れられていた。地震学者寺田寅彦が、日本には地震が多く、自然は予測不可能なものであるから「無常観」が形成されたという話である。原発はコントロール幻想ではないかと仄めかされていた。

私たちのプロジェクトも、「木陰の物語」という家族の物語の漫画展を中核に置いている。他者の物語を知ることで、自分のなかに沈殿していたさまざまな物語が浮上してくる。大きな喪失があったとしても、自分のなかに実はたくさんの物語、すなわち記憶がたくさん残っているのだということに気づくことができれば、それは力になるのではないかという発想がある。6月のトピックには、「復興の物語を創る」を書いた。災難を生き抜くためには物語る力が不可欠だ。私たちのプロジェクトの「支援者支援セミナー」に参加してくださった方の一人が、震災の「傾聴ボランティア」の体験として、「聴き方なんかより、とにかくそれを語られるその方の語りが素晴らしい。ものすごい体験を生き延びられ、語ってくださる、そのことに圧倒される」とおっしゃっていた。私たちも、これから十年、毎年、遠野に通うなかで、人々によって語られる物語の聴き手として、ひそやかに存在し続けることができたらと願う。