今月のトピック by 村本邦子

2011年9月 東日本・家族応援プロジェクトを立ち上げて

東日本大震災以後、自分に何ができるのかと考えたとき、年齢から言っても、経験から言っても、阪神淡路大震災のときより、もう少し大人らしい関わりができないものかと思ってきた。あの時は、被災直後から半年、せっせと現地に通い、秋には、研究所の年報で「阪神大震災〜女の視点から捉え直す」の特集を組んだ。自分なりには頑張ったつもりだけれども、1年も経つと、ほとんど何もしなくなった。神戸に行くと、外から見る者の眼には、みるみるうちに、街は復興し、震災の爪痕は消えて行った。それでも、よく眼をこらして見れば、そんなことはまやかしであることに気づく。加えて、5年、10年、15年と経つなかで、神戸とは関係のないところで、時間が経ってさまざまな要因と複雑に絡み合った震災の影を見るようになった。

きっと、戦後復興もこんなふうに進められてきたのだと思う。そして、今回の震災で露呈したのは、戦後日本の建て直しの失敗だった。大都市が周辺にある地域を踏み台にして、貪欲に表面的な繁栄を追求してきた結果が原発事故である。「原発事故は、広島、長崎に原爆を投下された日本にとって2度目の大きな核被害であり、今回は自らの手で過ちを犯した」と言った村上春樹は正しいと思う。そして、大阪という大都市で便利な暮らしを送りながら、54基もの原発が日本に作られていたことを知らなかった自分は加害者側にいる。

カタストロフィの後、どのように新しく社会が立ちあがっていくのか、誰かの利権のためにいつの間にか自分が加害者側に回されていないか、相当に注意深く慎重に見張っていなければならないのだと思う。思考停止して、目先のことに振り回されるのでなく、時間的にも空間的にも、常に大きな文脈のなかにおいて現実を見ながら、一市民としての感性を磨いていかなければならない。これに、ある主の専門家としての責任も負荷されるだろう。そんなわけで、今回は、距離的遠さや自分の年齢も考慮に入れ、ゆっくりと穏やかに現地とのつながりを作り、育てていきたいと考え続けてきた。

結局、大学の方に東日本・家族応援プロジェクトを立ち上げ、団士郎さんの家族漫画パネル展、地域の子どもや家族に楽しんでもらえるようなワークショップ、支援者支援のイベントをしていくことにした。現在、青森県むつ市での開催(9月19〜24日@むつ市図書館)を終え、岩手県遠野市(11月1〜6日@遠野市市民ギャラリー&図書館)での開催準備をしているところである。

下北のむつは、直接被害は少なかったものの、原子力船むつだとか六ヶ所村に代表されるように、原発との関係が深く、日本原燃が本社を置く。さらに、陸海空の自衛隊基地が配備され、アメリカ空軍の三沢基地まである。よって、災害復興のために被災地に赴く自衛隊や原発関連の仕事に従事する人が多く、子どもや家族がさまざまな影響を受けている。むつは下北地域県民局との共催で、児童相談所の方々を中心に大きなお力添えを頂いた。ただでさえ忙しい業務のなかで、さらに仕事を増やすことになるのは心苦しいが、皆で力を合わせて仕事をすることで、自分たち自身がエンパワーされるといいなと願っている。

他方、遠野は、柳田國男の遠野物語の舞台となり、座敷わらしや河童の伝承で知られる小さな街である。沿岸と内陸を結ぶ交易拠点として発展した経緯から、相互扶助の意識が強く、大槌から陸前高田まで沿岸部に半径50キロに位置し、車で1時間という条件にあることから、震災直後から後方支援の中核地となっており、官民一体となった「災害救援のモデルケース」として注目を集めている。先週、情報収集やご協力のお願いのために、複数の機関を訪れた。どの機関も被災地支援でお忙しそうだったが、親切に対応して頂き、機関同士の太いパイプを実感した。今後の出会いを楽しみにしている。

他の開催地はまだ探しているところだが、今回の企画は、眼に見える大きな被害を受けたところよりは、少しはずれた地点で、地域の人々と10年に渡る細く長い関係を続けながら、人々や家族が創っていく復興の物語の証人(witness)になりたいと考えている。次世代のためにも、過去と同じ過ちを繰り返してはいけないのだ。「東北から日本が変わる!」ことを夢見て。