今月のトピック by 村本邦子

2011年6月 復興の物語を創る

日経ビジネスon line(6月22日)で、「水俣に見る未来社会〜ブータンと水俣に学ぶ『被災地の復興』モデル」という記事を読んだ。ブータンでは、国民の97%が「幸せ」「まあ幸せ」と答えており、彼らが国家の目標とするモノサシは「国民総幸福」なのだそうだ。少し調べてみたが、「国民総幸福=GNH(Gross National Happiness)」とは、これまでの「国内総生産=GDP(Gross Domestic Product)」という経済至上主義に対して提唱されたもので、「公正な社会経済発展」「環境の保全」「文化の保存」「よい政治」という4つの柱から成っているという。ちなみに日本は、GNPこそ世界第2位だが、GNHは先進最下位なのだそうだ。そして、日本のGNHモデルとして紹介したのが水俣だ。

水俣は明治時代から産業開発という国家戦略に乗り、農漁村に化学肥料工場を誘致して、安定した雇用が生まれた。しかし、長年にわたって汚染された廃水が海に流され、1956年、最初の水俣病が確認される。原因究明には長い時間がかかり、その間も健康被害が拡大、チッソと水俣病患者の間で激しい対立が起き、地域社会に深い亀裂が入った。1990年、14年間に及ぶ土壌浚渫作業が完了するが、将来を描き直さなければ自分たちの傷が癒えないことを感じ、行政と住民の両者が動き出す。行政からは「環境創造みなまた推進事業」、住民からは「寄ろ会みなまた」という市民グループが発足し、地元にある様々な資源・資産を調べていく過程で、水俣の自然や文化、歴史などの価値が再発見されていく。

92年、水俣は日本初の「環境モデル都市づくり宣言」を行い、 94年、水俣市長に当選した吉井正澄氏は、行政を代表して水俣病患者に公式に謝罪し、「もやい直し」を提唱する。「もやい直し」とは、船と船をつなぎ合わせる「もやう」から作られた造語で、ばらばらになった人々の心のきずなを一つにつなぎ直すという意味だそうだ。市民主導の市政、「環境モデル都市」という選択、「地元学」の手法の導入が功を奏し、水俣は「汚染の町」から、2008年、政府が最初に指定した「環境モデル都市」の1つに選ばれるまでになる。こんな経過はまったく知らなかったが、水俣にはお世話になっている方がいて、数年前に仕事で訪れたことがあるが、とても印象の良い街で驚いた記憶がある。今更ながらに十分に納得のいく話である。

「今月のトピック3月 災害の襲うとき・・・」で紹介したラファエロの本には、災害が社会にプラス面の変化を引き起こすことがあるとして、イギリスのアバーファン土砂崩れ災害とマナグアやペルーの震災が挙げられていたのだが、具体的に何がそうさせたかについての記載はなかった。そうこうするうちに、「軸ずらし」という考え方に出会った(『災害社会学入門』大矢根・浦野・田中・吉井編、弘文堂、2007)。災害に見舞われた地元住民が自分達の直面している難問から一時視線をずらして、多様な視覚で地域の良さを再発見しながら、地域への思いを語り復興の物語を紡ぎ出していこうという視点である。

その例として、米国カリフォルニア州ロマプリエータ地震(1989年)の影響を受けた小さな観光地サンタクルーズが紹介されていた。各種利害が関係する復興の各論では必ず反対意見が続出するため、サンタクルーズでは、まずはどのような街にしたいのかという総論を共有しようと、絵や文学を用いて徹底した議論を行った結果、公共施設、たとえば市役所など大きな施設の建築は後回しにされ、倒壊した高速道路の再建も放棄されて、スペイン統治時代の古い街並みを再建することが主眼に据えられたそうだ。日本の災害復興では、原型復旧、大型公共事業導入が基本となり、被災の責任が追及される可能性のある「軸ずらし」の議論はなかなか定着しづらいが、水俣の例はまさにこれであろう。

今回の東日本大震災を受けて、いったい自分に何ができるのか考え続けてきた。これまで長くトラウマに関わってきた者として、被害の規模とその複雑さ、時間的展望を考えるならば、遠方に生活しながらできることは限られている。現地に行って力仕事を提供するのは役立つだろうが、私たちが行くよりは、若者に行ってもらうとか、交通費を義捐金に回す方がたぶんずっと効率的だろう、自分たちだからできそうなことはないのだろうかと考えてきた。そして、ようやく、東北の家族やコミュニティがそれぞれなりの復興の物語を創っていくきっかけづくり、被災と復興の証人(witness)となることができるのではないかと思い至った。そして、今年の秋から少なくとも十年間、企画とともに東北を巡るプロジェクトを立ち上げた。

原発のことを勉強するにつれ、これまで大都市に住む自分たちが、知らず知らずのうちに、東北やその他の土地に暮らす人たちを抑圧搾取する構造になっていた日本のありかたにあらためて大きなショックを受けている。ホロコーストを見ても、南京虐殺を見ても、犠牲になった人々の存在を忘れ去ることは犯罪者の意図に加担することを意味し、逆に、その存在を心に刻み、歴史の証人となることこそが抵抗を意味するのだと知っている。まだまだ予断を許さない原発のことを考えれば、復興を語る段階にないことは承知しているが、それでも、被災地の人々が、それぞれなりの復興の物語を創っていく過程を歴史の証人として見守ることができたら、私は私なりの復興の物語を創っていけそうな気がする。