今月のトピック by 村本邦子

2011年4月 被害者からサバイバーへ

先月は、災害の衝撃と波紋の拡がり、そして被害者化について触れた。波紋の静まり具合は、当然ながら衝撃の大きさと距離による。まだまだ予断を許さない被災の中核的な地域ではさざ波のように今なお波紋が生まれ続けているはずだが、物理的・心理的距離のあるところでは、いっときの激しい興奮状態は静まりつつある。これから先、時間経過とともに、状況による温度差は大きくなっていくことだろう。災害による衝撃が大きければ大きいほど、また、社会的パワー(経済力や人的資源、知識や情報など)が小さければ小さいほど、立て直しは困難であり、孤立感や無力感は強まるものだ。

被害者がサバイバーになっていくプロセスは、一般に、(1)破局 (2)安堵と混乱 (3)回避 (4)再考 (5)適応 の5段階に分けられる。破局の段階では、被害者が破局はまだ終わっていないと感じている限り、つまり、安全感を得られるまで続く。安堵と混乱の段階とは、とりあえず破局が終わったことを知り、文字どおり安堵すると同時に、なぜこんなことが起こったのか、その結果をいったいどうやって受け入れればよいのかに混乱するのである。不安とストレス症状を減らすための対処法のひとつとして、回避の段階がくる。回避が一時的なものであれば、次に再考の時期がきて、衝撃と喪失に直面する心準備が整い、ようやくサバイバーへと変化していくことができる。

安堵と混乱を経て、止まってしまった時間を再び前へ進め、何とか立て直しを試みようと努力するとき、立ち止まって振り返ることはできない。回避と再考を行きつ戻りつしながら歩んでいければよいが、回避の段階に留まってしまうことも少なくないだろう。再考の段階へと進むことは、時に生涯にわたる闘いであり、最終段階の適応までいかず、回避段階に留まって生涯を終えるという場合もある。とくに、今回のように、コミュニティのつながりが物理的に断ち切られ、人々がバラバラにされて距離感の違う生活空間に投げ込まれ、見えないところへ埋め込まれていくことが多くなるとすれば、孤立のなかでの再考はますます難しいものとなるだろう。

災害には政治的側面がつきまとう。きっかけは天災とは言え、根本にあるのは人災である。情報が錯綜し、強いリーダーシップが求められるなかで、私たちはこれから何を考え、何を成していくべきなのか。さなかにいる私たちは、まだまだ暗中模索である。ビバリー・ラファエルによれば、災害は結果的に大きな社会的変化を引き起こすが、災害後のあり方によって、ネガティブな変化もあれば、ポジティブな変化もあり得る。時間経過とともに、衝撃が小さかった者ほど、パワーが大きい者ほど、その社会的責任が問われることになる。まずは、ここにいる人々こそが、我先にと進むのでなく、振り返りつつ、進めないでいる人々に心を寄せることだろう。戦後の立て直しのツケもまだ残っている。最終的に私たちはサバイバーになることができるのだろうか?願わくば、懸命に慎重に思考し、行動することができることを。