今月のトピック by 村本邦子

2010年10月 多様性のなかの歴史構築

トロントで歴史教育に関する国際会議に出席した。主催したのは、トロント・アルファというNGOで、第二次世界大戦で起こったアジアでの戦争犯罪を歴史教育に入れる必要性を訴えてきた機関だ。カナダは多民族・多文化の国であり、先住民、フランス系、東欧系・南欧系や中国系、インド系などによって構成され、百をゆうに超える言語が話されている。このような国で、学校の歴史教育をどのように教えるかは、当然ながら、非常に微妙で困難な課題となる。

ヨーロッパにおいて、ナチ・ホロコーストの歴史は、加害国ドイツと被害諸国との長きにわたる葛藤と共同作業によって一定の共通基盤が作られてきた。ドイツの歴史教科書では、かなりのページがホロコーストに割かれている。ニュルンベルク裁判で有罪となったナチ外務次官の息子であり大統領でもあったヴァイツゼッカーが、二次大戦終結40周年の記念式典において、「過去に目を閉ざす者は結局のところ、現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、また新しい感染の危険への抵抗力を持たないことになるだろう」と演説した国である。とは言え、ドイツにおいても、ここに至るまでには、ヨーロッパ諸国からの圧力と葛藤に満ちた長い道のりがあったのだ。こういった世界情勢を反映して、カナダでも、ホロコーストについては歴史で扱われてきたが、アジアにおける第二次世界大戦の歴史は扱われてこなかった。当然のことであるが、そのことに納得できない中国の移民たちが声を上げたのがトロント・アルファの始まりだった。オンタリオ州で学校教育にアジアにおける第二次世界大戦の歴史が加えられるようになったのは2005年以降である。

歴史とは国の神話であるという人々がいる。歴史は社会によって構築されるものであるという限りにおいて、たしかにいかようにも構築することができる。ただ、ひとつ言えることは、歴史を共有しない者同士は同じ世界に住めないということである。ここまで発達した情報網や交通機関、科学技術をすっかり放棄して、棲み分けをすることができるのなら、別々の神話を持つものが別々の場所に住むことは可能かもしれない。しかし、そんなことはできない以上、同じ地球に住む者同士が共通の歴史を構築していく努力が必要になる。移民の街トロントで、たまたま道で誰かとぶつかった時、お互いの文化的背景と歴史を紹介しあうとすれば、間違いなく相互理解が困難で、複雑な感情的葛藤が生まれる状況である。だからこそ、ダイバージョンということを掲げた教育が模索されてきた。歴史教育についても同様である。トロントという街は世界のミニチュア版なのだ。

地球が小さくなればなるほど、共通の基盤を構築しつつ、多様性を尊重しあうという努力が不可欠になるだろう。トロントは先進的にそういう努力をし続けてきた街なのだ。それはまだまだ発展途上であるが、そんな街に敬意を感じるし、大きな魅力と可能性を感じる。決してたやすいことではないが、私たちが本当に多様性を受け入れることができたら、どんなにか人生は深く豊かになることだろう。歴史の問題に取り組みながら、自分自身のなかにも多様な声が存在することに気づく。どの声も排除されることなく耳を傾けられなければならない。それはチャレンジであるが。トロントにいると、小さな勇気が湧いてくる。今回、トロントという街がとても好きになった。