今月のトピック by 村本邦子

2009年9月 プライバシー

この夏、子育て番組に出る機会があって、「子どものプライバシー」をテーマに、企画段階や本番でいろいろな人たちと話した。現在、子育て中の親たちが、子どものプライバシーについてかなり混乱していることを改めて認識した。どうやら、多くの人はプライバシーを「子どもの秘密」という意味で捉えているようで、「子どもが秘密を持つことをどこまで許すか?」というのが議論のポイントになるらしい。前提として、秘密は良くないという価値観がある。

そもそもプライバシーとは、自分に関する情報をどう扱うか、他者に干渉されずに自分で決める権利のことだ。近代以降の個の概念と私的領域が前提となった話だが、子どもに関して言えば、それまで親の保護下にあった子どもが、親から独立した存在として個を確立する発達過程において、親の保護やコントロールから離れた領域を確保し、自分で扱うことを意味する。子どものプライバシーが尊重されない限り、子どもは個としての発達を成し遂げられないことになる。結果的に、プライバシーは、「秘密を持つ力」を意味することになる。

基本的に、信頼関係があれば、何でもオープンに話せることだろう。子どもに尋問し、説教をするといったパターンのコミュニケーションではなく、ふだんから楽しいコミュニケーションが持てていることがポイントである。本当に困ったときには、親に相談すれば助けてもらえるという信頼感も必要である。困ったことを親に相談したら余計に話がややこしくなるから、親には相談できないという子どもたちの声を聞く。それでもなお、秘密のない親子関係など、目指す必要はないことを強調しておきたい。どちらかと言えば、秘密の内容より、秘密を持つというそのこと自身に意味がある。

誰にどの内容を伝えるかという識別も重要である。大学の授業を休むのに、「彼氏とUSJに行くから欠席します」と連絡をするような学生が出てきていると話題になった。背景には、「秘密を持つことはいけないこと、正直でオープンであるのがいいことだ」という大義名分があるらしい。こんな学生は、いったいどんな反応を期待しているのだろう?「良かったね。行っておいで」?授業をさぼってデートするなとは言わないが、面と向かってそんなことを言われたら、「そんなのは欠席の理由にならない!」と反応するのが全うだろう。親子関係の変化が、子どもたちのこんな変化を生んでいるに違いない。

身近な人々のプライバシーの扱いも難しい。その番組では、兵頭ゆきが「子どもに何をしゃべってよくて何をしゃべってはいけないか」、常に子どもに確認していると言っていた。それを聞いた高野優が「自分は子どものプライバシーをネタにしてきた」と青ざめていた。私も子どもたちをネタにして、子どもたちからクレームがついたこともあったが(やっぱり思春期だ)、最近では何も言わなくなった。それどころか、この頃では、子どもの方が私をネタにあれこれ書いていることが判明した。いったい何を書かれているのやら、ドッキリだが、まあ、お互いさまだ。

信頼関係のなかで聞いたり経験したりしたことを第三者に話すとき、「これは誰にも言ってくれるな」と言われたことは、もちろん言わない。「これは誰にも言って欲しくないだろう」と思うことも言わない。ただし、自分だったら言われてもいいと判断したことが、相手にとっては言われて嫌なことだったということは起こり得る。それぞれ、別の人間だから。でも、最終的にそういうことって仕方ないんじゃないだろうか。聞いた話のひとつひとつについて、人に話してOKか、そうでないかを確認するなんて不可能だ。そもそも人が自己完結して生きられない以上、秘密はどこかで漏れ出ていくだろう。それでもなおかつプライバシーの観点は重要だし、悪意をもってプライバシーを侵すようなことはあるまじきことだ。