今月のトピック by 村本邦子

2009年8月 村上春樹と戦争の痕跡その2

先月に続き、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『国境の南、太陽の西』、『海辺のカフカ』、『1Q84』と読んだ。主人公たちには、どうやら共通項がある。いずれも親の愛情に恵まれず(春樹は、まるで、親子の情愛など信じていないかのようだ)、小さい頃より、自分で自分の面倒を見て、自己完結的なあり方で成長した少年、もしくは青年であり、世界にコミットして大人になるという課題を抱えている。ひどい虐待があるわけでなく、生活に困るような事態もないが、心の通い合う親子関係は見えにくい。どちらかと言えば、母親に対して、淡いセクシュアルな想いを抱いているが、母なるものは彼の手の届かないところにあって、その手の届かなさを父親と共有しているらしい。

世間の価値観からは遠いところにいるが、自分なりの倫理観があり、徹底的に自己コントロールして生きている。そんな彼の心を激しく揺さぶるのは、同じく一風変わった女性たちだ。同様に、親の愛情に恵まれず、欠損感を抱えている。幼児期に性的虐待を受け、どこか死の世界に近いところにいる感じがする。これらは、確かに、戦後第二世代の心象風景のようにも思える。互いに欠損感を抱えているから、ごくふつうの家族の形には馴染めない。たとえば、『国境』では、きわめて真面目で良い娘と思われる恋人イズミを裏切り、共に幸せな家庭を築いてきたはずの妻、有紀子を(そして、間接的に娘も)裏切る。決していい加減に生きているわけではない。パートナーたちに誠実でありたいと努力しているのにも関わらず、である。そこには、ある種、解離した日常のあり方が見え隠れする。

そして、小説のあちこちに、なぜ、どのように人は大きな悪を成すのかという問いが散りばめられている。『ねじまき鳥』(平成七年)では、悪を体現する綿谷ノボルという男が登場するが、それは、綿谷家の血筋の遺伝的傾向として説明される。ある種の人々は、「体の組成の中にどうしようもなく暴力的なものや獣的なものを抱えて」おり、「不特定多数の人々が暗闇の中に無意識に隠しているもの」を引きずり出し、自分のために利用しようとする。それは、暴力と血に宿命的にまみれ、多くの人々を結果的に損ない失わせるのだという。綿谷家は中国侵略を推し進めた軍人や政治家とつながる家系である。これと闘うために、岡田亨は殺しを行わねばならない(結果的には、亨は綿谷ノボルを殺しきれず、久美子が最後の息の根を止めることになる)。

『カフカ』(平成十四年)においては、猫殺しのジョニー・ウォーカーが登場する。いったん戦争が始まれば中止するのはとても難しく、一度、剣が鞘から抜かれれば、血が流されなくてはならない。殺すか殺されるかだ。ジョニー・ウォーカーは、ナカタに自分を殺してくれと頼む。ナカタは、殺しなどしたくなかったが、猫を殺すのを止めようと思っただけなのに、「体が勝手に動いてしまって」、彼を殺してしまう。ナカタは、この時のことを、「ジョニー・ウォーカーがナカタの中に入ってきて、ナカタを望んだことではないことをさせたのだ。ナカタには中身がないから、逆らえるだけの力がなかった」と説明している。そして、源氏物語の憑依について語られ、この世のものではない何やら不気味な白いモノが人のなかに入った結果、抗いようなく、コトが起こるのだということがわかる。それは、「圧倒的偏見をもって強固に抹殺する」しかない。『1Q84』(平成二十年)においては、これは、「リトル・ピープル」と呼ばれる善悪を超えた力として登場し直す。ここでは、人は、この力の媒体でしかない。たとえ、それを媒介する人を殺したとしても、この力を消滅させることはできない。できることは、せいぜい「反リトル・ピープルの力を打ち立てること」だ。善と悪の拮抗を保つこと。光と影のように。そう言えば、『世界の終わり』(昭和六十年)では、影が切り離された世界について描かれ、その世界に留まることが選択された。そこからすれば、ずいぶん遠いところまで来たことになる。

『1Q84』では、さらに、歴史の記憶について語られる。「僕らの記憶は、個人的な記憶と集合的な記憶を合わせて作り上げられている。その二つは密接に絡み合っている。そして、歴史とは集合的な記憶のことなんだ。それを奪われると、あるいは書き換えられると、僕らは正当な人格を維持していくことができなくなる」「やった方は適当な理屈をつけて行為を合理化できるし、忘れてもしまえる。見たくないものから目を背けることもできる。でもやられた方は忘れられない。目も背けられない。記憶は親から子へと受け継がれる。世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘いなんだよ」。春樹は、歴史の記憶と闘い続けているようだ。

まだ、ざっと読んだだけの印象であるが、掘り下げて分析してみたい点がいろいろある。残りの小説を読み進め、すでにたくさん書かれている春樹研究もある程度、読んでいかなければ。