今月のトピック by 村本邦子

2009年7月 村上春樹と戦争の痕跡

先月の「ドイツに学ぶ和解の旅」で一緒になったフランス在留中の文学研究者と、戦後の文学に見る戦争の痕跡についての共同研究をすることにした。「犬も歩けば棒に当たる」じゃないが、私がどこかへ行くと何かに出会う。そもそも、この旅自体が、アルマンド・ボルカス→ASFのクリスチャン・シュタッファ→小田博志→北海道フォーラム・・・(個別の説明は、トピック原稿のどこかに見つかるはず)という具合に、出会いが重なるなかで実現したものだ。さらに、矢印は、今後、パリの他、ナヌムの家にもつながる予定だ。出会いというのは面白い。

手始めに村上春樹を取り上げることにしたので、今、春樹を読みふけっている。通勤電車でしか読む時間はなく、眼がかすんでしょうがないのは問題だが、かなり面白いので、寸暇を惜しんで読んでいる。『ねじまき鳥クロニクル』を読み、『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』を読み、『ノルウェーの森』を読み、今は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいるところだ。話題の『1Q84』はじめ多くの作品をすでに入手したが、読む順番に私なりのこだわりがあって、ジグザグしながら読んでいる。

現段階でわかったことは、登場人物の性格は作品を超えて共通しているということ、おそらくは時代を追って、そこに成長発達が見られるのだろうということ。それは村上春樹という著者自身のあり方と、彼にとって重要な意味を持ってきた他者のあり方と密接に関わっているだろうということ。今のところ、意図的に著者の生育史に眼を向けず、ブライイド・アナリスをしようとしているが、どこかの時点で、彼の個人史を調べ、突き合わす作業をやるつもりである。現在の文学研究では、禁欲的にテキストを著者個人から切り離して分析するという姿勢が一般的であるそうだが、私はサイコロジストだから、そこのルールに従わなくてもよいだろう。彼の作品は、ユング心理学の理論にぴったり符合する。彼が河合隼雄に関心を持って接近したのは無理もない。とは言え、あまりに理論に合いすぎていては面白くないので、私としては、それこそ禁欲的に心理学理論を使いたくないような気がする。

彼の作品のテーマの中心は、「解離」と言っていいだろう(おっと、これも心理学的理論だ・・・)。記憶の不確かさと忘却、自己同一性のゆらぎ、複数の世界がつながりを持たずに並列すること、社会からの離脱。そして、それらの断片をつなぐのは、地下世界と巨大な闇の力なのだ。性と暴力は、その表出である。戦争のエピソードは、さりげなくあちこちに散りばめられており、とくに『ねじまき鳥クロニクル』では、戦争加害のトラウマの世代間連鎖がそのまま取り上げられている。春樹の人気は、きわめて現代的な社会、しかも一定の条件を満たす特定の文化圏の特定層に支えられているのだろう。逆にいえば、現代社会をそのまま表現しているとも言える。本人はデタッチメントとコミットメントという言葉を使っているが、たしかに、そこに回復の手掛かりがあるだろう。現実に眼を向け、問題にコミットすること、それを支えるものとして、何気ない日常生活の営みがある。

村上春樹をめぐる私の旅は、まだ始まったばかりだが、取り組んでいる問題へのコミットメントと日常生活の営みのなかで、どんな行き先に連れて行ってくれるのか、楽しみだ。