今月のトピック by 村本邦子

2009年6月 ドイツの和解に学ぶ旅

「ドイツの和解に学ぶ旅」というのに参加してきた。もとはと言えば、昨年の7月に札幌であった「国際シンポジウム〜市民がつくる和解と平和」を主催したメンバーの企画であり、私も仲間に入れてもらった形だ。昨年のシンポが素晴らしく(2008年7月のトピック参照)、また、メンバーたちの運動体としてのありかた(メンバー相互に個人的な信頼の絆が結ばれ、なおかつ外部にオープンであるという)に共感を覚え、このメンバーと一緒にドイツの和解に学ぶというのが魅力的で、スケジュールをやりくりし、かなり無理をしての参加だった。

関空からヘルシンキ経由でワルシャワに入り、バスで5時間、オシフィエンチム(ドイツ語名はアウシュビッツ)にある「国際青少年センター」に宿泊して、アウシュビッツとビルケナウを見て回った。昨年の9月にも来たばかりだったので、日本人公認ガイドの中谷剛さんがビックリしていたが、1〜2度訪れただけでは、とても体験を消化しきれない。少なくとも、もう数回は通いたいと考えている。前回来た時も、アウシュビッツのあまりの美しさに衝撃を受けたが、今回はポプラの綿毛が一面に舞い、何とも幻想的な光景に出合った。信じがたい美しさがあまりに悲しい。

今回は、強制収容所生存者スモーレンさんの話も聞くことができた。88歳のとても元気なおじいさんだが、これから双子の孫を見にアメリカへ行くところなのだと言う。生き延びるコツは、「眼と耳を使って、できるだけ働かないようにする」ことだったと言うが、レジリエンスを感じる。抵抗運動に加わり、ユーモアとともに、生きる意志、希望と信念を持ち続けることが力の源だと感じた。逆説的ではあるけれど、死を覚悟でリスクを取ることが、自分の生を手放さずに生き続けることにつながったのだと思う。

「国際青少年センター」の宿泊は初めてだったが、これは、ドイツのASF(行動と償いのしるし)のイニシャティブによって、1986年に開設された出会いと交流のためのセンターである。教育部門があって、海外からのスタディツアーを受け入れ、ポーランドの若者と交流しながら学ぶ1週間ほどのセミナーを企画する。アウシュビッツという苦痛に満ちた出来事から学び、他の文化や人々について学び、知り合い、歴史を扱うことで、恐怖、偏見、敵意を克服し、より良い未来を築くことができるということを前提にしている。いつか、うちの学生たちを連れて来たいものだ。

私たちが宿泊していた期間、ちょうど、フォルクスワーゲン社の新入社員研修で、若者たちがたくさん来ていた。フォルクスワーゲン社は、アウシュビッツ近くに大きな工場を持ち、強制労働によって発展したナチ時代の象徴でもあるが、補償のための基金を出しているばかりでなく、和解の活動に積極的に取り組み、社員教育に自社の闇の歴史を取り入れている貴重な会社だ。センターのマイクロバスも、寄付によるフォルクスワーゲン車だった。フォルクスワーゲンを見直したが、日本企業では想像もできないことだ。

クラクフとワルシャワを回り、ユダヤ人地区、ゲットー跡、ワルシャワ蜂起記念館などを見学し、少しずつ、ポーランドとドイツの複雑な関係について理解し始める。それから、列車で移動、ベルリンに入り、関連施設見学とインタビュー、ASFとの交流集会を持った。

ASFは先にも登場したが、50年にわたって、ナチ加害の罪を認め、贖罪のための平和奉仕活動を続けてきた団体である。設立者ルーターさんは、プロテスタント信者であり、裁判官だったが、戦時中、政府が障害者を虐殺していることに気づき、抗議し訴訟を起こして、追放された人である。自らは、有機農業を始め、農園にユダヤ人を匿い、逃亡の手助けをしていたにも関わらず、ナチに抵抗できなかった教会の失敗体験を自分のことと受けとめ、何百万という大量虐殺に共謀した自らの罪を認識し、具体的で実践的な行動によって許しを請い、和解を求める希望を表現することが不可欠であるとASFを設立した。

具体的には、ドイツから長期ボランティアを派遣し、ベラルーシ、ベルギー、チェコ、フランス、ドイツ、イギリス、イスラエル、オランダ、ノルウェイ、ポーランド、ロシア、ウクライナ、アメリカ、とくにナチスによって苦しめられた国や人のために働けるように支援している。ボランティアたちは、ナチ被害にあった高齢者や障害者の介護、関連施設の掃除やガイドなど、地域サービスに従事すると同時に、継続的な異文化交流と理解を深め、歴史の証人となることが期待されている。今回、あちこちの施設で、ASFのボランティアやスタッフたちの働きぶりを実際に見ることができたことは大きな収穫だった。最近は、ドイツ国外からのボランティアも受け入れており、ヴァンゼー会議博物館で、イスラエルから来たボランティアと出会ったのは驚きだった。ASFの活動も今や世代を経て、国際的なものとなっているようだ。

交流集会では日本での取り組みについて報告し、私も南京のプロジェクトについて発表した。先駆的なドイツに学びつつ、私もできることを積み重ねていきたい。ASFを始めた頃は、何の見通しもお金もなかったが、ルーターさんは、「お金は十分にある。ただ、間違った財布の中に入っているだけ」と言ったという。今回の旅で、志を同じくする日本や海外の人々と触れ合えたことは今後の大きな力になった。北海道という個人的なルーツについても情報を得ることができ、それもまた貴重なことだった。まだまだ話は尽きないけれど、そろそろ紙面は尽きてきたので、またの機会に。