今月のトピック by 村本邦子

2009年5月 アメリカにおけるDVの動向

「最近のアメリカでは、シェルターに対して批判が出ている」、「シェルターは、実際に機能しなくなっている」と小耳にはさむことがあって、どんな状況なんだろうと内心、疑問に思っていたが、ちょうど、アメリカにおける動向をまとめるという機会をもらったので、いろいろ調べてみた。

ご存知のように、アメリカでは、日本より一足早く(と言っても、日本には、古くから、文字通りの駆け込み寺が存在していたわけだが)、1970年代の女性解放運動のなかから、シェルター運動が起こり、70年代後半から80年代初頭にかけて、全米にシェルターが拡がった。シェルターに駆け込んできたDV被害者の実態が明らかにされるにつれ、支援者たちは、その関心を法システムに向けるようになる。草の根的なロビー活動の結果、1983年には、ほとんどの州にDV防止法ができ、1984年の「家族虐待防止サービス法」、1994年の「女性への暴力防止法」が制定され、2000年には、これを大幅に強化する「女性への暴力法2000」が成立し、2005年に更新されている。

最近の動向のポイントのひとつは、日本ではDVとして概念化されたものが、アメリカでは、急激に、IPV(Intimate partner violence:親密なパートナーの暴力)という言葉で統一されつつあることだ。もともと、バタリング、ファミリー・バイオレンス、ドメスティック・バイオレンス、配偶者虐待など、さまざまな用語が使われてきたが、1999年、CDC(米国疫病予防対策センター)が、一貫性のある用語を使うよう推奨し、多様な関係のバリエーションを含むものとして、IPVを採用した。これは、単なる呼び名の変更に留まらず、DVについての理解が大きく変化したことを意味する。

家庭内暴力の先駆者として著名な社会学者ストラウスの最新の研究によれば、200以上の研究において、男女の加害率はほぼ同じであり、ほとんどの場合、相互的な暴力であるという。親密な関係における暴力には、人種、文化、階級など多様な背景が関わっており、支援を考えるうえでも、多様性を視野に入れるべきであるというDV研究の洗練とその成果があり、IPVという用語への統一によって、「男性から女性へ」という単純な定式が崩壊し、ジェンダーの問題は、多様に存在する抑圧構造のひとつとして相対化された(もちろん、フェミニストたちからの批判はある)。

これと連関するが、2000年代に入ると、人種、文化、階級など被害者の多様な背景を視野に入れたDV支援と研究が展開されるようになる。たとえば、吉浜美恵子さんの「バタード・ウーマンのコーピング戦略と心理的苦痛〜移住の立場による違い」という2002年の研究では、同じ日系アメリカ人であっても、日本で生まれた女性たちは、DVに対する「アクティブ」な戦略は有効でないと考え、用いない傾向があり、それが有効であると考える人ほど苦痛は増加していた。アメリカ生まれの日系アメリカ人はその逆であった。DVがもたらす影響は複雑であり、文化的要因に眼を向けることが欠かせない。暴力に直面した時、助けを求めるかどうかに影響を与える要因は、個人的要因、対人関係的要因、社会文化的要因など、さまざまな要因が複雑に影響しあった多層構造になっており、当事者のニーズに合わせた柔軟で適応的な選択肢が用意されている必要がある。「DVがあれば、逃げるのが一番」という単純な考えは、女性たちの主体性を無視した支援者中心の考えであり、女性たちが暴力から自由になるためには、どんな支援があれば、逃げることが可能になるのか、逃げないという選択肢を取っても、暴力を逃れることを可能にするには何が必要なのかという視点を支援者が持たなければならない。

このようなことが言われる背景には、2000年代に入り、法的にも政治的にもDV対策に多大なエネルギーがつぎこまれ、DVに関する理解も支援も洗練され、高度に専門化されたことで、ヒエラルキーと専門主義が強化され、支援が画一的にサービス提供者側によって規定される傾向が出てきたことがある。かつては草の根的な運動の中心にいたシェルターのスタッフたちも、今では専門家たちであり、提供されるサービスが父権的なものとなっている。グッドマン&エプシュタインは、今こそ、DVへのフェミニスト的アプローチに戻り、@個別のサバイバーたちの声に耳を傾けること A被害者の安全を支える関係とコミュニティを尊重すること B経済的なエンパワメント が重要であると提起している。

私なりの結論は、今後、ジェンダー以外の差別抑圧構造にも眼を向けながら、フェミニズムの蓄積を活かしていくことが大切になっていくだろうということである。多様化する日本においても同じことが言えるだろう。