今月のトピック by 村本邦子

2009年2月 職業を通じた社会階層の再生産

修士論文の締め切りと口頭試問が終わった。今年は、キャリア選択に関するものが2本、ひとつは、医者という職業の継承がテーマだった。「医者の子は医者になる」とは、何となく皆が感じていることかもしれないが、それにしても、医者である親が子どもに医者になって欲しいと思う割合と、医者の子どもが医者になろうと思う割合が、他の職業に比べてどれほど高いかは驚くべきものがある。医者の子が医者になろうと思う理由としては、キャリアモデルが身近にあって、病院の文化になじみがあることのほか、医者が、圧倒的に、経済的・社会的優位性を持つ職業であることが前提となった価値観が挙げられるようだ。

この学生のインタビュー調査によれば、あからさまに「医者になりなさい」とプレッシャーをかけられて育つ場合もあれば、はっきりとは言われないが、そんな期待があったことが後に明らかになる場合もある。男女問わず、「医学部に行ける成績があるのに、薬学部なんかに行って、医学部を出た子にずっと頭下げることになってもいいの?」「これだけ今まで贅沢して暮らして、OLになってサラリーマンと結婚して、それでやっていけると思ってるの?」などなど、あからさまに言うか言わないかはともかく、本音としては、医学部に行って医者になることが、どれほど特権的であるかを信じて疑わない。

正直、げっそりするが、何も医者だけではない。周囲の大人にも、学校や予備校の先生にも、医学部に行くことは学力が高いことを意味し、社会的・経済的に優位であるから、断固、良いことだという認識がある。他の職業と違い、親が医者で、子どもが医学部を受けるという選択に対して、批判の声はいっさい聞かれない。私たちの社会や教育の現場が、いかに画一的な価値観で構成されているかを思い知らされるようだ。結果、子どもたちは、学力が伴えば、消極的選択として医学部へ行く。消極的というのは、「ぜひ、こんな医者になりたい」と夢や希望を持って進路選択するのでなく、「別に嫌じゃなかったから」「他になりたいものがなかったから」などの理由で医学部へ行く。もちろん、みんながみんなというわけではないだろうけれど。

『ハマータウンの野郎ども』(ポール・ウィルス著、ちくま学芸文庫)という本がある。原題は“LEARNING TO LABOUR−How working class kids get working class jobs”で、イギリスの典型的な労働者の町ハマ−タウンの「おちこぼれ」男子中学生の日常と卒後の進路を描くことで、労働者階級の子どもたちが、学校文化に反抗し、労働者階級に憧れ、労働者になっていく過程を明らかにしたものである。彼らは、学校文化を異化し、誇りを持って、独自の価値体系を作り上げようとしているわけだが、結果的には社会構造が再生産されていく。非常に興味深く、しかし、どこか哀しさが残る本である。

身分制度のある時代と違って、一見、職業選択は自由であると見えるが、その実、親の職業や社会階層に規定されている部分は大きい。ただし、子どもの出来が良ければ(ここでは学力を示す)、親の社会階層を越えるという選択はありだ。親が苦労したから、子は少しでも良い選択をというわけだ。こうして、社会階層が高くなるほど、職業選択の可能性の幅が小さくなる。この画一的な価値観では、医者は最高峰に位置づけられ、その上はない。明らかに、職業にはヒエラルキーがある。昔から、反発することなく、素直に開業医を継ぐ選択する人たちの存在を不思議に思っていたものだが、何も不思議なことはないということになる。

ひとつ希望が持てるのは、そうやって、なんとなく医者を選択した子どもたちも、実際に働くなかで、仕事の責任感や意味を見出していくという姿だ。もうひとつのキャリア選択の研究では、パティシエとか美容師とか資格と技術をもって働いていく若者たちを追ったが、そこでも、抽象的に選択を悩むよりも、身近なきっかけや自分なりのこだわりから、その道に入り、働くなかで、さまざまな困難を乗り越え、やりがいを見出していく。どんな職業もそこは一緒なのだろう。

今年の修士論文テーマでは、「高校生の女の子たちがなぜキャバクラでバイトしたがるのか」というものがある。キャバ嬢・ホステスは、若い女の子たちのなりたい職業9位だというデータがあるそうだ。「安定して給料のいい正社員の口はなく、安定しているが給料の安い仕事はきつい。不安定で給料の安いフリーターやニートはダメということで、行き着いた先が、不安定だが給料のいい仕事、キャバクラ嬢」なのだという。この研究成果は1年後だが、ハマータウンの女の子バージョンなのか?楽しみだ。