今月のトピック by 村本邦子

2008年7月 市民による和解をめざして

 7月9日、札幌で、「国際シンポジウム〜市民がつくる和解と平和」が行われた。主催者たちが強調していたが、ここで言う「和解」とは「歴史和解」のこと。北海道大学の小田博志さんによれば、「歴史上の暴力、とくに植民地支配や戦争によって生じたさまざまな問題を改善する努力を通して、当事者の間の関係を修復する」ことだという。当然ながら、歴史上の出来事の記憶を点検し、責任を引き受けることが前提となる。戦後責任について勉強するにつれ、いかに自分が無知であったかを思い知らされる毎日だ。

 たとえば、今回のシンポジウムで新たに学んだことは、強制連行犠牲者のこと。ドイツの戦後責任について学ぶなかで、ドイツが2000年に「記憶・責任・未来」法という法律を作り、政府と企業とで基金を作り、ナチ時代の強制労働に対する個人補償をしてきたことを知った。当然ながら、「日本はどうだったのだろう?」と日本の強制労働に関する訴訟については少し理解したが、十分にはピンときていなかった。

 今回のシンポジウムのひとつのセッションで、「遺骨を届ける〜強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラムの活動」の講演があった。2002年、本願寺札幌別院は、納骨堂に置かれてきた戦時下の強制連行犠牲者の朝鮮人、中国人の存在を公表した。101体の遺骨は、北海道、樺太などで強制労働に使役した土建会社などから預けられたものだった。講演者である殿平善彦さんというお坊さんが、「ひとつの遺体の向こうに、帰りを待ち望んでいる家族がいることを想像することはそれほど困難ではなかった」と述べたが、「そうだ、その想像力さえ持ち合わせていれば、戦時中といえども、あそこまで残虐な殺害は起こらなかったに違いない」と感じ入った。

 これをきっかけに、70年代から強制連行や強制労働の調査や遺骨発掘を続けてきた人々が、2003年、北海道フォーラムを結成し、遺骨を遺族の元に返す運動を始める。調査を進めるなかで、強制連行犠牲者の遺骨問題が日本の戦後責任として表面化した。2006年には、猿払村の共同墓地で、韓国人、中国人、在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族、日本人など300人が一緒になって、旧陸軍飛行場建築で犠牲となった労働者の遺骨発掘を実施した。この取り組みは、「東アジアの平和な未来のための共同ワークショップ」と名づけられて継続され、東アジアの学生や地元の高校生など多くの若者が参加しているという。まさに、市民による和解の可能性を感じさせる感動的な取り組みだと思う。

 強制連行犠牲者の遺体は、北海道だけでなく、全国各地にたくさんあるに違いない。私たちの足元にも、発掘や返還の希望がないまま埋もれている遺体があるのかもしれない。知らないことがどんなにたくさんあることか。中国から来られたシンポジスト、弁護士である康健さんは、日本の人権のダブルスタンダードを指摘した。たとえば、日本のメディアは、北朝鮮の拉致問題については相当の時間と紙面を割いて報道するが、当時の日本の国策に基づいて、日本に強制連行され、強制労働させられた4万人近くの中国労働者については淡々と報道するだけだ。本当にそうだ。同じ命なのに・・・。

 ドイツでは、罪と責任をはっきり区別するという。罪は個人に属するもの、責任は集団に属するものなのだそうだ。戦争に関わっていない若者に罪はないが、その社会に属するものとして責任はある。南京でもそうだったが、自分の足元のことを考えると、なんだか罪悪感に圧倒されてしまうが、罪はないのだと言ってもらえると、少しだけホッとする。罪があると言われると、どうしていいかわからなくなるが、責任ならば背負えるかもしれないと思えるのだ。

 今回のシンポジウムは、国レベルですべきことは法律と補償、和解は市民レベルでなければ起こりえないだろうという趣旨だった。市民の力に希望を見出そうとする姿勢こそが、市民のエンパワメントだと思った。自分の知らないところで、こんな市民運動がたくさんあって、活動を続けていること、人生の先輩たちも、人生の後輩たちも、一緒になって和解を求めて取り組んでいることをしっかりと記憶に刻み、伝えていきたいと思う。そして、私も自分のいる場所で責任を果たしたい。