今月のトピック by 村本邦子

2007年9月 秘密

 「お母さんは口が軽すぎるって!」時々、子どもたちからクレームがくる。「FLCのお客さんの秘密は守るくせに、子どもたちの秘密は守らへん」。「秘密にしてって言われたら秘密にするけど、そうじゃなかったら、秘密にする必要性感じへんもん。秘密にして欲しいことは、そう言ってくれるか、話さへんかどっちかにして〜」。

 成長の過程で秘密を持てるようになることは、大人になるための大切な第一歩だ。とくに、親との関係において、どこか共生的に生きてきた子ども時代から脱出するためには、秘密を持つことで親と距離を作る必要がある。そういう意味で、思春期の子どもをもつ親は、子どもの世界、子どもが秘密をもつことを尊重してやらなければならない。

 秘密は大切な誰かと共有することで、絆が深まる。思春期の子たちは、仲間集団で秘密を分かち持つことで、大人たちから自由な世界を持とうとする。一種のレジスタンスである。それは価値ある秘密だ。

 選択の余地なく、1人で抱える秘密は重い。誰かと共有する暗く苦しい秘密もある。何らかの事情で、人と分かち持つことができない秘密、持てば持つほど、自分を蝕んでいくような秘密もある。秘密を守るために、嘘偽りを重ねた結果、自分自身でさえ、いったい何が本当だったのかわからなくなることさえある。これらは悲しい秘密だ。

 大人になると、自分に関する情報を誰に話したいか、話したくないかを選ぶことができるようになる。話したことを悪意でもって利用されると思えば、誰しも話す気にはならないだろう。ネット上の中傷をはじめ、人の情報を悪意で利用して楽しむ人たちは必ずいるものだ。人から聞いた話を、今度は、聞いた人が、話し手として判断して、誰かに話したり、話さなかったりするだろう。その判断基準は、最初に語った人、つまりその情報の発信者のそれとは違うかもしれない。それはそれで仕方がない。自分の責任の範囲を超えた話だ。

 信頼して話した相手が悪意なしに誰かに伝え、それを聞いた誰かが、悪意でもって利用することも起こらないわけではない。それはそれで仕方がない。自分の情報は自分のものであるというのは奢りではないか。人が人として生きている以上、透明な存在になることはできない。人は、互いに影響を及ぼしあって生きている。そういう意味で、自分に関することは自分だけがコントロールできる所有物ではない。

 話さないことは秘密ではない。話せないことが秘密を形成する。大人になって、はっきりと境界線を引けるようになれば、噂話や他者の思惑に振り回されなくなる。人が何を言おうが思おうが、自分に責任のないことは流せばよい。そう腹が括れれば、不要に秘密を持たずにすむ。秘密を持たずに生きることができれば、その方がずっと楽だ。