今月のトピック by 村本邦子

2007年4月 体のモニタリング

 この春は体調不良で辛かった。と言っても、寝込むわけでなく、普通に仕事をしていたのだけど(だから、たいした病気でもないのだけど・・・)、執拗な花粉症に始まって、キリキリと胃が痛み、肋間神経痛を経由して、背中、肩、首へと痛みが回り、最後は左後頭部のひどい偏頭痛。こんなことは初めてだった。偏頭痛が続いた3日目に、かかりつけの整骨院で治療を受けたら、驚くことにピタッと痛みが消えた。原因は、肩首の凝り、過労、ストレスだそうだ。これだけ凝っていて、これまで頭痛がなかったことの方が不思議だとも言われた。

 若い時は、自慢の肩凝り知らずだった。それが、いつの頃からか、肩凝りがひどくなって、それが高じると神経痛を発症するようになった(今は亡き藤岡喜愛先生によれば、消化器系が敏感な内胚葉型に対し、皮膚・神経に出る私は外胚葉型だ)。ここ2~3年、会社の近所の整骨院へ行くようになって、動けないほどの神経痛はなくなった。整骨院へ通っていると、自分の体の凝り具合、疲れ具合がわかるようになる。ところが、去年の秋から多忙を極め、すっかり足が遠のいていた。そうすると、いつの間にやら、自分の体の凝り具合、疲れ具合がわからなくなっていた。

 「首の左側が痛いなぁ」と思う。整骨院で押さえてもらうと、実際には、右側もかなり張っていることがわかったりする。人間の体って、一番、痛いところに気を取られ、それ以外の部位の痛みを感じなくなってしまうのだそうだ。たしかに、フロイトも、歯が痛い時はリビドー(エネルギー)が全部、歯に向かってしまうというようなことを書いていたよなぁ。痛みがひどすぎると、感覚麻痺が起こって、何も感じない。事故やレイプの被害者たちが、一日経って初めて骨折に気づくというようなことさえある。さらに、痛みが慢性化しても、感じられなくなる。「今年は整骨院に行かなくても元気だなぁ」と思っていたけど、何のことはない、単に感じなくなっていただけのことだった。怖ろしい。

 仕事柄、心については敏感だ。感覚麻痺することはまずないし、自分の細かな感情について、人一倍よく把握していると思う。でも、フロイトが言うように、一種の職業病とも言えるのだろうが、心に多くエネルギーを取られているものだから、体に回す分が枯渇しがちなのだろう。年を取ってからは、若い時のようにはいかないことを痛感して、気をつけているつもりでも、今回みたいな失敗をしてしまう。とりあえず、何はさておいても、定期的に整骨院へ行くとしよう。

 ある人が、「整骨院でマッサージしてもらうのって、体のモニタリングになるよね」と言った。たしかにそうだ。「体のモニタリング」とは、リラクセーションなどの時によく使われる方法だが、足先から頭のてっぺんまで、ほんの少しずつ意識を体の部位に向け、移動していく。「モニタリング」と言われるけど、私の感覚では、「スキャン」という方がぴったりくる。パソコンのウィルス・スキャンみたいに、意識で体の各部位をスキャンするのだ。そうすると、足の疲れ、下腹部の痛み、肩凝り、手の冷たさ、舌のしびれなど、それまで無視して気がつかずにいた体の小さな叫びがキャッチできる。普段、忙しくして、自分を欺いて体に無理を強いていたものが、通常の閾値以下で聴き取れるのだ。小さいサインを聴き取って対処すれば、大きなことにならずにすむ。心の問題については、それができているのだけど、体については、まだまだ下手だな。

 それにしても、これは不思議な現象だと思う。たとえば、意識を足先に当てた時と、胸に当てた時とでは、物理的に言って何が違うのだろう?温度がほんの少し上がっていたりするんだろうか?バリダンスの準備体操でも、「骨盤の重みを右足の裏で感じて」とか、「胸の重みを右足の裏で感じて」というのがあるんだけど、たしかに、これができるのだが、実際には、右側に重心が移動した以外の物理的差異はあるのだろうか?いつも不思議に思っていることだ。

 できれば、朝晩、寝床の中で、体のモニタリングを習慣にしたい。バリダンスの先生に教えてもらって、いっとき、寝る前に「ゆる体操」というのをやっていた時があったが、いつのまにやら忘れてしまっていた(娘によれば、これをやると、確実に翌朝の目覚めが良くなるという)。心のことにばかり気を取られるのでなく、体のことに気を向けなくちゃ。大切にして、まだまだ長く頑張ってもらわなきゃね〜。そういう意味では、「動作法」は心と体を統合した優秀な技法だろう。詳細はまたいつか。