今月のトピックス by 村本邦子

2006年11月 失われた絆、つながりを求めて〜ナイト・シャマランの世界

 ナイト・シャマランの映画は、「シックス・センス」「ビレッジ」をのぞけば、一見、無意味で馬鹿馬鹿しいものが多い。「アンブレイカブル」「サイン」など、ただの少年ものという感じ。それでも、彼の映画のメインストーリーの向こうに、いつも、もうひとつのサブストーリーが読み取れる。それは、いったん切れてしまった絆と(多くの場合、それは目に見えない物質的世界を越えたものなのだが)、もう一度、つながろうとする人間のあがき、そして、必ず、最後に希望の予感が与えられる。映画好きの同僚からは、「それはあんたの勝手な読み込みだ」と言われてしまう。そうなのかもしれないけれど、シャマランが意識的か、無意識的か、それを求め続けていることは間違いないと思う。彼の個人的背景についてはよく知らないが、インド系アメリカ人という彼の背景と関係しているのかもしれない。

 最新作「レディ・イン・ザ・ウィーター」は、シャマランが、幼い娘たちから「パパ、何かお話を聞かせて」とせがまれ、その場の思いつきでしゃべり始めたお話を元にしている(つまり、彼の個人的神話だ)。青い世界に住む水の精(ナーフ)と人間は、かつて深い絆を持っていた。ナーフの声に耳を傾けると未来が現実になり、いわば予定調和的な世界があった。けれど、愚かな人間がすべてを手に入れるために陸の奥へと進んでいき、青い世界との絆は切れてしまった。闘いをエスカレートさせるばかりの人間たちに何とかメッセージを届けようと、青い世界から、命懸けでナーフたちが送り込まれてくる。ひとりのナーフとアパートの管理人であるクリーブランドの出会いから、物語りが始まる。
 
 実は、クリーブランドには、秘密があった。彼は、強盗に入られ、妻子を殺害された過去を持つ。ひとりぼっちになったクリーブランドは、心を閉ざし、医者の仕事もやめてしまう。そして、誰も知らないところで、無口な(というか吃音もち)管理人として、住居人の生活を助ける雑用をこなしながら生活している。たしか、「サイン」に登場するのも、妻を交通事故で失ったことから、信仰を失い、牧師をやめて農場を営んでいる男だった。そして、「ビレッジ」は、理想世界の実現を求める犯罪被害者遺族の村だ。しかし、閉ざされ、絆を失った理想世界は幻に過ぎなかった。人間のコントロールを越えた次元で起こる悲劇、いわば運命というものに翻弄される人間たちが、どうやってそれを乗り越え、生きていけるのかという奇跡の探求がいつもシャマラン映画の中核にある。スピリチュアルなテーマが含まれていると思うのだ。

 ネタバレは顰蹙を買うので、詳しいあらすじは書かないが、「レディ・イン・ザ・ウォーター」で起こる奇跡を助けるのは、シンボリスト(記号論者)、ガーディアン(守護者)、ギルド(職人)、ヒーラー(治療者)、ウィトネス(証人)たちだ。しかも、これらの力を持つ当事者たちは、自分たちの力と役割を知らない。彼らは特別な人たちでなく、ごくふつうのそこらへんにいる人々、もっと言えば、周囲からは変人と思われていたり、軽蔑されているような人だったり、ただの子どもだったりするのだ。誰しもが固有の役割を持ち、いったんその意味に目覚めるならば、奇跡に欠かすことのできない重要な力の一部を担うことができる。大きなダメージを受け、いったん切れてしまった絆を結び直すためには、これらの人々の力が結集されなければならない。青い世界に住む水の精たちとの絆が切れたことは、当然のように、無意識の世界やあの世、現世を超えた次元にある世界との絆が切れていることを表している。私たちも目覚めなければいけないのではないだろうか。

 「シックス・センス」は、もっとも論理的一貫性を追求した作品だと思うが、この主人公は、困難を抱える子どもたちのために献身的に関わってきた児童精神科医。彼の功績は市長から表彰を受けるまでに到るが、たった1人、助けることのできなかった男の子がいた。それは、彼の言葉に徹底的に耳を傾ける(=つながり続ける)ことに失敗したからだ。自分の過ちを知り、過ちの理由も自分の居るところもわからないまま、主人公は、自分自身とのつながりさえ失い、さまよい、あがき続ける。彼を救うことになるのは、やはり、自分に与えられた役割(運命)によって、この世の人ともあの世の人ともつながりを結べず、苦しんでいた少年だった。彼の母親も同類である。母親はそのまた母親との絆を結べず、息子との絆を結ぶことに失敗し続けていた。さまよう二人の主人公たちの間に絆が結ばれるにつれ、二人は、他の人々との絆の回復に成功していく。

 これらのプロセスは、カウンセリングの仕事を通じて、いつも経験するものだ。本来の自分、あるいは自分に与えられた役割との絆の回復は、他者との絆の回復、目に見えない世界との絆の回復と並行する。カウンセラーの役割は、さながら、ウィットネス(証人)といったところだろうか。時に、意味を読み解くシンボリスト(記号論者)、枠組みを与えるガーディアン(守護者)、必要なスキルを教えるギルド(職人)であり得るかもしれないが、どう考えてもヒーラー(治療者)ではないような気がする。これは一般の理解に反するかもしれないけれども(他のカウンセラーたちの考えにも反するかもしれない)。自分の仕事は、むしろ、それぞれの人が自分の生活のなかに、奇跡を可能にするコンステレーション(布置)を持つことができるための助けとでも言おうか。

 シャマラン監督はまだ若いが、いずれ伝記でも書かれれば、もっといろいろなことがわかるだろう。いつもカメレオン出演するお茶目な監督は、今回、わりと重要な役割で登場している。自分を信じていないライターだが、将来、彼の作品を読んで影響を受けた人物が後に社会を変えることになることを知り、命を賭けることを惜しまず、自分の役割を引き受けていくというシナリオだ。おそらく、これは彼の願望を表しているのだけれど、シャマラン自身が、自分に与えられた役割と意味を探し求め続けている証拠だろう。