2008年9月のきまぐれトピック

非配偶者間の不妊治療

安田裕子

 非配偶者間人工授精(Artificial Insemination by Donor; 以下AID)とは,不妊治療の技法のひとつであり,夫婦とは全く関係のない第三者である提供者の精子を用いた人工授精のことをいいます。
 AIDが世界的に普及したのは,2度の世界大戦と1970年代の精子バンクの確立にあるとされています。つまり,戦地でのマラリアなどによる男性不妊症が戦後復興で問題となり,それへの対処が検討され,冷凍や保存技術の向上により精子の確保が可能となった,という時代背景があります。19世紀末にAIDが開始されて以来,世界では,100万人以上の子どもがAIDで生まれているといわれています。そして,日本では,1948年に慶応義塾大学病院で初めてAIDが実施され,1949年に子どもが誕生しました。それ以降50年以上が経過していますが,その間,1万人以上もの子どもたちがAIDで誕生しているといわれています。
 AIDに関し,議論の焦点とされていることとして,精子の提供者を匿名にし,秘密保持を原則として実施されてきた,ということがあります。1997年には,日本産科婦人科学会によって,初めてAIDの実施を公に認める見解が発表され,ガイドラインが作成されましたが,それまでは,いわば,水面下でAIDが行なわれてきた,ということになります。ただし,1997年以降も,生まれてきた子どもの法的位置づけについては,きちんと整備されてはいません。こうした状況下で, AIDで生まれた子どもは,夫婦の実子として扱われてきているのですが,他方で,子どもの出自を知る権利と子どもへの告知の問題が,浮き彫りとなっています。
 というのも,昨今,AIDで生まれた事実を不意の出来事から知った人たちが,自らの経験を語る講演会を開催したり,「子どもが語るAID」という小冊子を作成することなどを通じて,秘密保持を前提に行うAIDのありかたの是非を検討すべく,声をあげている,という動向があります(DI Offspring Group:非配偶者間人工授精で生まれた子どもの会)。彼らは,長い間,出自の事実を知らないままに生活してきましたが,ある日突然に,AIDで生まれたということを,知ることとなりました。ある人は,父親の遺伝性の病気をきっかけにして,またある人は,偶然に行った血液検査により,そしてまたある人は,結婚し出産した後に, AIDで生まれたということを知ったのでした。その時の,予測し得なかった出自の事実への困惑,今まで親に隠されてきたということへの怒り,自分のルーツを知りえない根無し草のようなアイデンティティの危機など,さまざまな感情に揺さぶられた経過は,筆舌に尽くしがたい,大変なものであったと思われます。また,AIDで子どもを得た親側の立場の人たちも,生まれてきた子どもとはまた異なる苦悩を背負い込むこととなりました。なかには,生まれてきた子どもたちや周囲の人びとに,いつか知られてしまわないだろうかといった不安に常に苛まれていた,と語る人びとも実際にいます。しかし,AIDを受ける時に,医師から秘密にするようにと告げられ,また,プライバシーにかかわる事柄であるために,当事者自身が口を閉ざしてきた,という現実があります。苦悩を抱えながらも,誰にも相談できないということは,非常に過酷なことであったことと思われます。このように,AIDで子どもをもったカップル,AIDで生まれてきた子どもたち,AIDで子どもをもとうとするカップルは,精神的なケアはもちろんのこと,情報の提供さえままならない状態であったということができるでしょう。
 さて,厚生科学審議会の生殖医療部会は,2003年に,非配偶者からの精子・卵子・胚の提供を認める報告書をまとめ,法整備に向けた議論が始まりました。報告書では,15歳以上の子どもについて出自を知る権利がある,とされています。しかし,実際には,法制化はされずに今日に至っている,というのが現状です。上記のような,AIDにまつわるさまざまな立場の当事者の苦悩を踏まえれば,非配偶者間から精子・卵子・胚の提供を受けたカップル,生まれてくる子ども,そして提供者も含め,彼らが後々に渡ってさまざまな影響を受けることは必至でしょう。また,こうしたことは,当事者のみならず,社会の生命観や家族観にも,大きな影響を及ぼすものと考えられます。社会における,少数派への理解と認識(裏を返せばスティグマ視)のありようにも,関わることでしょう。今後,非配偶者からの精子・卵子の提供・胚の提供,そして子どもへの告知の問題を,社会はどのように考えていくのでしょうか。ひとりひとりが,他人事ではなく自分の問題として考える営みの蓄積が,社会の動向を規定する一要因になりえるように思います。