女性ライフサイクル研究所 News Letter

2009年1月発行第83号

世渡り上手と、しなやかに生き抜く事の違い

前村 よう子

人は皆、一人では生きてゆけないとよく言われる。赤ちゃんや乳幼児の頃から社会人として自立する迄、誰かの支えがあって育ってきている。自立した後も、家庭で、職場で、地域で、趣味で等、様々な場で人とのつながりを実感しながら、生きていくことになる。

誰かとの関係の中で生きていくには、上手く立ち回らねばならない事情も出てくるだろう。そんな時、それができる人とできない人がいる。また上手くできる人でも、時と場合によっては、義憤にかられて上手く立ち回ることを拒否し、よりしんどい道を選択することもあろう。世渡り上手に生きるか、世間の荒波を敢えてかぶり真っ向勝負するか、それはその人自身が選択すべきことなのだろう。

だがしかし、選択を許されない場合がある。虐待やDV、性被害などの暴力被害者だ。被害体験により、他者との関係性を絶たれ、孤独に追いやられる。無力感にさいなまれ、自分自身の心やからだを守ることすら許されない状況が、延々続く人もいる。それでもサバイバーとして、自身の人生を取り戻そうとする多くの人たちがいる。

そんなサバイバーに対して、上手く立ち回り、世渡り上手になることを求める人たちがいる。サバイバーにとって、身近な人や心許せる人から、上手く生きることを一方的に求められることは、サバイバーにとっては強要であり、より辛いことだろうと思う。

生き抜く上で上手く立ち回ることを、サバイバー自身が選択するのであれば、それはしなやかさだと思う。でも、強要や押しつけからはしなやかさは生まれないのだ。自ずから出ずるしなやかさに、寄り添える他者になりたいものだ。