ニュースレター No.56 / 2005年11月

特集 15周年記念シンポジウム「戦争・ジェンダー・トラウマ」抄録

前号で簡単に掲載致しましたシンポジウム部分を、今回は少し詳しくご紹介させて頂きます。

■村本邦子より挨拶と導入

 1990年の研究所立ち上げから15周年を迎えた。開設当初から女性や子どもの暴力被害やトラウマについて取り組んできた。90年代初期の段階では、心理臨床の専門養成過程では、日本ではトラウマについて言及していなかった。ゆえに私たちは、メンタルヘルスの専門家に対して分ってもらうために、学会で10年にわたって発表し続けた。今は、随分、トラウマについての理解も広まったが、問題はこれからで、受け皿の充実が必要である。予防も大切である。今日のテーマである「戦争・ジェンダー・トラウマ」についても取り組む事が大切だと考えている。それは、「戦争」というマスレベルでのトラウマが、個別の人生のトラウマ体験に影響を及ぼしていると考えるからである。しかし、日本では、戦争のトラウマについての理解はこれからである。
 海外では、ベトナム戦争等が、国内の家族・家庭内に影を落としている。日本での、女子高生(最近では中学生)の援助交際、性犯罪などの問題の背後には、戦時中の性加害が清算されてこなかったことが関係しているのではないかと考えている。海外では戦争トラウマに取り組んでいるのに、なぜ日本ではそれがないか?と考える時、その一方で、私たちには60年という年月が必要だったのかもしれないとも思う。サバイバーの回復段階が5つあると言われている。@破局 A安堵と混乱 B回避 C再考 D新たな適応の5つであるが、このCまで至るのに、三世代が必要だったのかもしれないと思う。ここで、Cの段階に行けるのか、それとも退行するのかは、私たちにかかっている。子どもたちに明るい未来を語れない忸怩たる思いがあるが、せめて親世代は取り組みを続けているのだと伝えたい。

■大越愛子さんからの提起

 今年は戦後60年。日本の戦争責任、戦後責任は終わっていない。ドイツにも似たような問題があるが、それなりに取り組んできている。対して、日本では東アジアでの排日運動を扇情的に取り上げている。ただし、市民レベルでは東アジアでの戦争責任に対して、歴史のとらえ直しをしようという空気がある1991年、戦争における性加害のサバイバーが声を上げ始めることにより、大きな動きが始まった。
 サバイバーの叫びには耳を傾けねばならない。被害者であるサバイバーたちが、なぜ恥意識まで持たねばならないのか?歴史というものは、恥意識を強いて、彼女たちの声を封印してきた。2000年に開かれた「女性国際戦犯法廷」の場で、被害事実に関して、沈黙を強いられてきた女性たちが、初めて証言台に立った。被害女性たちが、どんな思いをしながら生きてきたのかを、私たちは知る必要がある。もっとも恥ずべきものは何かを明らかにする必要がある。法廷ではジェンダー・ジャスティス(ジェンダー正義)に重きが置かれた。これは、切捨てられていた女性たちの視点に立って、正義を実現すること。この法廷の意義は、「女性に対する犯罪、ことに性的犯罪を矮小化・免責し、周縁化し、不明瞭なものとするこれまでの歴史の傾向を正すために設置された」ということである。
 暴力の位相について、ヨハン・ガルトゥングの分析がある。直接的暴力には、個々に発動する物理的暴力、身体的暴力、性的暴力がある。構造的な暴力とは、暴力を容認し、不処罰化する社会システムがあることを指す。文化的暴力とは、暴力を自然化し、正当化するイデオロギーを指す。これらが女性たちへの暴力を正当化する背後に存在している。
 靖国の問題も重要である。靖国は、天皇制と結びついており、天皇のために亡くなった者を祀る場所。明治の戊辰戦争の折、官軍側は祀られているが、反対側(明治維新の功労者であっても)は祀られていない。戦争被害を受けた一般人も祀られていない。靖国は、国家によって、死者もしくは、戦争の為に死んだ兵士の母の嘆き悲しみを、名誉・喜びにすり変えていく宗教的装置と言える。最近の若い人(右翼的な人が多い)にもこのことを話すと分ってくれる。
 今までの歴史はHistory(His-story)であった。これからは(Her-story)として、歴史をジェンダーの視点で再構築することが大切。現在、民間レベルでこの取り組みが進んでいる。

■内藤和美さんからの提起

 私の専門はジェンダー研究であり、暴力の問題に取り組んできた。
 私がこのシンポジウムに差し出せるのは、当事者が存在する問題に対して、当事者以外が関わる時に、調査研究の渦中にあり続けた中で考えてきたことであろうと考えている。サバイバー(被害経験を持つ人たち)と、それ以外で問題に取り組もうとする人たちとの間でどういうことが起こってきたかを知ることは、戦争加害に取り組もうとする場合にも役立つと思われる。
 被害女性たちは、自助グループ活動・様々な場に参加してサバイバーの立場で発言・著述という形での発言などを90年代に始めた。暴力被害者が活字の形で主張したことは、二種類に分かれる。一つは、自分たちを被害者にしてしまった加害・その背後の構造に対する批判。もう一つは、当事者と活動を共にしようとする専門職・支援者に対する批判。後者の方が数は多かった。これを更に大きく分けると次の二点となる。@当事者と共にありながらと言いつつ、当事者と向き合うことを避けている A互いの違い、とくに社会的位置ゆえの権力関係とそれへの無自覚・軽視。
 「女性に対する暴力」研究が応えるべきことは、研究以前に、人対人としてしっかり関わり合い、状況が成熟しない限り研究は行われてはいけない。互いの違い、とくに権力関係について、研究者が無自覚であったり無視したりすれば、研究者から当事者へ、情報の収奪や意味の強制等のかたちで暴力が振るわれ得る。解釈という暴力を振るわずに、当事者から預かった情報に寄り添う。
 調査研究方法次元の課題として、フェミニストアクションリサーチが望ましいが、調査に参加する当事者の安全の最優先があくまで調査研究方法を規定するが、それだけではなく、研究者と当事者が計画立案からまとめと発表にいたるまで、調査研究の全プロセスを共にする「当事者参加型リサーチ」が為されうるのではないかと考える。
 「女性に対する暴力」に関する調査研究の最低要件4つは、@研究が始められていいだけの人と人の対峙。関係の成熟。 A当事者の力、自立性、主体性が十分に取り組みの中で信頼され尊重されること。 B当事者と研究者との間の構造化された力関係を問題かしていくこと。 C当事者自身が語れる状況を創る努力をすること。これらが大切である。

■中村正さんからの提起

 「unlearned」について今日は話したい。これは脱学習のことで、棄却するための学習。暴力の加害者といった、動機づけられていない者や、非自発的な者への脱学習アプローチが大切。加害者には、否認と防衛、中和化、感情鈍麻、正義論、閉じこもりといったことが生じる。よって、司法による舞台設定と脱学習援助が必要となる。アメリカでは、イラク戦争中、社会の持つ男性性の物語(意味づけ)に直面している。加害者プログラムがやりにくくなっている。そこに憎悪(ヘイト)というテーマが入ってくると、ますます難しくなる。(広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ号の元搭乗員たちのケース紹介)

 男性性をめぐる社会の物語として、「プロジェクトX」があるが、これは、トラウマ的な男性性構築につながっているのではないか。頑張るだけの男性に、かつては利益があった。会社に尽くして利益があった。しかし現在はない。ホモソーシャリティを誘発しないような社会構築が必要。
 ヘイトの時代である。人質、ジェンダーフリーへのバッシング、カルト、テロリスト、非行少年の親への責任追及、ひきこもり、ニート(意欲のない人間とされているが、私は機会がないだけだと思っている)、薬物依存者、薬物依存症者等への憎しみがある。社会病理を焦点にして、フォビアを映し出し、セキュリティと管理が優先される「非法領域の法化」が起こっている。ヘイトとフォビアの組み合わせが非常に強くなっている感じがある。和解と修復へ向かうべきだと考えている。unlearnの制度(治療的司法の制度化)を求めたい。harm reduction政策の本格的導入、更正ニーズに対応する援助の在り方(修復的司法など)、そして男性性研究が必要であろう。

(抄録:前村よう子)

・・・・・・ご参加いただいた方からの感想・・・・・

★ 「戦争というトラウマに対峙するためには三世代必要だった」という言葉は、私にとって、戦争問題を直視できなかった日本の戦後60年を改めて考えるための投げかけとなった。「戦争」は、様々な立場で語られる必要がある。なぜなら、それは社会というマクロレベルの問題でありつつも、その中にある地域や個人というマイクロレベルの問題と深く関わってくる問題でもあるからだ。しかし、これまでの戦争の語られ方は、社会という大きな流れに収束され、そこに内包されている個人が見えないものであった。今までの「戦争」の見方を問い直し、様々な個人の立場から戦争を捉えなおす必要があるように思った。そのために、シンポジストの方々は、「戦争」という出来事を様々な角度から見るきっかけを与えてくださったと思う。個人の問題、制度の問題、社会構造の問題、さらに、女性の視点、男性の視点など、「戦争」問題への切り口の多様さを認識した。過去に起こった問題を昔の事として無視せず、これからの世代が解決していく必要性を感じた。(卯瀧亜希)

★ ふとした縁で今回のシンポジウムの開催を知った。「戦争・ジェンダー・トラウマ」というそれぞれのテーマに興味は持っていたものの、それらに対して漠然としたままこの日まで来たというのが正直なところだった。3人のシンポジストの方々の話は、それまでの自分の中の漠然としたものにいくつかの形を与えて下さったように思う。
 「認識の暴力」が及ぼす多大なる影響、サバイバーとその支援者である専門家の人々等の間に生じる問題、「二次被害をいかに超えていくのか」、unlearnの思想や、無理をしてでも「男らしさ」を主張することで利益があった時代の崩壊、社会構造が及ぼす影響など、いろいろな角度からの話は大変興味深かった。
 「戦争とトラウマ」というテーマ。私は戦争を知らない世代であり、その悲惨さや人々が負った心の傷については、戦争体験の話や資料などを通して想像するしかない。私の世代ができることは何だろうか。3人のシンポジストの方々の話と「加害であれ被害であれ、トラウマがなくなるわけではなく、正しく苦しみ正しく悩むことが大切である」「私たちが証人として存在することがトラウマの人たちを支える」という村本所長の話を通して、このテーマに関して自分なりに考える機会をもらった。(谷本佳栄子)