ニュースレター No.44 / 2002年11月

自然と私とセラピー -「木」編-

長谷川七重

 私は人間も好きですが、木が大好きです。結婚してから関西に住むようになり、人間の友だちはすぐにはできなくて、川べりを一人で歩いていて、最初の友だちとして出会ったのが木で、「木友だち」と呼んでいます。魂が通い合う感じがする「木友だち」には滅多に出会えませんが、「木友だち」は、いつも会いたい時に、黙って私を受け入れてくれる親切な友だちです。節穴があったり、幹が複雑だったり、個性がはっきりでている、ある程度年齢を重ねた大きな木である「木友だち」が多いのは、やはり若木にくらべ存在感が圧倒的だからでしょうか。「木友だち」を描くと、バウムテスト(木を描く心理テスト)ではちょっと複雑な人格として判断されるかも、という感じの「木友だち」をその後少しずつ増やしています。
 私が木を好きなばかりでなく、尊敬するようになったのは阪神大震災の時でした。立派で堅固と思われた建物がたくさん倒壊している脇で、すっくとプラタナスは立っていました。木は多分、地上に見せている高さと同じくらいの長さの根をはっているにちがいありません。見かけ倒しが多い人間の製作物と違って。
 この間、私は言語による話し合いに限界があることを体験し、傷ついてさまよっていて、また、素敵な「木友だち」に出会いました。しかも、そばには古木と遊ぶコーナーがあり、「木のささくれでけがをすることも経験したり、古木が朽ちていく様子も感じてください」というようなメッセージがありました。木は何百年も成長し続け、また、何百年をかけて地球にもどっていきます。私は幹にふれ、小枝を折ってその音を聞き、木の葉とたわむれ、地球にもどる一瞬を共有させてもらいました。言語のない世界にしばらくいさせてもらって、どんなに癒されたことでしょう。
 言語表現は有効です。特にセラピストにとって、クライエントさんの言葉で気持ちを聴く力を高めていくことは、極めるということがありえないくらい永遠の課題です。また、聴くばかりでなく、上手に自分の気持ちを表現する自分自身の力を高めること、高めていく訓練(アサーショントレーニング)を提供していくことも重要です。私は自分自身がむしろ自己主張が苦手なので、毎年このトレーニングに取り組んでいます。
 しかし、言語を使わずに、魂を通わせることができるかどうかが最も重要なように思います。言語は人の心を理解するための手段になりますが、それにばかり頼ると魂の叫びを逆に感じ取りにくくする危険性があることを忘れないこと、まして癒す力はしれていることをセラピストは折にふれ、肝に銘じるべきでしょう。
 言葉を使わずに、心を癒し、心を通わせる体験を多いにしていこうと思っています。さいわいこのごろアロマセラピー、ダンスセラピーなどたくさんありますよね。でも、今のところ、もっとも心に残っているのは、バラになるワークショップです。しゃべれず、動けず、どんな不自由な生き方になるのだろうと想像しましたが、私は自分の好きな色のバラになり、風を感じ、大地に守られた幸せ感でいっぱいだったのです。