スタッフエッセイ 2014年1月

わたしのタイミング

おだゆうこ

ある日の保育園で、次女が大好きな友達と喧嘩をして帰ってきた。しかし、その夜布団の中で話してくれた心のひっかかりは、その子との喧嘩を引きずっているものではなかった。

「あのな、お友達がな、ごめんっていってくれはったんやけどな、『いいよ。私もごめん。』って仲直りできるきもちじゃなかってん。だから何もいわんかったら、そしたら、お友達が先生に言いに行って、いじわるやなぁ〜っていわれてん。でもな、いじわるやないもん。いじわるじゃなかったんやもん・・・(泣)」とまぁ、こんなにうまく話してくれたわけではないけれど・・・そういったかんじで、どうやらお友達と次女と先生とで話をして、「ごめんねって言われたら、いいよって許してあげて、ちゃんと仲直りできたらいいね。」みたいな話で終えたようだが、次女はどうもしっくりこなかったみたいだ。

次女にすれば、まだ怒っている気持ちなんかがあって、(おそらく一人遊びしながらプリプリ怒っていたか、どこかでいじけていたんだろうけれど)整理がついてないうちにお友達から謝られたから、なんて返していいか・・・ごめんって言うまで気持ちがおさまってもないし・・・とその場で黙っていたんだろうと思う。

わが子ながら、娘はなかなかしつこく(笑)、気持ちにおさまりがつくまでに時間を要する。こちらのタイミングで、もうそろそろいいだろうと声をかけるものならよりややこしくなるので、我が家では本人が落ち着いて折り合いを求めてくるまで待っていたり、逆に私がまだ腹の虫が収まらない間には次女がと謝ってきても、「まだママ怒ってるから」と大人げなく待ってもらうこともある。

しかし友達との間ではそうはいかない。友達にだってタイミングがあるし、返事がなければ無視されたと思うだろう。話を聴いた先生も「そりゃいけずやなぁ〜」と軽い気持ちで共感を示しただけであろうし、誰が悪いわけでもない。

「そうかぁ〜。いじわるなんかじゃなかったんやもんなぁ」と、娘の気持ちにも共感し、もやもやした気持ちを私が代弁することはできたが、一緒に経緯を聴いていた長女に「どう思う?」と聴いてみることにした。

すると長女は、「そりゃ先生もいじわるって決めつけたら悲しいと思うわ。まだ、おこってたんやもんな。そういう気持ちのときだってあるわ。」と、まぁ予想以上のしっかりした返事がかえってきて、私の出る幕はなく、次女は安心して眠りにつくことができた。

「ごめんね」って言えば、「ごめんね」って返して、喧嘩はおしまいとするルールにのっとれば、その方が人間関係はスムーズであるかもしれないが、人の気持ちってそんな風に判で押したように割り切れるものなだろうか。SSTが流行り出して、こういう時にはこうしよう、こう言えばこうなるという決まりきったやりとりを学ぶことが社会化であり、人とのコミュニケーションであるかのような風潮がある(次女の保育園の先生は決してそうではなく、翌日次女の気持ちをもう一度丁寧にきいてくれた)が、当然ながら人の気持ちは皆同じではないし、理解したり、納得したり、折り合ったりするテンポやタイミングは人それぞれ違う。

やりとりをしていく中で互いの気持ちの落ち着きどころがみえてきたり、意外な反応にびっくりしてどう受け止めようとか、どう返そうとか、自分の頭や心をフル回転させて考えていく試行錯誤が人とのコミュニケーションの醍醐味であり、既存のやりとりにおさまらないから面白く、イキイキしたエネルギーを生み出してくれるのではないだろうか。

子ども達の真っ直ぐでキラキラした気持ちを、決まりきったキャッチボールの中にこじんまりと収めてしまうようなコミニュケーションスキルやルールこそ見直す必要があるのではないだろうか・・・。

そういった訳で、自分の気持ちに真っ直ぐであり、「わたしのタイミング」にこだわりを持っている次女を頼もしく思うし、これからも友達との間で、自分の気持ちの落ち着きどころを見出していってくれることを楽しみにしている。

(2014年1月)