スタッフエッセイ 2013年8月

身近にある子育て支援

森葺a代

「お母さん、バギーはたたんでくださいね。ほかの人の迷惑になりますから」

これは今から20数年前、二人の子どもを連れ、久しぶりに奈良から大阪市内の実家に向かっていたとき、市バスの運転手さんから言われた言葉だ。

2人の子どもを連れ、自宅から徒歩で最寄り駅に向かい、電車を乗り継ぎ約1時間。そこから最後市バスに乗り換え(すぐに降りるので運転手席の横に立ち)ほっとして、「もうすぐやで」と娘にささやいたわたしに、バスの運転手さんがかけた言葉なのだ。

え!?と思った。バスは空いていたし、降車口をふさいでいたわけでもない。『赤ちゃんを抱いてバギーをたたんで持ち、揺れるバスの中で娘を支える!?そんなんでけへん・・・。怖いやん、危ないやん!』そう思ったわたしはためらうことなく、「すみません。すぐ降りますので、このままでもいいですか」と言ったことを覚えている。今も、その場面は映像となってわたしの脳裏に焼き付いている。「子連れは外へ出てくるな、ということやな」と、バスを降りたあとの憤りとともに。

つい先日、平日の午前9時過ぎ本社へ向かう近鉄電車の中。大きなバギーを座席前に置き、3歳くらいの女の子と、若いママが赤ちゃんを膝に乗せシルバーシートに座っていた。2人の子どもを連れての外出は大変だろうに、えらいな〜と思って見ていると、赤ちゃんが「き〜、き〜、きゃ〜」とご機嫌になり声をあげだした。おかあさんは、赤ちゃんの背中をとんとんしながらお姉ちゃんにも笑顔で目をやり、お姉ちゃんも赤ちゃんの相手をしながら上手にあやしている。ほほえましい光景だった。

しかし、「き〜、きゃ〜、き〜、き〜」の声を聞きながら、次第に周囲の空気を重く感じたわたしは、「ごきげんやね」と親子に声をかけた。が、電車のガタンゴトンという音にかき消されたのか、私のそばにいたお姉ちゃんはちょっと私に目をやったが、その向こうにいるお母さんにはその声は届かなかったようだ。よく見るとお母さんの顔がこわばっている。赤ちゃんは、まだしばらく声を上げていたが、いつの間にかすやすやと寝てしまった。ほっとしたお母さんの様子に、なんだかわたしまでほっとした。

降りるときには手助けが必要かなと思っていたので、立ち上がったのを見計らって「お手伝いしましょうか」と声をかけるとぱっと顔が輝いて、満面の笑みで「ありがとうございます!」と。駅に着き、私はお姉ちゃんの手を取り(緊張して手を引っ込めかけたが)、普段は気付かなかったが、意外とホームと電車の隙間が大きく開いていたので脇を支え、「ぴょん!」と言って降りた。彼女は、突然脇を抱えられちょっと驚いた表情をしたが、「ぴょん!」がうれしかったのか、そのあとは、わたしと手をつないだまま時々目を合わせ、にこにこしながら歩いていた。かわいい♪そして、二人でまた「ぴょん!」と言いながらエスカレーターに乗り、「ぴょん!」と言いながらエスカレーターを降りた。

お母さんに降車駅を聞いて、JR電車にも一緒に乗り(エレベーターがあるあたり)、まるで、おばあちゃんと娘親子のように3人並んで座った。「うちの娘もそうやったけど、眠たくなったらご機嫌になるタイプ?」と聞くと、「そうなんです!途中から、き〜、き〜奇声を上げ始めたから、あ〜来なかったらよかった・・・、もう途中で帰ろう・・・と思ってたんです。声をかけてもらってすごくうれしかったです。本当にたすかりました!それに乗り継ぎって大変なんですね。あんなにホームと電車の間が開いてるなんて。でも、これで(目的地まで)行けます!」と。明るくうれしそうな表情に、こちらまでうれしくなった。 

「子どもを連れて公共の乗り物で出かけるって大変やけど、これからもまた出かけてきてね。声をかけてくれる人はそういてへんかもしれへんけど、さっきも “大丈夫かな”って気にして見てくれてる人は何人かいてたよ(わたしは周囲の人の様子をみていた)。だから、手助けが必要なときは“手伝ってもらえますか”って声をかけてもいいよ」。というと「え!?」と意外そうな顔をした。

そうなのだ。赤ちゃんの泣き声はもちろん、笑い声にまで、お母さんたちは迷惑になっていると神経をとがらせて、ひやひやびくびくしているのだ。なにかを手伝ってもらえるとは思っていないし、迷惑をかけている(と思っている)のに、手伝ってくださいなどという勇気はない。しかしこんなとき、周囲の人が笑顔を向けるとか、ちょっとなにか話しかけるだけでいい。温かく見てくれているということが伝わり、ずいぶん気持ちは和らぐ。心が和むのだ。そして何より、孤独感から救われる。

この時私がかけた「ごきげんやね」の言葉は、大阪市内の某区民ホールで市民向けに講演していたとき、会場で発せられた言葉だ。一番後ろの席で講演を聞いていたお母さん。赤ちゃんが、ケラケラと声をあげ笑い出した。かわいらしい声なのに、次第に大きな声になったからか、会場がちょっと緊張に包まれた。するとすかさず、ひとりの初老の男性が「えらいご機嫌さんやな〜」と、なんともいえない穏やかな大阪弁でおっしゃったのだ。会場に温かな空気が流れ、つられるように「ほんまやな〜」との声と、やさしい笑い声で一気に会場が和んだ。温かでやさしい光に照らされ、そして包まれたような瞬間だった。「ごきげんさん」なつかしい大阪弁の響きとともに、強く印象に残った言葉となった。

考えてみれば子育て支援は、国や行政の施策の中にあるのではなく、それを必要とする親子の、そして手助けができる私たちの、もっと身近にあるもののはずだ。手助けを必要としている人がいれば声をかけてみる。手助けがほしいときにはちょっと勇気を出して頼んでみる。親子が気後れすることなく公共の乗り物で出かけ、出かけた先々で出会うささやかなふれあいが、大きな子育て支援になると思う。かつて、周囲の人に微笑みかけてもらい、声をかけてもらった経験者のひとりとして、受けたありがたさを、今こうして手渡しているのかもしれない。身近にある子育て支援がこうして受け継がれていくといいなと思う出来事だった。

(2013年8月)