スタッフエッセイ 2013年8月

私とフェミニズム

渡邉佳代

この時期、FLCスタッフは、11月発行予定の年報の仕上げに四苦八苦する。そして私の仕事部屋は、書籍とペーパーの山々で散乱する…。今年のテーマは「フェミニズム」。テーマに沿って、スタッフそれぞれがこの1年で研究・実践したことを執筆してまとめる。フェミニズムの定義は様々であるが、性差別的な搾取や抑圧をなくす思想・運動であり、女性のエンパワメントと社会変革を目指すものと私は捉えている。

そのフェミニズムの思想も多様で、男性支配から女性解放を目的とする「ラディカル・フェミニズム」や、女性を抑圧する要因である資本主義の解体を目指す「マルクス主義フェミニズム」、女性への抑圧と自然破壊は関連するという視点を持つ「エコロジカル・フェミニズム」、近代啓蒙思想への批判と脱却を目指す「ポストモダン・フェミニズム」、個人主義的・自由主義的傾向を持つ「リベラルフェミニズム」、その他にも「ポストコロニアル・フェミニズム」、「ポスト・フェミニズム」…などなどがある。

どれも女性の身近な問題や生活体験から生まれたものなのに、身近な女性たちと話し合ったことがあまりない。私が時折エッセイで触れる戦争のテーマと同様に、何やら小難しい政治的なことを言ってくる…と、遠慮がちに避けられるように感じるからなのだろうか。でも、フェミニズムに近づきたくても遠い理由は、それだけではないものが私にはあるように思う。私は1970年代後半に生まれ、物心ついた頃には社会では「女性も社会進出を!」が言われ、「男女平等」が公式見解であった。だが、私の「身近な社会」を見れば、「そうは言うものの、男と女が同じわけはないよね」が至るところで生きていた。

今回の年報で、私の問題意識から「女性とケア、対人援助組織の形成」をトピックにしたが、自分は臨床心理士であり、母は保育士、母の母は小学校の養護教諭であったことに執筆中に気づき、何とも対人援助職に縁がある因果な母娘連鎖だなぁとしみじみ思った。母たちをはじめ、身近な働く女性を幼い頃から見てきて、「働く女性は家庭も仕事も頑張らなくてはいけない」「女が社会で認められるには、男の何倍も頑張らないといけない」「母親が子どもを置いて働きに行くには、それなりの理由が必要だ」「働くことを選んだのだから、苦しくても歯を食いしばって耐えないといけない」ということを肌身に感じてきた。

一方で、父方の本家は古くから大家族で営む農家であり、いつも父方の祖母は「女が学をつけると角が立つ」「頭ばかり良くても、女には何にもならない」と言っていた。今思えば、母や祖母たちが、女性として生き抜くためのそれぞれの術であり、自分たちに言い聞かせてきた言葉だったのだろうと思う。しかし、父方・母方の双方から私が受け取ってきたメッセージは、女が自分らしく生きようと力を得たり、自分らしさを選ぼうとすれば、それなりの「痛み」を引き受けることだと感じてきた。男女の性別役割が根強く、息苦しさを感じていた私は都市部の私学高校に入り、大学からは地元を離れた。大学では「フェミニズム」という言葉を意識したことはないものの、当時の一般教養では「女性学」が一番面白く、専攻の英米文学でもケイト・ショパンやヴァージニア・ウルフ、シルヴィア・プラスなどを好んで読んでいたということは、何となくどこかで意識していたのかもしれない。

大学院では思春期の子どもをテーマに研究・実践し、思いもかけず声をかけていただいて、FLCのスタッフになった。女性だけの職場に入るということに、全く躊躇がなかったわけではなかったが、先輩スタッフら女性たちが互いに支え合い、学び合う姿を見て、こんな女性グループもあるんだ!と新鮮だった。そこで、少しずつ私の女性性や女性グループに対するイメージが変わり、自分自身も生きやすくなってきた。だが、一方でFLCに入っていなければ、もっと何も考えずに楽をしていたかもしれないと思うこともある。

私が入籍していないこと、子どもを生んでいないこと、籍を入れているわけでもないのに結婚指輪をしていること、両親の介護をせずに働き続けていること…などなど、今と同じ選択をしていただろうかと思う。「決まっていることだから」と社会や慣習のせいにして不満を抱きながらも、その流れに乗っていたかもしれない。自由に、自分らしく生きる選択肢が多様にあれば、その分選べるが、少数派の選択肢を選べば、その理由は何かと問われるように感じてきた。昨年のエッセイ「家族って?」に書いたが、マイノリティだからと言って、それに対する説明責任なんかないと今では思うようになったが、未だに入籍や出産などの話題に触れられそうになると、慌てて長ったらしい説明を始める自分にも気づく。

フェミニズムは社会を変えたのか。女は生きやすくなったのか。普段の臨床や身近な周囲の人たちとの関係では、私の中にはフェミニズム的な視点を持ち、自分らしくあることを大切にして生きていると感じる。一方で「あなたは女性として、どんな生き方を選ぶの?」と立ち位置を迫られているように感じて、フェミニズムには近づきたくてもどこか遠くに置いておきたいと思う自分もいる。女はどれだけ努力しなければならないのか、フェミニズムは社会に対して問うていくのではなかったのかと悪態づきたくなる自分もいれば、女性も社会を構成する一員なのだから、できることから始めていきたいと願う自分もいる。未だ、フェミニズムに対する思いは錯綜中だが、少なくとも今はこれらの葛藤する思いを手放さないまま、フェミニズムに目を向け続けていきたいと思っている。

(2013年8月)