スタッフエッセイ 2013年7月

もしも余命が三か月なら・・・

村本邦子

膵臓癌の疑いをかけられて、超音波検査をすることになった。検査までの3週間、少しはリサーチしてみたが、膵臓癌はもっとも予後の悪い癌らしい。自覚症状がまったくないので、見つかった時には、だいたい余命三ヶ月で、診断されて5年後に生きている人は5%以下とか。苦しまなくてもいいという点では悪くないが、三か月ではちょっと心準備が間に合わないな思ったので、「まぁ、大丈夫だろう」と思いながらも、念のため、軽く心準備だけはしておくことにした。

「もしも余命が三か月なら、残された人生を私はどう生きたいか?」、自分に問いかけてみて、出てきた答えに、自分で笑ってしまった。さて何でしょう?検査のことを伝えた人たちには(一応、これも念のため)謎かけをしてしまったが、だいたい返ってくる答えは、旅行か食べること。「そうだよね、それが私のイメージだよね」と納得もした。真面目に考えていなければ、自分だって、そう思ったかもしれない。でも、自分に問いかけてみると、まだまだ行きたいところはあるけれども行かねばならないところはない、そもそも、私は自分のしたいことをして日常を生きているのだということがわかった。

そして、三か月かけてやりたいことは、なんと!家の掃除だった。答えを聞いた人からは、「そんなに散らかっているの?」「死んだら、もう恥ずかしさも感じないんじゃないの?」などと言われてしまったが、それは自分のためではなく、遺された者のためなのだ。ちょうどこの頃、身近に不幸が続いていて、遺された者たちのプロセスを考えていたこともあったかもしれない。遺された者たちは、時々、私のことを思い出して、懐かしく語り合ってくれるに違いない(そもそも、死者を悪く言う人はいないものだ)。そのために、その場を心地よいものにしておくことがプレゼントのように思えたのだ。

膵臓、肝臓、腎臓、脾臓と全部見たが、結局、とくに異常はなく、さらに詳しく調べるとすればMRIと言われたが、そこまでやる必要はないと思うので、やめておいた。それで、あらためて、「死ぬ前にしておきたいことは、今やっておこう」と時間のすきまを見つけて、物を捨てることから始めている(なかなか進まない・・・)。そうこうしているうちに、つい最近のことだが、「老前整理」という言葉を見かけた。掃除したり大きなものを捨てたりできないために、ごみ屋敷になってしまったお年寄りのために、片づけの手伝いをするNPOもできているという。結果、軽トラックでごみを捨てることになるらしい。自分のことでもあるが、物のあふれた暮らしをしてきた時代の象徴のようでなんだか悲しい。そして、体が動く元気なうちに家の整理をしておかないと、人を家に入れることも億劫になって孤立し、悪循環なのだとあった。

たしかに。死ぬ前にしたいことは、遺された者のためではなく、自分のためなのだ。どうしてもお掃除は最後の選択になってしまうのだが、自分が心地よく生活できるように片づけをするとしよう。まずは捨てることから!

 

(2013年7月6日)