スタッフエッセイ 2013年7月

夏野菜

桑田道子

ありがたいことに、このエッセイを読んでくれている方が「今年の出来はどうですか?」と声をかけてくださった。我が家の小さな家庭菜園のことを気にかけてくれているなんて、感激だ。

6月末頃から、ミニトマト、ニラ、なす、きゅうり、ピーマンが収穫できている。もう少しすれば枝豆も食べられるだろう。昨年、一昨年の経験から、あまりにたくさん実が出来ても、自分達で食べても、身近な人に引き取ってもらっても、追いつかなくなってしまうこともよくわかった。「収穫」なんて習慣がなかったので、実のなる時期には同じ野菜ばかり毎日食べることになる、そんなあたりまえなことに気づいてなかったのだ。

今年はごくごく控えめにどれも小さな苗を2つずつ程度にしておいた。

ミニトマトは、一つの枝から鈴なりに弧を描いて6−10個の実がつき、一本の苗から数えられないほど実がなる。この時期は、日々、緑から薄オレンジ、赤に色づいていくので毎朝3個ずつくらい取って、お弁当に入れたり、そのまま食べたりしている。ただ、どうやら昨年よりも日照時間が少ないようで、色味が薄目だが、もう少し濃くなるのを待ってみると2、3日で実が破裂してしまうので、今年は濃いオレンジになったら取るようにしている。

きゅうりは直径5センチ、長さ20センチくらいのズッキーニのような大きなきゅうりが3日に1本ほどの割合でとれる。取り頃を探って、まだ小さく細いものなどいろいろなサイズを食べ比べた結果、このサイズが硬さも味も食べごろだった。これ以上大きくなると水っぽさを感じてしまう。ひょろっとした実が、たった1日で倍ほどに成長するのを見るのも楽しい。また、きゅうりの外側がこんなにイガイガしてるとは知らなかった。よく冷やしてそのまま食べたり、塩だけつけたり、ごま油としょうゆで浅漬けにしたり。

ナスビは2種類を一つずつ育ててみている。普通の長茄子と、「とろとろ炒め茄子」というぽっこりと丸い、賀茂茄子のような種。グレープフルーツ大のものができるが、これが、なんともいえぬふくらみが芸術的で、深みのある色、黒紫光りしている艶…と、見ているだけで癒される。茄子は1週間に4〜5本という取れ高。収穫したばかりのヘタのトゲトゲがあまりにも痛いので、大胆に上部は切り取って、料理に使う。

そしてピーマン。実は、昨年のピーマンは不作で、ししとうが少し大きくなったような貧弱な雰囲気だった。一昨年はパリッと膨らみのある元気なピーマンだったので、土の手入れ(乾燥)が悪かったのか?連作障害だろうか?なぜだろう?と不思議だったが、今年は順調に出来て、週に1度、10数個収穫できている。やっぱり何がどうなってうまくいったのか、いかないのか、よくわからない。

わからないといえば、エッセイに書いたこともあるが、数年前、シソを育ててみたところ、少し葉が大きくなったな、と思った途端に1日で穴だらけに虫に食べられ、レース状のシソになってしまった。唐辛子と焼酎で虫除けをしたり、いろいろ試してみたが、食べられる状態ではなかったので、直射日光のあたる家屋にいれるか、ビニルハウスじゃないとダメなのかなと思っていた。バジルもたくさん出来るので、食べる分も獲れるが、それ以上に虫に食べられる量も半端なく多かった。それが、今春、すごく安く苗が売られていたので、ダメもとで買ってシソとバジルを育ててみたところ、今年はほぼ虫に食べられずに、立派な葉が生い茂っている。

やっぱりわからない。いつのまにか、私自身、日常生活において良くも悪くも万能感のような、ある程度のことはシステムがわかり、それを自分がコントロールできるような感覚が養われている気がする。場合によっては、自分の思い通りに物事を進めたいと望み、そうならなければ受け入れ難く思っているようなところがある。けれども、本来は私が理解できていることなんてたかが知れているし、思い通りになんて傲慢もいいところだ。

自然相手を生業とされる方々には口幅ったいが、自然を相手にするということは、人智を超えた、人間のコントロールの及ばないものであることを自覚するのが第一歩なのかもしれない。そして、だからこそ自然の偉大さ、ありがたみ、そこに生かされていることの喜びを感じられるのだろう。「私が在って、自然がある」ではなくて、自然の一部に私も在り、柔軟に、しなやかに生きていきたいと思う。

 

(2013年7月)