スタッフエッセイ 2013年5月

子どもの育ちを保障する?!

おだゆうこ

子育てにおいて、「家庭円満」「夫婦仲がよい」ことが大切だとよく言われる。もちろん子ども達を取り巻く身近な環境が安定していることは大事なことだと思う。しかし、子どもの育ちを夫婦仲や家庭環境第一にしてしまうのは、ちょっとまった!の気持ちもある。身近なモデルとなる大人が自分も相手も大事にして、思いやりをもって生活していればそれは本当に嬉しいことだ。しかし、そうとばかりはいかないのが人生であり、そうした悩みや困り感によって、子どもたちの生きる力(自分なりの工夫や知恵)が引き出されたりするのもまた事実である。そして、どんな子どもにとっても、できるだけ小さな悩みや困り事を経験し、逞しく成長してほしいと思う。

それには、やはり子どもと家庭を取り巻く地域社会の活躍が必要不可欠だと思う。子育てを親と共に担ってくれる地域社会資源は本当に重要で大きな役割と影響力をもつ。身近なところでは、保育園、幼稚園などの学校、児童福祉施設(児童館、児童養護施設、母子生活支援施設etc…)、子どもの発達を継続的に見てくれる療育グループやサークル、習い事などがあるだろうが・・・そうした環境との相互作用によって親の子育てを客観視したり、おぎなったり、集団や社会の中で理不尽に感じたことや、しんどく感じたことを安心できる2者関係や小グループ(家庭や仲間)の中で整理したり、消化したりして、子どもは豊かに成長していくように思う。

昨今、待機児童の解消のための「幼保一体共通カリキュラム策定」の動きがあり、気にかかっている。先日もそうした取り組みに関するアンケート依頼があった。

保育園・幼稚園の共通となる「基本理念」や「育てたい子ども像」を定めるとともに、共通のカリュキラムを策定し、子どもたちが通う場は違っても、保幼時期の教育・保育にふさわしい環境を保障し、小学校へつなげていきたいという主旨であり、幼児期にどのような子どもに育ってほしいかというアンケートであった。子ども像の選択肢はどれも、私の目には、大人にとっての望ましい子ども像(自分のことは自分でできる、あいさつをする、友達と仲良く遊ぶ、社会のリールを守るetc…)であり、子どもの側からの視点がみあたらずなんとも言えない気持ちになった。

また、子どもたちが通う公立保育園にも変化の波が押し寄せている。豊かな自然に囲まれた保育園であるため、独自のカリキュラムや取り組みが多く、裸足やリズムなどの身体感覚を大事にした保育や散歩でとってきた食材を調理しておやつにすることも日常的に行われている。危険の伴う山や沢や湖へのお出かけや、野生の生き物との遭遇やふれあいも生活環境の一部である。そうした地域の独自性を活かした取り組みが、独自の個性をもった子どもを生かす保育につながるのではないだろうか。

共通カリキュラムと保幼共同研修・公開保育で同一条件で同質の子どもの育ちを保障するということだが、そもそも子ども自身も、生まれた環境も、育っていく環境も同じものは何一つとしてない。それぞれが縁あった環境の中で、自分の体と心と頭をめいいっぱいつかって、独自に工夫しながら楽しみや必要なことを見出したりすることで、子どもの生きる力の源となる子どもの育ちが保障されていくのではないだろうか・・・。カリキュラムにのっとった、どこで誰が行っても同じ内容や教育環境になることが、本当に望ましい事なのかと甚だ疑問である。子どもはモノではない。同じ条件で一定の品質の製品を効率よく生産するのとは訳が違うのだ。

また、公開保育による人材育成とは、誰のための何のための取組なのか・・・。子どもにとって公開保育(見られる保育)が頻繁にあること、保育者にとって与えられた保育内容(共通カリキュラム)と評価される保育になっていくことが、子ども観や望ましい子ども像、子どもの育ちにどのような影響があるのか・・・大事なことが当事者の間できちんと話しあいもされず、トップダウン的な方法(国や市の方針)でどんどん変わっていくようで危機感を覚えている。

最近の若者には自分と世界しかないらしいという話を耳にしたが、子どもの成長と生活を支える地域社会機能が失われている社会の流れから納得のいく話だと妙に腑に落ちた。本当の意味での子どもの育ちが保障されるように、子どもを中心とした家庭や地域社会が相互にしっかり機能していくために、保護者の立場から地域社会に働きかけることと、地域社会資源として子どもの育ちに関わる一員としても、目の前にいる子どもから学び、子どもにとって必要なことを組み立て発信していく力とそうした志を持つ人とつながっていきたいと思う。一人一人の子どもたちの独自性が保障され、豊かな育ちが実現される地域社会が守られて、創られていきますように・・・。

 

(2013年5月)