スタッフエッセイ 2013年5月

初夏の日差しに誘われて

窪田容子

気候の良い季節に京都に向かう電車は、行楽客でにぎわう。先日の通勤時、私の近くに座っていた行楽客らしき女性が、うとうとと居眠りを始めた。しばらくして、その手から京都の観光案内のパンフレットがするっと抜けて、床に落ちた。前に立っていた人が、それを拾って、眠りを妨げないように彼女のひざにそっと返す。窓越しに初夏の日差しを受けて、気持ち良さそうに居眠りを続けている彼女。それを、なんとなく見ている私。ほんのささいな日常の一コマ。

電車に揺られてぼーっとしながら、何気ない日々の暮らし中で、私はどれほどたくさんのことを、人からしてもらっているのだろうかと思う。してもらったことに気づいたこともたくさんある。でも、きっとそれ以上に、気づかなかったこともたくさんあるのだろう。

ふと思い出したことがある。もう10年ぐらい前のこと。当時、公民館や男女共同参画センター、公共的な組織などからの依頼で、講座や研修会で講師を務めることには慣れていたが、企業研修の講師はまだ経験が浅かった。ある大企業から、研修の講師依頼があった。同じ内容の研修を数回にわたって、いくつかの部署でして欲しいというものであった。研修内容については綿密に打ち合わせをして、しっかりと準備をし、期待に応える自信があった。しかし、当時の私は、どのようにプレゼンテーションするのかについては、あまり関心を払っていなかったし、今思えば未熟だったと思う。

研修が終わるたびに、担当の男性から、プレゼンテーションの仕方について注文がついた。指摘されたことは、なるほどその通りだと思うことばかりで、それを改善しては次の研修に臨んだ。その研修を統括していたのは女性の管理職の方だった。部下の男性がいろいろと私に指摘するのを、彼女は黙って聞いていたが、どこか目が温かかった。良いところをさらりと伝えてもくれた。

私よりずっと年上の彼女。大企業で、男社会で、その地位につくまでに、きっといろいろな苦労があったことだろう。そんな彼女が、いろいろ指摘されては修正して次の研修に臨む、未熟で一生懸命だった私を、どこかで応援してくれていたのではないか。当時はそんなことを思わなかったのだが、今になってそう思うのだ。実際のところ、彼女がどう思っていたのかは分からない。彼女の名前も顔も覚えてはいない。なのに、そんな彼女の温かさを、それをもらった当時よりも感じている今の私がいる。

つらつらと、つながって思い出されたことがある。妊婦だった頃、電車に乗ると、座っている人に席を譲ってもらうことが多かった。座っている人の前に立つのは申し訳なくて、元気なときは扉の近くに立っていたりしていた。ある日、空いていた席があったので座ろうとしたら、横からすっと座った人がいた。私の近くに立っていた派手なファッションの若い男の子が、座った人の肩をポンと叩いて「(妊婦が)おるやろ」と私を指さした。大丈夫ですと遠慮しかけて、でもその若い男の子の気持ちも大事にしたいしと一瞬とまどっている間に、座っていた人が慌てて席を立って行ってしまった。私も慌てて二人にお礼を言って、好意に甘えてその席に座らせてもらった。10数年前に、行きずりの人がしてくれた小さな優しさ。なのに、今でも思い出すと温かい。

ただ行きずりの、もしくはちょっとしたご縁の、もう会うこともないだろう人たちの間で交わされる、小さな優しさのやりとり。それが10年以上経っても気持ちのどこかに生きていて、ふとした瞬間に顔を出す。時にはその当時よりも、もっと温かさを増して。

そんな優しさを、人は日々やりとりしながら、暮らしている。私も、そんな優しさを手渡せる人でありたいし、手渡してくれる優しさを、これからも受け取りながら暮らしていくのだろう。

温かな初夏の日差しに誘われて、そんなことをとりとめなく思った朝だった。

 

(2013年5月)