スタッフエッセイ 2013年3月

東日本大震災を経て

おだゆうこ

早いもので、大震災から2年が経ちました。
この時期、我が家のあたりではちょうど寒の戻りと春の嵐が吹き荒れます。その度に先の地震は冬と春の割れ目に起きた大震災だったことを肌身を通して思い出します。比良山の麓に住むようになり、毎年変わらぬ自然のサイクルと変わり目のサインを自然は発信してくれていること、私たちはそのサイン(警報)を手がかりに、自然の脅威を体感しつつ安全に安心してくらせるように工夫してきたのだということを実感しています。しかし、我が家の付近も開拓が進み、山が切り開かれ、バイパス工事が進み今年開通したところです。猿や熊、鹿や兎、鳥たちの現れ方も目に見える形で大きく変化しました。一方で、田舎暮らしにおいての道路開通やご近所さんができることは、便利さ快適さもあり、私もその恩恵を受けて生活しているわけです。

大震災によってたくさんの命がなくなり、本当に大きなダメージを受け、その後も揺れつづけ、考えさせられていることは自然の脅威というより、人災による面だと思うのです。これからの人間社会の方向性(地球に生きているのは人間だけではないので)、生き方がどうなっていくのか、私はそれをどう見極めて、生きていくことができるのか・・・そのことにつきるようにおもう。

そのことがわかりやすく顕在化したのが、原発の行方であるように思います。
私自身、大震災で大きなダメージを受けない限り、原発稼働によって常に大きなリスクと自然界と交わることのない産業廃棄物を生み続けていること、そして負の遺産として次世代に残していくことを全く見ようとせず、考えようとせず、もっというと気付きもせず、その恩恵だけを得て便利で快適な暮らしを当たり前のようにしてきました。

このことをよく考えてみると実に恐ろしいことです。自分の命や、次世代以降の大きな生命の危機にかかわることを知らずに、気づかずに、考える必要も暇もなく暮らし、便利で快適で都合のいい面だけを受け取ってきたのですから。詳しい情報を得て考えるのは専門家や一部の人がすればいいことで、そのほかの人たちは考える必要はないということ、都合の良い面は見えやすく、わかりやすく、感じやすく、共有しやすく情報も体験も得られるが、物事の全体像はみえないようになっていて、その反面の負の部分は覆い隠され、感じにくく、抱えにくく、それもまた一部の人たちだけが背負っているという仕組みは、いったいどこからきているのだろうか。

これは決しての原発のことだけではなく、日頃の臨床現場で出会う子どもたちや大人たちにも成り立つ仕組みです。学校現場も社会も、普通とされる多数派の健康な子どもや大人を基準に規範や制度がつくられており、そこに適応できない人たちは不適応をおこしている状態として、医者や臨床心理士や発達相談員などの専門家と言われる人たちのもとへ行くように勧められ、薬や様々療法や技法、療育を通して適応する状態へと治療される(もしくは放置される)。不適応を起こしている人たちだけを見て、その抱え難い悩みや問題だけをみて、それをまた個人の問題として治療をしていく行為は、人は正の部分も負の部分も併せ持つ丸ごとの存在であるということや、その人が生きている環境や仕組み(学校や社会)の方を問うという視点や行為にかけている不自然さを感じる。

最近の子どもたちは、「一方向的な考え方や関わりしか出来ないとか、部分でしかとらえられないとか、全体像や見通しが持てない・・・」などの声を学校現場でもよく耳にしますが、それも当然である様に思う。全体や文脈をみずして部分で捉え、一方向的な関わり(支配—被支配や教える(治す)側—教えられる(治される)側など)が般化している環境の中で、そのように学び、育てられてきたのだから。また因果関係の中で問題を切り取って効率的に結果をだすことを求められ、そうした考え方を学んできたわたしたちにとって、この仕組みに気付き、抜け出す考え方と生き方をみにつけていくのは至難の業です。

一方でいつの時代もそうした社会の仕組みに惑わされずに生きている人もいる。そういうした人たちの生き方もまた興味深い。

原発問題にしても一時期の廃止の盛り上がりもつかの間、徐々に稼働して維持していく方向へと流れている。原発の発明は画期的で、私たちの暮らしを一面には豊かに、大変快適にしてくれたのも事実であるし、もはや電気に依存しない暮らしをできないのも事実である。負の部分や大変な部分を見続けて抱え続けることができず、忘れてしまうのも人間の性でもあるし、生き延びてきた力でもある。でもやっぱりあれだけの事が起きて、安穏と暮らしている私たちを揺さぶった事実をなかったことに、もとの生活には戻れないように思うのです。

臨床場面でも問題行動や心の悩みで日常生活が送れなくなることは、自分からの、もしくはどこからかの警報(サイン)であり、新たな生き方をみつけるチャンスととらえる。全くもとの適応スタイルに戻すことが治療ではないと私は考えています。この苦難を機に少しでも自分をより深く知ることが出来たり、自分だけが悪い、相手だけが悪いという考えから一歩抜け出てて、周りの人間関係や社会の在り方への気づきを得て、自分の心と頭で感じて考える人になってもらいたいし、より豊かにたくましく生きるきっかけになってほしいと願っています。そしてそれはそのまま私自身にもいえることです。

先の大震災の警報によって、揺さぶられ、気づかされてきたモノはまだしっかりと言語ができるところまで、自覚されてなく、生活や生き方の軸となってはいないものの、元の生活に戻るのではなく、どんな社会の仕組みの中で起きたことなのか自分なりに考え続け、理解したいし、今後の社会の方向性を見極めながら、臨床現場での実践家として生活者として流されずに生きていきたいと思います。

(2013年3月)