スタッフエッセイ 2013年3月

スポーツと暴力

窪田容子

スポーツ系の部活の顧問による暴力で、高校生が自殺するという痛ましい出来事があった。また、柔道界での暴力も明らかとなった。

子育てをする中で、子どもが関わる多くの場所(保育園、学校、学童保育、習い事)で、大人から子どもへの暴力に出会ってきた。ただ、そのことを問題として訴えれば、ほとんどの場合すぐに是正してもらえたので、本心はどうであれ、子どもへの暴力は公然とは正当化されないものであるという意識が広がっていることは感じた。組織の長にも伝えてきたが、クラス替えや異動で人が替わると、また子どもが暴力を振るわれてしまう。一部の例外を除いて、組織として暴力をなくそうという意識の低さもまた感じてきた。

子どもは、小学生のサッカーチームに所属していた。監督が子どもに暴力を振るったので連絡を取ると、暴力についてごまかされたが、ごまかしたことからも、暴力は公然とは認められないという一定の認識があることは感じた。

ただ、言葉の暴力については、どう対応して良いのか悩んだ。例えば、一生懸命がんばっているのに失敗をすれば、「ふざけるな!」「お前はあほか!」などという怒声が飛ぶ。きつい言葉の数々を投げつけられ、ミスを恐れて子どものプレーが萎縮していくようだった。そして、子ども同士で同じような言葉が飛び交うようになっていった。ミスをしたチームメートに、監督と同じように子ども達が「ふざけるな!」などと言うのだ。

子どもは、練習に行くのを嫌がるようになった。ひどい言葉も、聞き流し、感覚を麻痺させてやり過ごすことを身につける子もいるだろう。だが、子どもにとってそれが良いことだとは思えない。しかし、監督の子どもへの言葉がけに対して親が口をはさんだとしても、状況が良くなるとは思えなかった。チームを変えたいというので、別のチームを探すことにした。

新しいチームの監督には、前のチームを辞めた事情を伝え、暴力は振るわないことを確認し、見学もした上で入会した。できたばかりのチームで、子どもの人数も少なく和気藹々とした雰囲気で、監督が子ども好きなことが伝わってきた。強いチームではなく、試合で1点取ることがまず目標で、1点取れればごほうびにアイスを買ってもらったり、次には引き分けたらアイスを買ってもらったりしていて、微笑ましかった。子ども達も、勝敗にこだわらず、屈託なく笑顔で試合を楽しんでいる様子だった。

しかし、だんだんと子どもの人数が増え、レベルが上がり、監督が強いチーム、勝てるチームにしたいと言うようになった頃から、子どもにひどい言葉を投げかける場面を見るようになってきた。勝ち負けにこだわり始めると、こうなってしまうのか。試合の応援に行くと、相手チームの監督も、さらにひどい言葉を投げかけている。スポーツのチームは、どこでも似たようなものなのだろうかと暗い気持ちになった。

子どもが、ミニバスに興味を持ち通い始めた。コーチは地域のお父さんが中心となり、大学生も含めて10人ほどであった。身体的暴力はもちろんのこと、言葉の暴力も振るわない、叱るのは人に迷惑がかかることと、危険なことだけという共通認識で指導しているとのことだった。コーチ達は、暴力による指導を受けてきたが、自分達は暴力によらない指導をしたいと思っていると話してくれた。子どもが楽しめる場面を作ること、成功体験を積み重ねること、協調性と思いやりが成功に繋がることを実感することを大切にして練習を工夫しているとのことであった。

練習や試合を見に行っても、怒声が聞こえることが一切ない。聞こえてくるのは、コーチが子ども達をほめている言葉の数々である。ミスをしても、トライしたことをほめてもらえるから、上手な子もそうでない子も、みんながミスを恐れず楽しんで伸び伸びとプレーしている。子ども同士で、ミスを批判し合う姿も目にしない。そして、このチームは週に1時間半ほどの短い練習時間にもかかわらず、結構強い。

たまたま運動会があった週に、練習を見に行ったとき、コーチが子どもたちにこう声をかけていた。「個人走で1等賞だった人?はい拍手!」「2等賞だった人?はい拍手!」「じゃぁ、一生懸命頑張った人?はい拍手!」。これで、全員が拍手をもらって笑顔になった。スポーツが上手な子も、そうでない子も、お互いに認め合えることは素敵なことだと思う。

子どもは、ミニバスの練習日が待ち遠しくて仕方がなく、休みになると本当に残念そうにしている。家で自主練習をしたり、バスケットボールに関する本を読んだりして、努力する力が育ちつつある。

スポーツ界で、暴力によらない、人を育む手法が広がって欲しいと心から願う。

(2013年3月)