スタッフエッセイ 2012年10月

書くこと

渡邉佳代

前回のエッセイを書いてから、この間に何があったかと振り返ると、ただただ「大きな原稿を3つ上げました」という言葉が浮かんでくる。それ以外にも、たくさんの心に染み入る出来事があったはずだ。年報執筆のさなか、無茶して久しぶりにタイに行ったり、大切な友人を亡くしたり、1年ぶりに帰省して甥姪と遊んだり、パワフルに女性支援をされている方にインタビューをさせていただいたり、心躍る企画に仲間たちと取り組んだり、そして日々カウンセリングで出会う方々との大切な時間などなど、たくさんの感情が動き、今の私がいる。ただ、まだ自分の中で消化している途中なのだろう。

書くことは、書くこと、描くことを含めて、昔から好きな作業だった。自分の感じたこと、考えていること、心に留まったこと、消化されていない気持ちなどを綴ることで、自分の中にそれらを落とし、整理し、自分の血肉としていく感じがある。あとで振り返って見直して、「自分はあの時、こんなことを考えていたんだ」と気づいたり、当時は気づかなかったことへの発見もある。書いたもの・描いたものは、どれも自分が思いを込めて綴ったものであり、どれも愛おしく感じるものである。

ただ、社会人になってから、描く作業は役目を終えたようにパタリとなくなってしまった。学生時代までは、スケッチブックと色鉛筆さえあれば、湧き上がるように色々なイメージが浮かんでそれを形にすることができた。自分の中に深く落ち、自分の中の様々なイメージと対話をしてつなぎ合わせるような感じである。今はスケッチブックを開く時間もなく、開いたとしても心の赴くままにペンを動かすことができないように思う。それは少し寂しいことでもあるが、今は現実生活に精一杯生きることに懸命なのだろう。あるいは、以前は自分のイメージが感情になるまでに描く作業を要していたのが、自分で自分の感情に気づき、それを扱ってやることが上手になったのかもしれない。

社会人になってから、というのは、このFLCに入ってからということになるが、この場ではたくさんの書く(文章化する)機会を与えてもらえる。3ヶ月に1度のエッセイ、3ヶ月に1度のNPOニュースレター、年に1〜2回のFLCニュースレターの特集、年報などである。これまで、特に文章化するということに強い苦痛を感じたことはない。自分が普段考えていること、頑張ってきた活動や取り組みを振り返り、それを形にしていくのは心地よく、自分自身がエンパワーされるように感じていた。年報の執筆には、それでも毎年苦労するが、「書けない!」ということはなかった。

それが、この1〜2年ほど、書くということに苦戦している。まず、書く時間を確保できない。仕事が増え、責任を担う立場になり、毎日「これをどうするか」という、これからのことや周りのこと、周りの人のことを考えている。改めて、私にとって書くという作業は、深く自分の中にもぐり込み、自分との対話の場なのだと思う。周りが気になるので、時間を確保できたとしても、自分に集中できないのだ。人のため—自分のために要する時間やエネルギーがアンバランスになっているのかもしれない。

そうでなくとも、この夏に仕上げた大きな原稿3つのうち2つは、どれもしっかりと自分に向き合う時間とエネルギーを要するものだった。1つ目は、以前からこのエッセイでもたびたび触れている祖父の戦争体験をテーマにした年報である。祖父が戦場でなした行為による“加害者側のトラウマ”が家族や世代間に与える影響と、それを子孫がどう捉え、向き合っていくのかという問題意識からスタートしている。これは、自分の家族とも向き合うもので、とても苦しい作業だった。FLCの皆からあたたかいコメントをもらい、推敲していく中で、自分が戦争トラウマと向き合ってきたことの意味が見えてきた。まだ、自分の中でしか消化されていないものだが、これを自分がしている普段の臨床にどう活かすことができるかは、今後の課題である。

2つ目は、NPO活動で私が力を入れているDV子どもプロジェクト(子プロ)のチーム作りに関するものである。FLCで私が学んだ大きなことの1つに、スタッフ同士の温かい関係性があると、より質の良い仕事ができるということがある。私が温かくサポートされ、臨床の力を伸ばしてもらったように、そうした関係性を子プロに築いていくためのシステムをどう作れるか、自分自身がリーダーとして、後輩に自分の力をより良く使えているかの見直しの作業になった。

私自身、援助職につき、専門家と呼ばれて力を持たされた時の戸惑いと、一市民のボランティアとしてDV被害にあった親子と関わり合うという立ち位置に混乱した時期が長くあった。親子たちとの出会いを通して、人としてどうあるかが大切だということに気づいてきた。これを今、ボランティアの後輩たちにどう受け渡していくかを試行錯誤している。私が心理士とボランティアの2足の草鞋で得てきたものを、次のNPO年次大会での後輩たちとの鼎談でより明確になったら良いと思う。

こうして書くという作業は、私をエンパワーし、次の課題が見えてくるものである。夏になる前、私は自分がしていることを「雪かき」のようだと表現していた。大雪の中を黙々と雪かきをして道をつけていく。時々かまくらを作りたい、雪だるまを作りたいと思うけど、毎日雪が降り積もるんだと。でも、こうして毎日頑張っていることを時々は形にすることで、より良い仕事・生活のあり方を見直す機会になればと思う。

(2012年10月)