スタッフエッセイ 2012年9月

人生の正午Z−ゆるやかな変化の中で

窪田容子

「人生の正午」というタイトルでエッセイを書き始めたのは2009年の秋。気がつけば、3年がたった。私の心の中にある人生の時計の針は、正午から動いたのだろうか。

ここ数年友達と会うと、よく生き方について語り合ってきたように思う。年に1、2回のペースで会っている友達が、「ようちゃん、前は・・・・って言ってたやんな」と言ってくれることがある。そう言えばそうだったと思い出す。私自身は、ゆるやかな変化の連続の中にいるので忘れているのだが、友達はその時点で切り取った私の考えを覚えていてくれる。そう言われて、その時の自分とは違う自分がいることに気づく。過去に自分が書いたエッセイについても同様で、読み返してみるとその時とは変化した自分に気づく。

いろいろな仕事をし、子どもを育て、忙しい生活をしてきた。日々できることを精一杯やってきたように思う。お陰様で、それなりに満足できる今がある。忙しいということは、退屈で仕方ないことよりも、ありがたいことではないかと思う。

一方で、もっとのんびり、もっと日々を丁寧に暮らしたいという思いはいつもあった。家を整え、花や木を育て、お菓子やケーキを焼き・・・。だけど、穏やかなだけの暮らしなら、数ヶ月もすれば私は退屈してしまいそうだなと思う。人それぞれの性格や興味関心にあった、様々な暮らし方がある。そしてそれはライフサイクルで変化する。

これまでの私は、仕事においてもプライベートにおいても、新しいことを取り入れ、成長していくこと、チャレンジすること、生み出していくことが好きだった。携わっている仕事は、常に新しい情報を取り入れ、文献を買って学び、研修会に参加し、臨床の技術を磨き、成長していくことが求められる。これは、私にとってありがたいことだ。臨床の仕事について18年、いろいろなことを本当によく学んできたと思うし、これからも学び続け、成長し続けたいと思う。プライベートにおいても、できないことにチャレンジしたり、行ったことがないところに行ったりするのは好きだ。

ただ、あまりにも忙しい日々を送っていると、新たなチャレンジをするエネルギーが少なくなり、のんびりと穏やかに過ごす生活への願望が強まる。多忙な日々を送ってきて、50歳を迎えたあるミュージシャンが言っていた。「忙しすぎた日々の記憶が薄い。今は、毎日を実感しながら生きたい」と。共感した。

いろいろなことを感じ、考えながら、自分がこの先をどんな風に暮らしていきたいのかが、少し見えてきた。日々の生活は、もう少し丁寧に、穏やかに、味わって暮らしたい。仕事もこれまで通り、学んだことを仕事に活かしながら、一つ一つ丁寧にしていきたい。そうした暮らしのベースを大事にした上で、何か一つ二つのことに、目をキラキラさせて、わくわくしながら、長いスパンで追いかけ情熱を注ぎたい。やりたいことがたくさんある中で、一つ二つのことを何にするかは、もう少し思案する予定だ。何かに向けて情熱を注ぎ始めたとき、私の心の中の人生の時計は、また確かに時を刻み始めるような気がしている。

今の時点ではそう思っている。少し先の自分がこのエッセイを読み返したときには、あのときこんなことを考えていたんだなぁ、今は違うけれどと思うのかもしれないが、それでいい。これからも時々立ち止まっては、これでいいのかと考えている私なのだろうけれど、それも私らしくていいかなと思う。

(2012年9月)