スタッフエッセイ 2012年5月

幼少期の足跡をたどって・・・

おだゆうこ

今年のGWは、夫の両親と子どもたちと共に私の実家、九州に帰省した。初めは、「九州新幹線さくら・みずほに乗って鹿児島にいってみようか!」なんて盛り上がっていたのだが、いろいろ考えているうちに、今回は「幼少期に親しんだ故郷の風景」を巡ることに落ち着いた。観光というよりは、私が子ども時代に家族とよく出かけていた場所や日常にある風景を親子3世代でたどるのも、夫の両親にも私がどんな環境で育ったのかを体感してもらうにも、いい機会ではないかと思ったのだ。

一日目は、実家の窓からも、市内のどこからでも見える「皿倉さん(山)・帆柱さん(山)」のロープウエイへ、そして小田家のお墓からも見える「若戸大橋」、重要文化財ともなっている「西日本工業倶楽部」での食事というコース。

「皿倉さん・帆柱さん」はただの「山」というよりは、いつもどこにいても、「あっ、在るな(居るな)」と確認したくなるような、見守られているような存在だ。実は小学生くらいになって初めて、「皿倉さん」のさんは「山」のことだと知った・・・のは私くらいかもしれないが・・・それくらいの親しみ感と、命がやどる大いなる存在として市民に一目おかれている山だ。冬になると、雪がほとんど積もらない九州において、年に1度あるかないか、頭を白く染め、唯一そり遊びが楽しめる山だった。皿倉さんに雪が積もった日は、父親が頭を抱えながら(父は寒がりだったので本当はこたつで丸くなっていたいのだ)、「いかなならんなぁ〜」と、仕事を休んで皿倉さんに連れて行ってくれていたことをよく覚えている。「若戸大橋」は真っ赤な力強い橋で、父も母もなぜか若戸大橋が大好きだった。北九州の市長さんは橋を架けるのが好きなことで有名であったが、若戸大橋はやはり別格な風格と歴史があり、この橋にも魂がやどっている感じがするのは、地元民ならではの感覚なのだろうか?!

二日目は、門司港レトロへ。三井クラブのバナナ入りハヤシライスを初めて食べた時の感動は忘れられない!「なんでハヤシライスにバナナを入れてしまったんだろう・・・?!」幼いころは斬新な発想に心をときめかせていたが、バナナのたたき売りの発祥の地であるからこその看板メニューであることは、大人になればすんなりと合点がいくものである。

ツツジがおかしいくらいに咲いている「めかり公園」では、どれだけ花の蜜を吸ったって怒られない場所であったし、子どもであっても、リッチに大皿の河豚のたたきを箸でズズズイッと食べることもそう特別なことではなかった(関西では考えられないと思うが)「めかり山荘」も懐かしい場所である(残念ながら年度末で閉館になったそうだ)。

三日目は、平尾台、千仏鍾乳洞へ

草原の中の白い石灰岩が羊の群れのようにみえることで有名な羊群原。山口県の秋吉台のミニバーションといえばわかりやすいのかも知れないが、私にとっては、秋吉台に勝るとも劣らない平尾台だ。どちらも日本有数のカルスト台地で国指定の特別天然記念物であることは、今回初めて知ったことだが(笑)小さいころからお弁当をもって、平尾台の草原へよく遊びに行ったものだった。車から見える、白い石たちの群れを当時は、疑うことなく羊さんたちだと思っていた。

千仏鍾乳洞もまた、結構気合のいる洞窟探検で、当時は整備されてなかったため、薄暗い足元のわるい洞窟内には、こうもりも飛び回っていたし、先へ進むほど洞窟の地下を流れている川の水があふれだし、雨の日なんかは最終エリアは太もも付近にまで及ぶ。この水はまた、年中通して冷たくて、冷たくて、『早くおうちにかえりたい・・・』と、楽しむどころではなく泣きそうになっていた私だが、それに比べて、わが子らはなんともたくましく、三歳の次女もなんだかんだと、抱っこすることなく歩きとおし、記念撮影ごとにポーズを決める余裕を見せた。五歳の長女にいたっては、すっかり探検気分を楽しんで「ヤッホー」と叫んだり、「ここで写真撮って〜保育園でお話しするから」と帰宅した後のことまで考える余裕ぶりだった。自然豊かな田舎の保育園で毎日鍛えられているだけあるなぁと、当時の私よりもたくましく、好奇心旺盛に、そして子どもらしいお調子者に成長している姿をうれしく思った。連休中は生憎のお天気で、前日の雨と当日の濃霧とで、洞窟内の雨水も水かさも、申し分なくレベルUPしており、最終エリアまでいくことはできなかったが、懐かしく思い出深い場所へ子どもたちと行けたことは、なんだかとてもうれしかった。もう少し大きくなったら、今度は最終エリアまで一緒にチャレンジしてみたいな。

そして、最終日は小倉城へ。小さなお城であるが、周りの建物が近代化していく中でも変わらない出で立ち、石垣とお濠をみると、入学式の頃、桜のころ、当時の記憶へすぐにタイムスリップできる。日常の中にありながらも時間軸をもたない非日常的な空間が私は昔から大好きだったこと、京都の大学へ進学したルーツの一つはここにあるのかもしれないことにふと気づく。

こうして、幼少期の足跡をたどってみると、今の我が家から見える風景と実家の風景が類似していること驚いた。皿倉さん・帆柱さんは比良山系に。若戸大橋は琵琶湖大橋に。小倉城は彦根城に・・・今回は巡れなかったが私にとって大事な場所である芦屋の海は、琵琶湖へと。

私の中にある実家の風景と子どもたちの実家となる今の風景が、どんな風に子どもたちの中に響きあい、そしてどんな風にこれからの子どもたちに影響を与えるのかわからないけれど、なんだか楽しみだ。そうした風景の中で、いつか私の命が尽きたとしても、また出会えることがあるかもしれないし、時に励ましたり、癒したりすることができるのかもしれない。時を超えて。

(2012年5月)