スタッフエッセイ 2012年5月

悲しみと勇気を

渡邉佳代

このゴールデンウィークに、立命館大学で行われたアルマンド・ボルカス氏のHealing the Wounds of History(「歴史の傷を癒す」、以下HWHと略記)に参加した。4月28日の国際シンポジウム、4月30日〜5月2日までの集中講義、そして5月4日〜5日までのワークショップという、濃密な1週間だった。

HWHはホロコースト・サバイバーの2世であるアルマンドが開発し、サイコドラマや表現アーツセラピー、ドラマセラピーなどの手法を用いて、祖父母・両親世代の戦争体験が数世代後にどのような心理的・感情的、そしてスピリチュアルな影響を与えているかを探索するセラピー的プロセスを統合するものである。戦争体験が様々な形で次の世代に継承されることで、人としてのあり方やアイデンティティに与えてきた影響を知ること、異なる文化や歴史を持つ人々が互いの体験を分かち合い、理解し合うことを目的としている。

私は2008年の立命館大学でのワークショップ、2009年と2011年の南京師範大学でのワークショップに参加してきたが、グループは新しいメンバーを加えつつ、中核メンバーはほぼ同じであるため、グループや私自身のテーマは毎回変化しながらプロセスは少しずつ進んでいる。これまでのプロセスで、私の中で「加害者アイデンティティ」が強くなり、それをこれからどう扱うかが今回のテーマだった。

戦争の記憶のオブジェを持ち寄って、小グループでシェアをするというワークでのこと。グループ・メンバーは、中国からの留学生と先生、在日韓国人、そして私の4人で、日本人は私1人だった。私以外のメンバーは、おばあちゃんの形見や家族の写真をそれぞれが持ってきていた。以前のエッセイでも紹介したが、私の祖父は日中戦争と第二次世界大戦で2回中国に行っている。メンバーに私の祖父の兵籍簿をシェアした時、祖父がたどった道筋に、メンバー3人の出身地や縁の地があった。中国東北地方、上海、済州島である。

私は祖母や母、父から、祖父が中国の人の首を切った話や、ある村で隠れている中国の人をたくさん見つけた話、中国の大きな家から掛け軸を持って帰ってきたという話を断片的に聞いてきた。祖父が「戦争で、日本は中国の人たちにひどいことをしたんだ」と言った言葉が、今でも強く印象に残っている。

もし、目の前のメンバーの両親・祖父母・曽祖父世代の誰かに、祖父が会っていたとしたら、「ひどいこと」をしていたとしたら、孫である私はいったいどうしたらいいのだろうか。確かに「戦争だったんだから、戦場に行った人は皆そうだったのよ」「日本だって、アメリカに原爆を落とされたじゃない」「戦争が人をそうさせたのよ」とか言う人は私の周りにもいる。でも、自分が仲良くなった目の前にいる人たちの祖先を私の祖先が傷つけたとしたら、もし自分が逆の立場だったら、どうだろうか。

メンバーは複雑な思いを抱えていただろうに、私を必死に慰め、支えようとしてくれた。その申し訳なさと戸惑いを感じる一方で、次第に私の中で、前回のHWHでもどう扱っていいか分からない感情が湧いてきた。「私だってつらいよ!こんなに重いものをどうしていいか分からないよ!」という痛み比べである。中国や韓国のメンバーの温かさに触れて、加害者側の痛みの主張はすべきではないという思いの間で引き裂かれるようだった。

アルマンドや他のメンバーたちが私の思いに気づき、私のサイコドラマをしてみたらどうかと提案してくれた。日本人メンバーからは、「1人で抱えないで。佳代ちゃんが感じる思いは、佳代ちゃんを通して日本人メンバーの集合的な痛みが出ているのだから」と支えてもらい、中国人メンバーは「しっかり佳代ちゃんのドラマを見たい」と温かく包み込んでくれ、日本人・中国人メンバーが私の痛みを分かち持ってくれた。

サイコドラマは心理療法の1つで、ある場面を自分やメンバーが演じることで個人的な葛藤を普遍的なものにする場を提供する。ドラマの中で私は祖父の語りから受け取ったものを、黒いスカーフで象徴される「罪悪感」、赤いスカーフで象徴される「人としての恥」と名付けた。赤いスカーフにぐるぐるに包まれた黒いスカーフの塊を手に、私とダブルの私(私の別の自我の役割)は戸惑い、一緒に受け持ってくれない母や父に怒ったり、恐れたりしながら、それでもそのスカーフの塊を離さなかった。

スカーフの塊を手にして撫でたり、塊をほどいたりしているうちに、そのスカーフは私が選んで引き受けたことに気づいた。その時、不思議なことに黒い「罪悪感」は「深い悲しみ」に、赤い「人としての恥」は「勇気」に変わっていくように感じた。中国のメンバーを前に「(私のプロセスを)見ていてくれて、ありがとう」と、自分が手にしているものを見せ、大好きだった祖父にもお別れを伝えることができた。

アルマンドの温かいファシリテートとHWHメンバーがそうした場を守ってくれたことで、私の抱える痛みは変容した。仲間たちから大きな贈り物をいただいたように思う。ドラマで演じられたことは深く心に刻まれ、実生活にも変化の可能性が出てくるという。私がドラマで得た「深い悲しみ」と「勇気」は、現実の私の世界でどのようなアクションを起こすのか、これからもしっかりと見続けていきたい。

(2012年5月)