スタッフエッセイ 2012年4月

楽しむ才能、楽しい記憶。

窪田容子

この春、息子が高校に入学した。

赤ちゃんの頃から機嫌の良いことが多い子だった。お昼寝から目覚めて目が合うと、いつもあふれるような笑顔を向けてくれた。寝るのは嫌いだが、朝は早くから起き出してくる。楽しい予定がある日の朝は、一層起きるのが早かった。そんな姿に、起きている時間がよほど楽しいのだろうなと思っていた。

小学校の頃は、学校から帰宅すると、ランドセルを玄関に置き、あちこちに服を脱ぎ散らかし、おやつを食べる時間も惜しんで遊びに行き、暗くなるまで帰っては来なかった。休日も、「お友達の家の迷惑なるから、誘うのは9時以降にしてね」と私が言うので、9時になるのを待ちかねて友達と遊びにでかけ、お昼に少し帰ってきて昼食をとると、また暗くなるまで遊んでいる。夏休みなどの長期の休みも家にいたためしはない。同級生や近所の友達が誘いに来ても、出足の早い息子は、たいていもう家にはいない。集団登校の待ち合わせ場所の前を通ったら、皆が揃うまでの少しの時間にも、おにごっこをしていたり・・・。

学童保育では、「○○くんが来ると、全体遊びがおもしろくなるわぁ」とよく指導員さんが言ってくれた。ドッヂボールやキックベース、けんかゴマなどでは気合いが入り、それがみんなの気合いにつながり、遊びが引き締まっておもしろくなるのだそうだ。

高学年の頃、ニュースで、「小学生の子どもたちの勉強時間が増えている」との報道をしていた。そのニュースを私の隣で見ていた息子が「勉強よりもっと大事なことがあるやろ」とテレビに向かって言うので、「勉強より大事なことって何なん?」と聞いてみると「遊びとか」。ニュースの中で、小学生がインタビューに答えて、「中学受験で合格したいからがんばっています」と言っているのを聞いて、息子が「中学よりもっと先を見な」と言い、「なぁ、この子らのお母さんって、もっと遊びやー、とか言わへんのかなぁ?」と私に聞いた。寸暇を惜しんで遊んでいるものだから、「もっと遊び」などと私が言うことはないのだけど、どこかで私が遊ぶことに価値があると思っていることが、息子に伝わっていたのだろう。

学校行事にはできるだけ参加してきたが、私が見ていて楽しいのは、授業参観なら授業中より休み時間の姿、運動会なら競技中や演技中も楽しいが、その合間に楽しんでいる姿。中学校最後の体育大会で、私は一眼レフのカメラを抱え、望遠レンズ越しに時折息子の姿を探した。そこに映るのは、いつも友達の輪の中で、はしゃぎ、ふざけ、笑っている息子の姿。その姿を見ていると、私の中にも笑いがこみあげ、幸せな気持ちになる。一生分の親孝行をしてもらったような、そんな気さえした。

卒業式の日に、友達のお母さんから、「公立受験の前に、私立専願の子らとよう遊んでやったな。心配しててんで。」と言われて、知らぬは親ばかりとびっくりしたこともあった。受験が終わってからは、毎日毎日、いろいろな友達と出かけたり、友達の家に集まっては泊ったり・・・。入学式までの一ヶ月余りの間、遊びに行かなかったのは高校のオリエンテーションの一日だけだった。卒業文集の息子の作文は、「本当にこの3年間は楽しいことがありました」で始まり、「・・・特に、この一年はハプニングがたくさんあり、ずっと笑っていました・・・」と続き、「・・・本当に楽しい3年間でした。」と締めくくられていた。

子どものレジリエンス(困難を乗り越える力)にはいろいろな要素がある。打ち込めるものがあること、忍耐力があること、自尊心が高いこと、好奇心が強いこと、コミュニケーション能力が高いこと、未来指向性があること、問題解決能力が高いこと、感情が安定していること、ユーモアのセンスがあることなど、様々な要素がレジリエンスとなる。記憶もまたレジリエンスの一端を担う。精一杯努力したこと、充実感や達成感を得たこと、人と協力し合ったこと、誰かに助けられたこと、優しくしてもらったこと、認められたこと、楽しかったことなどは、その先の人生で困難に出会った時に、それを乗り越える助けとなる。悔しかったことや悲しかったこと、傷ついたこと、悩んだことも、サポートを得るなどして乗り越えることができれば、レジリエンスとなっていく。

息子にとっては、楽しむ才能と心から楽しかったと思える中学時代を過ごしたことが、この先の人生で困難にぶつかったときに、それを乗り越える力にきっとなってくれるだろう。そんな中学時代を過ごすことができたのは、関わってくれたいろいろな人たちのお陰でもあり、良い出会いに恵まれたことがありがたい。

さて、息子はあこがれの自由な校風の高校に通っている。高校生活は、楽しいことばかりではないかもしれない。つまずいたり、壁にぶつかったり、傷ついたり、落ち込んだり、悩んだり、悔しい思いをしたり、人に支えられて立ち直ったりすることがあるだろう。いろいろな経験を糧にして、それをまたレジリエンスとして蓄えることができるような高校生活を過ごして欲しいと思う。

(2012年4月)