スタッフエッセイ 2012年3月

花のある暮らし

桑田道子

昼間はあたたかく過ごせる日も増え、庭のさくらんぼも白っぽい薄ピンクの花を咲かせ始めた。本当は、季節ごとに咲き揃うように花々を植え、できればバラにも挑戦したいと庭づくりの本を眺めたりはするものの、我が家の庭は、食べられるもんばっかりやなーと笑われる野菜とハーブといくつか果実のみ。花を育て、愛でるようなところまでは到底いかない。ハーブは時折、料理や飲み物に使うけれど、基本ほったらかしなので、立派に伸び放題。垣根のような塊が出来上がり、ローズマリーに花が咲いたり、紫に咲いた後ススキのようになったラベンダーの山がある(ほど、ほったらかし)。

育てる余裕はないけれど、せめて、家の中で花を飾って楽しめるような生活をしたいといつも思っている。子どもの頃住んでいたのはベランダのみのマンションで、かつアロエすら枯らす母親だったので、私達の生活に花を育てる選択肢はなかったが、両親の仕事柄、花束をいただくことが多く、よく大きな花瓶にいけられて、花々が飾られていた。

「いつも」と書いたが…、実のところ、あれこれ雑事に追われてろくろく掃除も出来ず、バタバタ過ごしているときには、花を飾ることの優先順位はすっかり下がってしまう。そもそも飾る場所がない。これが、仕事帰りに買い物帰りに花屋さんに目がいき、お花を買って帰ろう!という気持ちになれるときには、丁寧に生活が出来ている証拠なので、なんだか心がさらに穏やか〜になる気がする。

家を整えて、そのときの気分で選んできた花々を自分の好きなように、まとめてドサッと、あるいは短く切ってあちこちに飾ったり、1本だけをスマートに飾ったり。学生時代に少しだけアレンジを習ったことがあるが、あまり深いことは考えずに、気持ちのままに花瓶にいけてみる。選ぶ色も種類も大きさも、やはり、そのときの気持ちが表れていておもしろい。優しい色味や真っ白のトルコキキョウ、こぶりのものを求めたり、大きなカップの芍薬を枝葉を多めに入れてもらって買ってみたり。この頃は近所の普通の花屋さんでも、くすんだ色や複雑な色が(ピンクも、かわいらしいスイトピーのピンクから、フーシャピンクやカメリアピンク、オレンジとの中間色…と)増えたような気がするので選ぶのも楽しい。

花瓶も、吹きガラスのきれいなものや、切子の美しいもの、レトロなダイヤガラス、あたたかみのある陶磁器、小さなアンティークの香水瓶、四角いもの、丸いもの…と気にいったものを少しずつ集めるようになった。飲み物や調味料の瓶のなかには、かわった形や首部分が美しいものもあるので、きれいに洗って使ったりもする(某メーカーのオイスターソースの瓶は8角形で高さもちょうどよくお気に入り!匂いがとれるまで何度も洗ったけれど)。

この花のある暮らしのことをエッセイに書きたいなと思ったのは、先日、所長の村本と一緒に大学からの調査でドイツ・オーストリアへ行った際のこと。空港からホテルに到着直後、水などを買いに大型スーパーへ出かけたが、そのときに、村本がバラのブーケを買ったからだ!旅先で花を買うなんて、思いつきもしなかった!そのホテルはその後、数日間連泊する予定だったが、疲れてホテルの部屋に帰ってきて、かわいい、香りのよいバラがいけてあったら、どんなに心が休まるだろう。とってもいいアイデア。

それなのに、その場(バラを選んで、レジで買う)にずっといながら、「あぁ、こんなキレイな立派なバラが安く買えるんだなぁ」とはぼんやり思ったが、自分も買おうとは全然思い至らなかった。その後ジワジワと、いい考えだなぁ、ステキだなぁ、ここに花があったらいいだろうなぁと何度も思った。やはり、気持ちの余裕がないと私は「花を買う」に至らないということだろう。

だからこそ、リトマス紙じゃないけれど、日常と花とが身近な暮らしをしていたいなと思う。小さなことだけど、私にとって、大切に丁寧に日々を生きることのひとつかもしれない。

(2012年3月)