スタッフエッセイ 2011年12月

ソーシャルメディア

長川歩美

twitterやfacebookなど、個人間の情報発信が、ウェブサービスを経由してそれ自体が意味を持つコミュニティとなり、実社会に広く拡がるように設計されたメディアのことをソーシャルメディアというらしい。インターネット上で個人が発信した映像・音声・文字による情報の内容は、そのメディアに属している各個人に伝えられることに始まり、そこに多数の人々が参加して、相互的にやりとりする会話へとつくりかえられていく。点が線となり、さらに立体的な網目状のコミュニケーションへと発展していくのだ。ソーシャルメディアは個人間の情報発信が目に見える形で複数の人に共有されやすくなったことで、新たなツールとして社会に浸透しつつあるようだ。

私はかねてからソーシャルメディアでのコミュニケーションにはある懸念をもっていた。個人が発信する情報内容は、そのコミュニティ上の文脈によっては有用な知識にも、あたたかい励ましにも、社会や個人の心を動かす世論にも、あるいは容赦のない個人への攻撃にもなる。顔の見えない不特定多数とのやりとりは、匿名であることの安心感がある反面、個人にコミュニケーションにおける現実や責任の感覚を危うくする面もあるように思えていた。

・・というような、負の要素への懸念と、どう利用すればよいのかがよくわからないのが相まって、日常的にmixiやtwitterなどのソーシャルメディアを利用することはこれまでになかったのだが、つい2ヶ月ほど前、友人に薦めてもらって名前だけ登録しようと参加したfacebookが、今ではすっかり友人との重要なコミュニケーションツールとして定着しているのは自分でも意外なところ。

mixiやtwitterは今でも利用法がよくわかっていないので、その特徴についてはなんとも言えないのだが、どうやら用途の違いとしてfacebookは「友人とコミュニケーションをとるため」に、twitterは「自分の考えや感じたことを発信したいため」に利用する傾向があるらしい。

完全実名制を取るfacebookは、基本的には既にリアルな人間関係がある友人、知人等とコミュニケーションを取るために設計されている。不特定多数に向けた情報発信というよりは、なかなか会うことのできない人達にむけて、掲示板にコメントを書き込んだりメールを出したりといったような、現実の関係の文脈上でやりとりするためのもののようだ。

facebookでは、個人から個人に送られた友達リクエストを承認することで、写真・職場・居住地・経歴・友人・近況などのお互いの個人情報を知ることが出来、その上でリアルタイムでのコメントのやりとりが可能になる。友達とのつながりから、昔の同級生や、連絡先がわからなくなっていた懐かしい友人との思いがけない再会や、興味の近い人に出会う機会が得られることもある。ただし、どのような情報をどのような範囲に公開するかは各個人やグループに任されているので、安心して活用するためには各人が境界の設定に留意することが大切だ。

私がfacebook上でつながっているのは、高校/大学のサークル/前職・現職の関連/恩師/友人/興味関心の近い人たち。facebookでは現在の人間関係に加えて、会いたいけれどなかなか会えない人、会う約束をするほど親しくはないが少し話してみたい人、年賀状のやりとりだけになっていてお互いの今をほとんど知らない昔の友人等々…とリアルタイムで情報や考えをやりとりし、設定したコミュ二ティで共有することが出来る。

このように自分がつながっている人たちで構成されるコミュニティ上で、一言情報や思いを発信すると、細やかに配慮する人、ユーモアに富んだ人、写真が上手な人、面倒な世話役を買って出てくれる人、心に沁みる言葉を発する人・・様々な個性・感性豊かな人達から、様々な表現方法で反応が返ってくる。気持ちや考えを文字にして複数でやりとりすることで、その人の外見からはわからなかった内面にふれて心が動くこともある。友人の近況や取り組んでいる興味・活動・仕事に刺激や感銘を受けたり、友人同士のコミュニケーションそのものに感動したりもする。たまに少しはらはらするような場面があったりするが、その後の関係の修復の有様に安心したりもする。

切手を貼って手紙を出す時代には伝えることができなかった映像や音声、リアルタイムでの文字情報をやり取りし、さらには個人の近況や興味の共有が容易にできるソーシャルメディアは、人と人とがより連続的に時間や体験、感情を共有し、絆を強める魅力をもっているように思える。今後、長期的にいい面でもわるい面でもどのような影響を個人や社会にもたらしていくのか、興味深く思っている。

(2011年12月)